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グローバルビジネスと人権: コンプライアンスの起源

2024年10月16日(水)

グローバルビジネスと人権に関し、コンプライアンスの起源と題するニュースレターを発行いたしました。こちらの内容は、以下のリンクよりPDF版でもご覧いただけます。

グローバルビジネスと人権: コンプライアンスの起源

 

グローバルビジネスと人権: コンプライアンスの起源

2024年10月
One Asia Lawyers Group
コンプライアンス・ニューズレター
アジアESG/SDGsプラクティスグループ

1. はじめに

現在、日本においてコンプライアンスは非常に重要な課題として注目されています。しかし、多くの人々にとって、その背景が十分に理解されていないかもしれません。 またそのために取り組みが進んでいない面もあるように見えます。本稿では、なぜ日本においてコンプライアンスの概念がうまく定着しなかったのかを歴史的視点から考察します。

2. プライアンスの起源と発展

コンプライアンスの概念はアメリカから始まりました。 アメリカにおいては、コンプライアンスは内部統制とほぼ同義に用いられることが一般的です。特に「コンプライアンスプログラム」といえば、COSO(Committee of Sponsoring Organizations of the Treadway Commission)による「内部統制の統合的フレームワーク」が最も頻繁に言及されます。COSOは、1977年に制定された「海外腐敗行為防止法(FCPA)」 の要請に応じて企業の内部統制を強化するために、 企業監査の専門家組織が 共同で設立したイニシアチブです[1]

これ以降、COSOフレームワークはエンタープライズリスクマネジメント(ERM)など、さらに洗練されたプログラムへと発展し、現在も非常に大きな影響力を持っています。組織の腐敗防止やコンプライアンスに関する法的規制は、特にアメリカの法制度の展開と密接に関連しています。しかし、日本やアジア諸国では、アメリカ中心の枠組みに適応する過程で混乱が生じました。アメリカの法制度は必ずしも他国の文化や社会制度に適合していなかったためです。

歴史的にアメリカの大きな転機となったのは、1972年のウォーターゲート事件です。この事件では、政治資金に関する裏金が選挙に関連した盗聴事件を引き起こす資金源となりました。 またその調査の過程において、多くの多国籍企業が外国公務員への賄賂を用いたビジネスを行っていることが明らかとなり、ずさんな会計処理が行われていました。 ニクソン大統領の裏金はそうした土壌が生み出したものと考えられました。 それはアメリカ国民に大きなショックを与え、国家そのものの信頼性が揺らぐ事態となりました。この問題に対処するため、1977年に「海外腐敗行為防止法(FCPA)」が制定され、米国企業が外国公務員に賄賂を渡す行為が厳しく取り締まられるようになりました。また、この法律は内部統制プログラムの導入を企業に義務付け、コンプライアンスの重要性がさらに強調されました。

FCPAがアメリカの上場企業に対して内部統制を義務づけたことに伴い、COSOが広範な 実態調査に基づいて内部統制の統合的フレームワークを開発しました。この内部統制とは、組織内に健全性を組み込むための仕組みであり、外部からの規制に限らず、組織の自律的なリスク管理と密接に関わっています。コンプライアンスは、広義にはこの内部統制と同義に使われることが多いといえます。

3. 国際的な腐敗防止の取り組み

FCPAの着想をもとに、国際的な腐敗防止の枠組みも整備されていきました。1997年にはOECDが「外国公務員贈賄防止条約」を制定し、国際的な捜査協力が進められました。この条約はアメリカの働きかけによって成立したもので、FCPAの捜査において他国の協力を求めるための基盤となりました[2]。また、アメリカ国内でもホワイトカラー犯罪に対する刑事司法取引が活発化しました。

エンロン事件を受けて、2002年に制定されたSOX法(サーベンス・オクスリー法)では、企業に対して厳しい開示義務が課され、コンプライアンスプログラムの強化が求められました。この時期に日本でもコンプライアンスが意識され始め、特に証券取引における厳しい規制として定着しましたが、コンプライアンスの本来の起源はFCPAまで遡って理解されるべきです。

4. 日本におけるコンプライアンスの課題

COSOの「内部統制の統合的フレームワーク」の目的は以下の3点をカバーしています。

  1. 組織の業務の有効性と効率性
  2. 報告の信頼性、適時性、透明性
  3. 法令等の遵守


このうち、「コンプライアンス」という言葉は狭い意味においては特に3点目の「法令遵守」を指しており、一般的な意味におけるコンプライアンスのプロセスは次の5つの要素から構成されています。

  • 統制環境
  • リスク評価
  • 統制活動
  • 情報とコミュニケーション
  • モニタリング活動


他方、日本では、バブル経済の崩壊後に相次いだ金融不祥事を受け、1999年に「金融検査マニュアル」が導入されました。このマニュアルはCOSOの内部統制フレームワークに影響を受け、金融機関の監督を強化するためのツールとして機能しました。しかしこうした経緯も影響して、日本ではコンプライアンスが単なる「法令遵守」として捉えられる傾向が強く、組織全体でのリスクマネジメントや腐敗防止の意識が十分に醸成されていません[3]。特に、多国籍企業が直面する外国公務員への贈賄問題については、日本においてもOECD外国公務員贈賄防止条約の影響で対策が求められており、それを受けて不正競争防止法の中に外国公務員贈賄罪が規定されることとなりました。 しかし依然として、日本による取り組みは不十分であることが OECDの作業部会によって厳しく指摘されています。

5. 公益通報者保護制度と内部通報制度

最近、兵庫県知事のパワハラ問題に関連して、私たちが「内部通報」や「公益通報」といった言葉を目にする機会が増えています。これらの制度の起源は、実はアメリカにおけるコンプライアンスの歴史と深く関わっており、そうした背景を踏まえて理解することが重要です。

日本では、内部通報と公益通報の区別が曖昧で、混乱が生じている場面も少なくありません。近年では、これら二つの概念を統合して「苦情処理メカニズム」として捉え、それを「事業レベル」と「国家レベル」に区分する見方が強まりつつあります。たとえば「ビジネスと人権に関する指導原則」では、この立場を取っています。しかし、歴史的にも機能的にも、内部通報と公益通報の間には明確な違いがあることも事実です。

まず、内部通報は基本的に事業内で設置される制度であり、主に内部統制の一環として運用されます。この制度の下では、公益に関わる重要な問題が通報されることもありますが、それに限らず、内部関係者が抱えるさまざまな苦情や問題が扱われます。組織はこれにより、内部の問題を早期に把握し、効率的な解決に向けた対応を取ることができます。また、通報者が不利益を被ることのないよう、通報者の安全を確保することが重要な課題となります。

一方で、公益通報は国家レベルでの制度であり、組織による不正や不祥事を早期に発見し、抑止することを目的としています。公益通報制度はアメリカで発展してきたもので、FCPA(外国腐敗行為防止法)に続き、SOX法やドッド・フランク法の枠組みの中で確立されてきました。公益通報者は行政機関に対して違反行為を通報し、条件を満たすと法的な保護や報奨金を受け取ることができます。これに対して、内部通報制度は企業のリスクマネジメントや内部統制の強化を目的としており、通報者は主に企業内部で保護される点が特徴です。

アメリカのこうした動向に対応して、日本でも「公益通報者保護法」が制定され、公益目的の通報に対して法的な保護が与えられています。しかし、依然として内部通報と公益通報の区別は曖昧なままであり、両者が混同されることもあります。確かに、両者には関連性がありますが、内部通報は組織の統制強化を目的とし、公益通報は公共の利益を守るための制度であるという違いを正しく認識することが求められます。

このように、内部通報と公益通報にはそれぞれ異なる役割と目的があり、両者を区別して理解することが、今後のコンプライアンスやリスクマネジメントの改善に繋がるといえるでしょう。

6. 結論

コンプライアンスの歴史は、アメリカにおけるウォーターゲート事件を契機として、 多国籍企業の腐敗行為が招く国家存立の危機に対応するためのものとして始まり、国際的に展開されてきました。しかし、日本ではこうした経緯が十分に理解されておらず、コンプライアンスが法令遵守に限定されがちであり、 本来はそれと一体として理解されるべきであるリスクマネジメントや内部統制の重要性が十分に認識されていません。今後は、国際的な腐敗防止の枠組みを強化し、各国間の協力を通じて、グローバルなビジネス環境に適応したコンプライアンスの取り組みを推進していくことが求められます。

〈注記〉本資料に関し、以下の点をご了承ください。
・ 本ニューズレターは2024年9月時点の情報に基づいて作成されています。
・ 今後の政府による発表や解釈の明確化、実務上の運用の変更等に伴い、その内容は変更される可能性がございます。
・ 本ニューズレターの内容によって生じたいかなる損害についても弊所は責任を負いません。

—–

[1] 内田芳樹「コンプライアンス概念の起源とその進化の概観:FCPA起源の企業法への影響とIT化を伴う進化状況」国際商取引学会年報2020年・第22号126頁以下参照。付け加えれば、 ドレッドウェイ委員会(不正な財務報告全米委員会)は、FCPAが企業に内部統制プログラムの実施を義務づけたことを受けて、企業の不正な財務報告を調査・分析・勧告するため、1985年にアメリカ公認会計士協会、アメリカ会計学会、財務担当経営者協会、内部監査人協会、管理会計士協会の支援によって設立された。同委員会は1985年10月から1987年9月までの期間に実態調査を行い、1987年10月に調査結果のレポートを発行した。この報告の結果としてCOSOが設立され、Coopers & Lybrand(当時)に問題点の調査と統合的な内部統制の枠組みについての報告書執筆が依頼された。COSOは1992年に4巻の報告書を作成し、1994年に微修正を加えて「内部統制の統合的フレームワーク」を公表した。その経緯の詳細は、鳥羽至英・八田進二・商田敏文(訳)「内部統制の統合的枠組み 理論編」(1996)の「付録A 本研究に至るまでの背景と歩み」(157頁以下)を参照。その後、現在は2013年改正版が用いられるが、大きな変更はない。2013年版の要約は以下から閲覧可能である。
https://jicpa.or.jp/news/information/docs/5-99-0-2-20160112.pdf

[2] OECD条約は、各締約国の国内法の統一には踏み込まない一方で、その執行における実務的な協力については、締約国に明確な義務を課している。また、同条約の効果は次のように説明されている。
「OECD外国公務員贈賄防止条約は、他のOECD諸国が自発的に訴訟を提起し始めたためではなく、 アメリカの訴訟を支援し始めたという点で重要な役割を果たした。この条約は、アメリカの検察官に、アメリカの産業に過度な損害を与えていると見なされることなく、国内外の企業に対してより積極的な姿勢を取る手段を提供し、FCPA(外国腐敗行為防止法)の法実務を活性化させることに成功した。」(Rachel Brewster & Samuel W Buell, The Market for Global Anricorruprion Enforcement, 80 Law & Contemp. Probs.193(2017) at pp. 201-202)

[3] わが国では「コンプライアンス」という言葉が「法令遵守」として使われることが多い。しかし、これはFCPA(アメリカ海外腐敗行為防止法)によって義務付けられた自主的規律としての内部統制の意味を正確に反映しておらず、重大な誤解を招いている。
また、内部統制が組織による自律的なプロセスである事は次のように説明されている。「内部統制は、マネジメントプロセスの一部であり、それと統合されている。内部統制によってマネジメントプロセスが機能し、さらにそのプロセスが経営目標に適合しているかどうかが監視される。内部統制は経営者の補助となるものであり、経営者に取って代わるものではない」(烏羽・八田・高田、前掲書19頁)。
内部統制自体は、企業がその目的を達成するために健康体を維持するようなものであり、人体でいえば免疫系やリンパ系に例えられる。言い換えれば、それは経営陣によるマネジメントシステムの一部であり、政府の指示や社会的正義のために企業が収益性を犠牲にしなければならないという意味は全く含まれていない。
こうした誤解が広まった背景には、1990年代後半のバブル崩壊と、それに続くわが国の銀行破綻が影響していると考えられる。この時期、アメリカFRBニューヨーク連銀の議長を務めたBIS銀行監督委員会(スイス所在)が1998年に「銀行組織における内部統制のフレームワーク」を公表し、日本の金融制度改革に国際的な圧力が強まったことが影響している可能性がある。これを受けて、当時の金融監督庁はこの文書を基に金融検査マニュアルを策定し、金融機関にその遵守が厳しく求められた。それ以降、「コンプライアンス」という言葉が「法令遵守」(政府の規制)というイメージで広まり、本来のCOSOの内部統制の趣旨が十分に理解されないまま使われているように思われる。