アジア紛争解決の最前線(2026年) ベトナム編
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<アジア紛争解決の最前線(2026年) ベトナム編>
2026年7月10日
One Asia Lawyers ベトナム事務所
はじめに
本ニューズレターは2部構成です。第1部「紛争解決の実践」では、2025〜2026年の制度改革を踏まえ、日本企業が契約実務・紛争対応で押さえるべきポイントを解説します。第2部「社会・文化・経済的背景」では、制度の背後にある背景事情を、実務に必要な範囲で扱います。
第1部 紛争解決の実践
1.ベトナムの紛争解決制度を形づくる4つの仕組み
ベトナムには、性格の異なる4つの紛争解決の仕組みが併存しています。案件の性質に応じてこれらを使い分けることが、実務の出発点です。
第一に、人民裁判所による訴訟です。フランス法と社会主義体制に由来する制度で、現在もベトナム法の根幹です。
第二に、ベトナム国際仲裁センター(VIAC)を中心とする国際商事仲裁です。ドイモイ(刷新)政策以降に発展し、ニューヨーク条約・UNCITRALモデル法を基礎に実務が定着しています。
第三に、現代型調停(Mediation)です。取引関係の維持を重視する企業を中心に、活用が広がっています。
第四に、2025〜2026年の司法改革で創設された国際金融センター(IFC)専門裁判所です。イングランド商事裁判所をモデルとする新しい枠組みです。
2.準拠法と紛争解決条項の選択
かつてベトナムで紛争に直面した企業の選択肢は、事実上、人民裁判所への提訴か泣き寝入りかの二択でしたが、状況は変わっています。VIACへの申立件数は近年大幅に増加しており、2026年現在、外国企業の契約書では、ベトナム法準拠・VIAC仲裁がデフォルトの選択肢になっています。
背景には三つの要因があります。第一に、EVFTA・CPTPPが国際水準の制度整備を事実上義務づけたこと。第二に、裁判所の負担軽減のためADRを推進するという政府の政策方針。第三に、「2年半かけて勝訴したときには、相手方はすでに会社をたたんでいた」という苦い経験に基づく、企業側の学習効果によるものです。
3.国際仲裁制度―世界標準の制度へ
(1) VIACの現状と2026年新規則
VIACはベトナム最大の仲裁機関であり、外国当事者の中心は日本・中国・韓国の企業です。日系企業が関与する案件も毎年相当数に上り、日本企業にとって最も身近な仲裁機関といえます。
VIACは2026年7月1日、約10年ぶりの大改正となる新仲裁規則(VIAC Rules 2026)を施行しました。柱は、(i)手続の柔軟化・迅速化、(ii)多数当事者・複数契約紛争への対応強化(併合・参加規定の整備)、(iii)第三者資金調達(TPF)の透明性向上、(iv)ケース管理の完全デジタル化の4点です。
その他、SIACとの協力覚書(MoU)締結など、国際仲裁機関との連携も進んでいます。
(2) 2025年司法改革の影響―仲裁判断取消の専門化
日本企業にとって最も重要なのは、仲裁判断取消リスクが低下している点です。2025年7月の裁判所改革により、仲裁関連事項はハノイ・ダナン・ホーチミン市の専門裁判所に集約されました。
従来は、国際仲裁に不慣れな地方裁判所の判事が曖昧な取消事由を広く解釈し、仲裁判断を取り消す例が散見されました。この取消リスクこそ、ベトナムで仲裁を選択する際の最大の懸念材料でした。
上記管轄の集中により、審査の専門性と予測可能性の向上が期待されています。
(3) PCAハノイ事務所とビジネスと人権仲裁
常設仲裁裁判所(PCA)ハノイ事務所の活動や、「ビジネスと人権」に関する仲裁の枠組みづくりも進んでいますが、いずれも、まだまだこれからという段階です。
4.調停制度―「伸びしろ」が期待される分野
(1) 現代型調停の枠組みと活用
調停は、コストが低く、関係を壊さない手段として世界的に活用が広がりつつありますが、ベトナムにおいては、執行力に課題があります。なお、ベトナムの商業調停は、Decree No.22/2017(2025年に一部改正)を主たる法的根拠とし、主要機関はVIAC傘下のVMC(ベトナム調停センター)となっています。
実務上注目されるのが「Med-Arb(調停・仲裁複合手続)」です。まず調停を試み、30〜60日以内に合意に至らなければ同じVIACで仲裁に移行する設計で、建設・不動産紛争などを中心に普及しています。
(2) シンガポール調停条約への期待
調停の最大の弱点は執行力です。現行制度では調停合意は民事契約にすぎず、相手方が履行しなければ、改めて仲裁・訴訟に頼らざるを得ません。この問題を解決する鍵がシンガポール調停条約です。ベトナムが加入すれば、調停で成立した国際商事和解合意が加入国で直接執行可能となり、調停の使い勝手は大きく向上します。加入の動向は注視に値します。
5.ベトナム国際金融センター(VIFC)の紛争解決制度
結論からいえば、VIFCの紛争解決制度は「将来性はあるが、現時点ではまだ使えない」段階です。ホーチミン市・ダナンに設置されたVIFC専門裁判所と国際仲裁センター(IAC)には、英語審理、外国人裁判官の任用、仲裁判断取消権の放棄合意(Annulment Waiver)など、従来のベトナム司法・仲裁にない仕組みが導入されました。
もっとも、外国人裁判官は未任命、手続規則も未整備であり、利用には当事者の少なくとも一方がVIFCメンバーであることが必要です。日本企業が実務で活用できるまでにはなお時間を要する見込みで、当面は動向の注視が現実的です。
なお、VIFC紛争解決制度の全体像、DIFC・SICCとの比較、実務上の留意点については、先月号(2026年6月10日発行)のニューズレターで詳しく解説しています。あわせてご参照ください。
6.ベトナム政府への働きかけと投資協定仲裁
(1) 日本政府による二国間アプローチ
ベトナム政府や国有企業が関係する紛争では、法的手続に先立ち、日本政府を通じてベトナム政府に働きかける方法が有力な手段として機能してきました。
中心となるのは、「日越共同イニシアチブ」に代表される官民の二国間対話です。日系企業が直面する規制・行政手続・紛争解決の課題をリスト化し、ベトナム政府に改善を求める仕組みで、商事仲裁法の改正や法制度の透明性向上など、着実な成果を上げてきました。今後もこの二国間対話が基本となります。
(2) 投資協定仲裁(ISDS)―有力な選択肢だが、日本企業の活用事例はゼロ
日越BIT・EPAに基づき、日本企業はベトナム政府に対して投資家対国家仲裁(ISDS)を提起できます。もっとも、日本企業による提起事例は公知の限り存在せず、実務上はまず日越共同イニシアチブや外交ルートでの解決を試みるのが標準です。
留意すべきは、多くのBITが定める「フォーク・イン・ザ・ロード条項」です。国内裁判所に提訴した後はISDSを提起できなくなるため、行動を起こす前にBIT条項を精査することが不可欠です。
7.依然として力を持つ伝統的訴訟制度
「仲裁・調停が台頭したから裁判所はもう関係ない」という理解は誤りです。人民裁判所は依然として最大の紛争解決機関であり、特に執行(Enforcement)の局面では不可欠です。
人民裁判所の弱点は、審理の長期化(商事紛争で平均2〜3年)、外国法を適用できないこと、手続が公開されること、判事の専門性のばらつきです。他方、緊急の資産保全(仮差押え・処分禁止)、刑事的側面を含む詐欺・横領事件、そして執行の場面では、人民裁判所が唯一の選択肢となります。IP専門裁判所の新設や電子訴訟(e-Court)の全国展開など、改善の動きも見られます。
8.まとめ―多様化する選択肢と、日本企業へのメッセージ
2025〜2026年の改革により、日本企業の選択肢は「訴訟か泣き寝入りか」から「訴訟・仲裁・調停・IFC裁判所の使い分け」へと大きく広がりました。まず取り組むべきは、既存契約・新規契約の紛争解決条項を、最新の制度を前提に見直すことです。制度改善のスピードは当面維持される見込みであり、変化を先取りした企業ほど有利になります。
第2部 社会・文化・経済的背景
以下では、第1部で扱った紛争解決制度の根底にある社会・文化・経済的背景を、実務に必要な範囲で7つの視点から解説します。
1.法制度の歴史的出発点
ベトナム法は、フランス植民地期に由来する大陸法体系を基礎としています。成文法典を中心とし、判例より制定法を優先する骨格は、現在も変わりません。
転換点は1986年のドイモイ(刷新)政策です。市場経済への移行に伴い法整備が一気に進みましたが、ベトナムは外国法をそのまま受け入れるのではなく、自国の政治体制・発展段階に合わせた「選択的近代化」を進めてきました。
現在のベトナム法は、①大陸法的な法典化の伝統、②社会主義体制の影響、③WTO・FTAを通じた国際標準化、という三つの層が重なり合うハイブリッドな体系です。
実務上は、法律(Law)だけでなく、政令(Decree)・通達(Circular)・公文書(Official Letter)という下位規範の確認が欠かせません。ベトナムの法律は定義や適用対象が曖昧なことが多く、罰則などの重要事項が政令・通達レベルで規定される例もあるためです。
2.政治体制と裁判制度の特徴
ベトナムは共産党(CPV)が指導する体制であり、憲法上、裁判所も党の指導のもとに位置づけられています。日本のような三権分立を前提とする制度設計とは異なることを、まず理解しておく必要があります。
ただし、「ベトナムの裁判所は機能しない」という理解は実態に反します。区別すべきは、土地・メディアなど政策との関わりが強い案件と、純粋な商事紛争です。後者では判決の質と一貫性が着実に向上しており、法律に基づく予測可能な判断が増えています。
外国企業にとって重要なのは「司法アクセスの格差」です。ハノイ・ホーチミン市の裁判所と地方の裁判所では、判事の専門性・インフラ・国際案件への対応力に大きな差があります。
大型国策プロジェクトや国有企業が相手方となる案件では、法的手続と並行して、外交ルートや業界団体を通じた働きかけが解決に大きな役割を果たすことがあります。国際仲裁やIFC裁判所といった中立的なフォーラムへの需要は、こうした実務の現実を背景としています。
3.基本情報
(1) 社会経済指標
ベトナムは人口約1億の中所得国です。若年層の教育水準は東南アジアでもトップクラスであり、この人的資本の質が、単純製造業から知識集約型産業への移行を支えています。
経済は高成長を続けており、「China+1」の受け皿として製造業を中心にFDI流入が続いています。ベトナムに拠点を置く日系企業は、ASEANでタイに次ぐ規模です。
(2) 法律家・法律教育・外国人弁護士
ベトナムの弁護士数は人口比で日本を大きく下回り、地方では専門的なリーガルサービスへのアクセスが限られています。
外国法律事務所にはベトナム人弁護士との協働が義務づけられ、外国人弁護士はベトナムの法廷での訴訟代理権を持ちません。外資系事務所は、ローカルファームとの提携による進出が一般的です。
(3) 戦争・社会的動乱の影響
ベトナム戦争と南北分断は、法曹人材の断絶を通じて1980〜90年代の法整備の遅れに直結しました。1995年の米越国交正常化とASEAN加盟を起点に、現在につながる急速な法整備が進みました。
現在のベトナムの政治的安定性は、東南アジアの中でも高い水準にあり、ビジネス環境の予測可能性という点で重要な優位性です。一方、特定の外国企業が政治的に難しい立場に置かれるリスクがゼロではないことも、冷静に認識しておく必要があります。
4.生活水準の向上と都市・地方の格差
この20年でベトナムの生活水準は大きく向上しました。ホーチミン市・ハノイには日本人学校や国際教育機関、日系の医療・生活サービスが揃っており、家族帯同での赴任環境は着実に整っています。
他方、都市と地方の格差は依然として大きく、都市人口は全人口の4割弱にとどまります。全国規模でビジネスを展開する際は、この「多層的なベトナム」を前提とする必要があります。
5.非公式解決の文化的論理
ベトナムの紛争解決文化を貫く最重要概念が「面子(メンツ、mặt mũi)」です。公の場での「敗北」は法的問題にとどまらず、社会的信用とビジネスネットワーク全体に波及します。勝敗を明確にする裁判より、双方が「顔を保ちながら」解決できる調停が好まれる背景には、この文化があります。
「対立を避けて和を保つ」「正しさを主張して争うより、関係を修復して共存する」ことを重んじる価値観も根強く、この点は日本のビジネス文化とも親和的です。
訴訟の提起は「関係を公に破壊する攻撃的行為」と受け取られやすく、まず仲介者(người trung gian)を通じた水面下の交渉・調整が選好されます。
特に中小企業間・農村部・家族経営企業の紛争では、地元の有力者による非公式調停が事実上の第一次解決手段です。この構造を無視していきなり仲裁を申し立てると、相手方の強い反発を招き、将来のビジネス関係が不可逆的に損なわれかねません。
6.ASEAN方式と地域メカニズム
ASEANにも、友好協力条約(TAC)やASEAN憲章に基づく正式な紛争解決制度がありますが、加盟国が正式な紛争化を避けるため、ほとんど活用されていません。
これは「制度の失敗」ではなく「意図的な設計」です。実務家にとってASEANの地域メカニズムは、「直接の解決手段」ではなく「交渉の背景的枠組み」と理解するのが適切です。
7.国際標準との接続と外部圧力
(1) ニューヨーク条約・UNCITRAL
ベトナムは1995年にニューヨーク条約に加入しており、ベトナムでの仲裁判断は原則として世界170か国超で執行可能です。課題はむしろ国内側にあり、外国仲裁判断の承認率の低さが長年指摘されてきました。2025年改革による専門裁判所への管轄集中は、この予測可能性の問題への直接の回答です。なお、商事仲裁法の改正も2027年を目途に予定されています。
(2) EUの規範的圧力
EVFTAは、労働・環境・知的財産などの分野で欧州基準への接近をベトナムに求めています。さらにEU・ベトナム投資保護協定(EVIPA)が発効すれば、常設型の投資裁判所システム(ICS)が導入され、EU系投資家との投資紛争解決の構図が大きく変わります。
(3) 米国の影響
米越国交正常化以降、米系法律事務所の進出などを通じて、積極的な証拠開示や専門家証人の活用といった米国的手法が仲裁実務に持ち込まれています。
(4) 「法的多元主義」
今日のベトナム法は、国家の成文法と、地域・業界・コミュニティに根ざした非公式の紛争解決慣行が並行して機能する、多元的な体系です。
「契約書に書いてあるから大丈夫」という発想は、ベトナムでは通用しません。法律の背後にある非公式な規範・慣行・関係性の理解こそが、ビジネス成功の鍵です。ベトナム法のハイブリッド性は制度を複雑にする一方、多様な解決手段という「豊富なメニュー」ももたらしています。このメニューを賢く使い分けられる企業が、2026年のベトナムで最も有利に事業を展開できます。
※ 本稿は2026年7月時点の法令・実務に基づいています。ベトナムの法制度は急速に変化しており、具体的な法律判断については必ず専門家にご相談ください。
※ 本稿の執筆にあたり、AI(Claude, Anthropic)を草稿作成・校正に活用しました。これはAIの強みを執筆プロセスに意図的に組み入れることで、論考の質を高めることを目指した積極的な選択です。 当然ながら、内容・法的判断・文責はすべて著者に帰属します。

