ベトナム:ベトナム国際金融センター(VIFC)の紛争解決制度とは -英語審理・外国人裁判官・仲裁判断取消権放棄の全体像
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<ベトナム国際金融センター(VIFC)の紛争解決制度とは
-英語審理・外国人裁判官・仲裁判断取消権放棄の全体像>
2026年6月11日
One Asia Lawyers ベトナム事務所
はじめに
2026年、ベトナムは国際金融センター(VIFC:Vietnam International Financial Centre)を新たに立ち上げ、その中核機能の一つとして、英語審理・外国人裁判官・仲裁判断取消権の放棄合意といった、これまでのベトナム司法・仲裁の歴史にはなかった革新的な紛争解決制度を導入しました。わずか14ヶ月という驚異的なスピードで制度を整備した点は、ベトナムの強い政治的意志を象徴するものといえます。
もっとも、この制度は「走りながら作っている」段階にあり、外国人裁判官の任命や手続規則の整備はこれからです。また、利用にあたって当事者の少なくとも一方がVIFCメンバーであることを求める「メンバーゲート」制となっている点など、日本企業にとって留意すべき構造的な課題も残されています。
本ニューズレターでは、VIFC紛争解決制度の全体像と法的枠組みを整理したうえで、DIFC・SICCなど既存の地域金融ハブとの比較、2026年5〜6月の最新動向、そして日本企業がどのようなスタンスで臨むべきかについて、概説します。
Ⅰ.背景:なぜ今、国際金融センターの設立なのか
1.ドイモイ40周年と国家戦略
ベトナムは1986年のドイモイ(刷新)政策以来、めざましい経済成長を遂げてきました。2025年の共産党第14回全国大会では「2045年までに高所得国入り」という国家目標を掲げ、2026〜2030年の平均GDP成長率10%という高い目標を設定しています。その中核的施策として浮上したのが、VIFCの設立です。
構想の背景には、シンガポール・香港という既存の地域金融ハブとの差別化・補完という狙いがあります。ベトナムは豊富な人的資源と高い成長ポテンシャルを持ちながら、資本市場の深度・金融インフラ・法制度の国際水準において課題を抱えていました。VIFCはこれらの弱点を一気に克服しようとする制度的な実験となっています。
2.VIFCの設立
VIFCの立法は驚異的なスピードで進みました。2025年6月27日に国会がDecision No.222/2025/QH15を可決し、同年12月18日には8本の実施政令が一斉に公布され、2026年1月1日には専門裁判所法(Law No.150/2025/QH15)が施行され、ダナン拠点が1月9日に、ホーチミン市拠点が2月11日に正式開業しました。
ただし、市場規則・参加者要件・報告様式等、実際の運営に関する細則は現在も整備中であり、2026年6月2日にはレ・ミン・フン首相自らが「6月中に主要金融商品・サービスの迅速な導入を可能にする突破口となる規制を策定するよう」指示を出しています。
3.「1センター・2拠点」モデル
VIFCは「1センター・2拠点」モデルを採用しており、ホーチミン市とダナンの2拠点がそれぞれ異なる機能を担います。各拠点の概要は以下のとおりです。
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ホーチミン市拠点 |
総面積793ha。資本市場・銀行・航空金融・海事金融を中心とする総合金融ハブ。紛争解決機能(専門裁判所・国際仲裁センター(IAC))はここに集中。2026年2月11日正式開業。 |
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ダナン拠点 (VIFC-DN) |
総面積300ha。デジタル資産・グリーンファイナンス・フィンテックのイノベーション拠点として位置づけ。2026年1月9日先行開業。規制サンドボックスを重点整備中。 |
両拠点の法的位置付けとしては、ベトナム民事法+VIFC特例規制のハイブリッド体系となっており、コモンローベースのものではない点に留意が必要です。英語を公式言語とし、外国人裁判官・外国人弁護士の登用を認めている点も特徴です。
Ⅱ.VIFCの紛争解決制度:法的枠組みの概要
1.二つの紛争解決機関
VIFCの紛争解決制度は、VIFC専門裁判所とIACで構成されます。いずれもホーチミン市に設置されており、ベトナムの司法・仲裁の歴史において前例のない革新的な特徴を備えています。以下それぞれの特徴を紹介いたします。
(A)VIFC専門裁判所
専門裁判所法に基づき設置、第一審・控訴審の二審制で、控訴審判断が終局・拘束力を持ちます。
これまでのベトナム司法にはなかった特徴を備えており、ベトナムの裁判所として初めて英語を主たる訴訟言語とし、ベトナム人弁護士だけでなく外国資格弁護士も当事者を代理できます。また、ベトナム史上初めて外国人裁判官の任命が法律上認められました(ただし2026年6月現在未任命で、同年中の任命が目標)。さらに、ベトナムの通常裁判では認められない合理的な弁護士費用の相手方への請求が可能であるほか、控訴審判断に対しては最高人民裁判所への通常上訴ができず、終局性が確保されます。
ただし、管轄範囲が限定的で、少なくとも一方がVIFCメンバーである投資・事業紛争、VIFCメンバーが関係する外国裁判所判決・外国仲裁判断のベトナムにおける承認・執行申請、同メンバーが関係する仲裁手続の支援(仲裁人選任・保全措置等)が対象となります(同法第13条)。これに加え、最高人民裁判所が指定するその他のVIFC関連投資・事業紛争も補充的に管轄に含まれます。
(B)VIFC国際仲裁センター(IAC)
Decree No.328/2025/ND-CPに基づく独立の国際仲裁機関(設立には5名以上の設立者と法務大臣の許可が必要)で、VIACとは別機関ですが、機能面での協働が見込まれます。
最も特徴的な点は、仲裁判断取消権放棄合意(Annulment Waiver)が認められる点です。これは当事者の合意によりベトナム裁判所への仲裁判断取消申立権を事前に放棄できるもので、ベトナム仲裁史上初の仕組みとして、仲裁判断の終局性・執行確実性を大幅に高める世界標準に接近した設計といえます。また、準拠法としての外国法の選択や外国法・国際商慣習の適用が認められ、当事者間の仲裁合意に基づく投資・事業紛争(行政紛争・個人権利等を除く)が対象となります。ただし、専門裁判所と同様、IACの利用にも「少なくとも一方がVIFCメンバーであること」という管轄上の限定(後述の「メンバーゲート」)が課され、これが利用の前提条件となります。
Ⅲ.「メンバーゲート問題」:制度の構造的課題
1.メンバーゲートとは何か
VIFCのメンバーとは、VIFCにおいて、登録、認定、または設立・営業許可の取得によりメンバーとして扱われる企業・機関を指し、金融機関、ファンド、フィンテック・デジタル資産関連事業者、コンサルティング・支援サービス提供者、非金融機関等が含まれます。
紛争解決については、VIFCにおける投資・事業活動に関連するメンバー間の紛争、またはメンバーとVIFC外の投資家・取引先との紛争について、当事者の合意により、VIFC内の国際仲裁センターを含む各種紛争解決手段を選択し得る建付けとなっています。したがって、ベトナム側取引先がVIFCのメンバーである場合、日本側がメンバーでなくても、当事者間で書面により合意すれば、VIFCの紛争解決制度を活用できる余地があります。もっとも、日本側が一方的にVIFCでの紛争解決を指定できるものではなく、契約上の合意が必要です。
2. DIFC・SICCとの比較
VIFCの「メンバーゲート」制が他の主要な国際金融ハブの紛争解決制度と比べてどのような位置づけにあるかを整理すると、以下のとおりです。ドバイのDIFCやシンガポールのSICCが当事者の合意のみでアクセスできるのに対し、VIFCはメンバー資格を管轄の前提とする点に大きな違いがあります。
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DIFC(ドバイ) |
全世界のいかなる当事者も、書面による管轄合意のみでDIFC裁判所を選択可能。ビジネス登録不要。2011年の法改正で純粋opt-in型を実現。 |
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SICC(シンガポール) |
一定の要件(国際性・金銭的閾値等)を満たせば当事者合意だけで利用可能。シンガポールとの接続要件は不要。 |
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VIFC(ベトナム) |
少なくとも一方がVIFCメンバーであることが管轄要件。VIFCメンバーになるためにはVIFC内での優先事業分野での活動が前提。 |
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AIFC(カザフスタン) |
「AIFCと実質的な接続を有する紛争」という要件。VIFCと類似した「投資誘致ツールとしての設計」を採用しており、普遍的な紛争解決ハブとは異なる。 |
3.制度設計の背景的論理
VIFCはあくまで「VIFCエコシステムに参加する企業への高品質サービスのパッケージ」として設計されており、紛争解決はその一部に位置づけられています。税制優遇(法人税10%・最長30年)、外為自由化、英語手続という特典をセットで提供することで、質の高い国際企業の誘致を図る発想です。
ただし、設計の限界として、国際商取引においてVIFCメンバー同士の取引のみが紛争を生むわけではないという現実があります。グローバルなサプライチェーン・クロスボーダー投資・貿易金融においては、非メンバーとの取引が大半を占めます。結果として、VIFCの紛争解決制度は現時点では「ベトナム国内向け特別サービス」の色彩が強く、DIFCやSICCが実現した「グローバルな選択肢の一つ」にはなりきれていません。
Ⅳ.最新動向
1.VIAC フィンテック専門家パネルの設立(2026年5月29日)
VIACは2026年5月29日、ホーチミン市で「VIACフィンテック・デジタル経済紛争専門家パネル」(専門家15名で構成)を発足させ、「VIFC国際金融センターシンポジウム2026」を開催しました。
VIACのレ・ホン・ハン総裁は、デジタル金融・クロスボーダー取引の急増で金融紛争が複雑化し、より専門的な解決メカニズムが必要となっていると指摘しました。IACとVIACは別個の機関ですが、今回の動きは、法的サンドボックスや司法支援・クロスボーダー執行、仲裁と専門裁判所を組み合わせた統合的解決モデルが議論されるなど、VIFCの紛争解決エコシステムを支えるインフラ整備への意識の高まりを示しています。ニューヨーク条約を通じ170ヶ国以上で執行力を持つVIACと、VIFCのIACとの相互補完関係の構築が、今後の重要な論点となります。
2.「6月中に突破口」と首相が指示(2026年6月2日)
レ・ミン・フン首相は2026年6月2日にハノイで開催された会議において、「主要金融商品・サービスを迅速に導入するための突破口となる規制を6月中に策定する」よう指示しました。VIFC執行評議会の議長にグエン・ヴァン・タン副首相を任命し、運営規則の整備を6月10日までに完了するよう命じました。
首相はまた「VIFCの発展はグローバルな環境の複雑化の中で依然として課題を抱えている。世界中の金融センターが激しく資本を競い合っており、ベトナムは後発者として、投資家を引き付けつつも有効な監督・リスク管理・マクロ経済の安定を確保する十分に強力なメカニズムと政策を採用しなければならない」と明言しました。
この発言は、VIFCが「走りながら制度を整えている」状況を率直に認めるとともに、制度改善への強いコミットメントを示すものと読むことができます。
Ⅴ.留意すべき構造的リスク
VIFCは、国際金融センターとしての制度整備を進める重要な取り組みである一方、その実効性については慎重な評価が必要です。
まず、ベトナムにおいて長年指摘されてきた行政手続の官僚性や透明性の課題は、VIFCの設立によって直ちに解消されるものではありません。
また、法律上は外国人裁判官の任命が可能とされているものの、現時点では実際の任命例や判例の蓄積はなく、専門裁判所がどの程度国際的な信頼性と専門性を発揮できるかは未知数です。DIFCやSICCのように長年の実務・判例の蓄積を有する制度と比較すると、VIFCは信頼性の確立という点でなお初期段階にあります。
さらに、詳細な手続規則についても今後整備される予定であり、現時点では制度の骨格が示された段階にとどまります。そのため、法的枠組みの整備が進んでいるとしても、企業が実際に紛争解決手段として安心して利用できるまでには、運用実績の蓄積と手続面の具体化が不可欠です。
Ⅵ.企業への実務的示唆 ~紛争解決条項の設定~
1.当面は実績ある仲裁機関を基本線とする
当面は、VIAC、SIAC、ICC仲裁といった実績ある紛争解決手段が引き続き採用されると考えられます。ベトナム企業との一般的な取引においては、VIFC専門裁判所を紛争解決機関として指定するのはなお時期尚早であり、予見可能性や執行可能性の観点から、既存の仲裁機関を選択するのが現実的です。
ただし、今後、ベトナム側取引先がVIFCメンバーとなる場合、または日本企業自身がフィンテック、グリーンファイナンス、航空金融、海事金融等の分野でVIFCメンバー登録を検討する場合には、VIFC内の仲裁・裁判制度が選択肢に入る可能性があります。特に、仲裁判断の取消リスクを抑える仕組みが実務上機能するのであれば、VIFC内の国際仲裁制度は一定の検討価値を持ち得ます。
2.契約上明記すべき事項
相手方がVIFCメンバーである場合には、VIFC内のIACを選択肢として検討する余地があります。その場合には、Annulment Waiver条項、外国法準拠の可否、VIFC専門裁判所またはIACの管轄を契約書上明確に整理することが重要です。また、VIFC内で本格的に事業展開する場合には、メンバー登録を前提に、これらの点を契約書に明記することが望ましいといえます。
3.opt-in型制度が導入された場合の可能性
将来的に、VIFCメンバーでなくても当事者間の合意のみでVIFCの紛争解決制度を利用できるopt-in型制度が導入されれば、状況は大きく変わります。その場合、VIFC専門裁判所やVIFC内の国際仲裁は、ベトナム関連取引における新たな紛争解決フォーラムとして、急速に存在感を高める可能性があります。
おわりに
VIFCの紛争解決制度は、わずか14ヶ月で英語審理・外国人裁判官・Annulment Waiverといった、従来のベトナム司法制度から見れば大きな前進を含んでいます。
もっとも、外国人裁判官の未任命・手続規則の未整備・判例ゼロ・メンバーゲートといった構造的課題が残っています。当面はVIAC・SIAC・ICCを主たる選択肢として維持しつつ、相手方がVIFCメンバーである場合やopt-in型への制度改正など、状況の変化に応じて検討するのが現実的です。アブダビ国際金融センター(ADGM:Abu Dhabi Global Market)など海外機関との連携も進み始めており、今後の制度整備と実務運用を注視しながら、必要に応じて選択的に関与していく姿勢が、これから求められていくと考えられます。

