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日本:「106万円の壁」撤廃に伴う影響について ~中小企業の経営者・人事担当者が押さえるべきポイント~

2026年07月14日(火)

「「106万円の壁」撤廃に伴う影響について ~中小企業の経営者・人事担当者が押さえるべきポイント~」についてニューズレターを発行いたしました。こちらの内容は以下のPDFからもご覧いただけます。
「106万円の壁」撤廃に伴う影響について ~中小企業の経営者・人事担当者が押さえるべきポイント~

106万円の壁」撤廃に伴う影響について
~中小企業の経営者・人事担当者が押さえるべきポイント~

2026年7月吉日
One Asia Lawyers 大阪オフィス

第1 はじめに 

近年、パート・アルバイトとして働く方が、社会保険料の負担が生じることを避けるために意識的に収入を抑える「106万円の壁」(所定内賃金月額8.8万円以上という賃金要件)が、企業の人手不足を深刻化させる要因の一つとして長らく問題視されてきました。 
こうした状況を踏まえ、2025年5月16日に国会へ提出された「社会経済の変化を踏まえた年金制度の機能強化のための国民年金法等の一部を改正する等の法律案」(以下「年金制度改正法」といいます。)は、衆議院で修正の上、同年6月13日に成立し、6月20日に公布されました。この改正により、短時間労働者の社会保険加入を判断する要件のうち、いわゆる「106万円の壁」は廃止されることが正式に決定しました。
2026年10月からの施行が予定されており、さらに企業規模要件(従業員51人以上という要件)についても2027年以降に段階的に撤廃される方針が示されています。この改正は、中小企業の雇用戦略・人件費・就業規則の見直しに直接的な影響を及ぼすものです。 
本稿では、厚生労働省の公式情報を中心に改正の概要と背景を整理した上で中小企業経営者・人事担当者が特に注意すべき実務上の影響と取るべき対応策について弁護士の視点からご説明します。

第2 現行制度の概要及び改正内容

1 現行の社会保険加入要件(202610月改正前)

現在、パート・アルバイト等の短時間労働者は、以下の要件をすべて満たす場合、社会保険(健康保険・厚生年金保険)に加入することが必要です。
このうち③の賃金要件(月額8.8万円、年収換算約106万円)が「106万円の壁」の正体であり、これを意識して勤務時間・収入を抑制する就業調整が広く行われてきました。厚生労働省は、人手不足への対応が急務となる中で、短時間労働者が年収の壁を意識せず働くことができる環境づくりの支援を重要課題としてきました。

要件

内容(改正前)

①企業規模

従業員数が51人以上の事業所

②労働時間

週の所定労働時間が20時間以上

③賃金  

所定内賃金が月額8.8万円以上(年収換算で約106万円)

④雇用期間

雇用見込みが2か月を超えること

⑤その他

学生でないこと

2 今回の改正内容

年金制度改正法においては、「106万円の壁」の撤廃を含む被用者保険の適用拡大が実施されます。厚生労働省の公式サイト[1]によれば、加入要件は「週の勤務が20時間以上」というシンプルなものになるとされており、賃金要件(月額8.8万円以上)は全国の最低賃金の引上げ状況を見極めて3年以内に廃止し、企業規模要件は10年をかけて段階的に拡大・撤廃されます。
重要なポイントは、2026年10月以降、「週20時間以上勤務」のみが実質的な加入基準となる点です。「106万円の壁」は「週20時間の壁」へと転換することになります。
予定されている具体的なスケジュールは以下のとおりです。

施行時期

改正内容

2026年10月

賃金要件(月額8.8万円以上)の撤廃

2027年10月以降

企業規模要件(51人以上)の段階的撤廃開始[2]

2029年10月

個人事業所(常時5人以上・全業種)への適用拡大

2035年10月

企業規模要件が完全撤廃(全企業対象)

3 改正の背景

賃金要件が撤廃された主な背景として、最低賃金の継続的な上昇が挙げられます。2025年度の最低賃金は全都道府県で時給1,016円を超えており、週20時間勤務した場合には月額8.8万円を自動的に超える状況となっています。すなわち、賃金要件が実質的な意味を失いつつあったことから、廃止に至りました。加えて、少子高齢化に伴う年金財政の持続性確保という政策的要請も重要な動機となっています。

第3 企業への主な影響

1 事業主負担となる社会保険料の増加  

社会保険料は労使折半が原則であるため、賃金要件の撤廃により新たに加入対象となる従業員が増えた分だけ、企業の費用負担も直接増加します。この影響は企業規模を問わず広く生じるものですが、特に中小企業にとっては、人員に占めるパートタイム労働者の割合が高い場合が多く、追加の保険料負担が経営全体に与える影響は相対的に大きなものとなりえます。厚生労働省の「社会保険料かんたんシミュレーター」の前提条件(令和8年度・協会けんぽ全国平均)をもとに試算すると、月額賃金8.8万円の39歳以下の従業員1名が新たに加入した場合、事業主負担の内訳は以下のとおりです。

保険の種類

保険料率(事業主負担分)

月額負担額(概算)

厚生年金保険料

18.3%のうち9.15%

約8,052円

健康保険料

9.9%のうち4.95%(全国平均)

約4,356円

子ども・子育て支援金

0.23%のうち0.115%

約101円

子ども・子育て拠出金

0.36%(全額事業主負担)

約317円

合 計

約12,826円(月額)

(試算前提:月額賃金8.8万円・39歳以下の従業員1名・協会けんぽ全国平均保険料率(令和8年度)。
厚生労働省「社会保険料かんたんシミュレーター」https://www.mhlw.go.jp/tekiyoukakudai/jigyonushi/shanaijunbi/#simulator1 の前提条件に準拠。
40〜64歳は介護保険料(1.62%のうち事業主負担0.81%)が加算されます。加入保険組合・賃金水準・年齢により実額は異なります。)
上記の試算では、1名あたり年間で約15.4万円(約12,826円×12か月)の事業主負担増となります。パートタイム労働者を多数雇用している事業所では、加入対象者の人数に比例して相当規模の追加負担が生じます。

2 労務管理上の課題

今回の改正で重要なのは、社会保険の加入基準が「年収106万円」から「週20時間以上」に実質的に転換することです。従来、収入額を基準として就業時間を調整していた従業員は、今後は労働時間そのものを週20時間未満に抑えようとする可能性があります。
企業の立場からすると、戦力として確保したい人材が自ら勤務時間を抑制する事態に陥ることは人員計画上の大きな支障となります。特に中小企業においては、一人ひとりのパートタイム労働者への業務依存度が高い場合も多く、就業調整が生じた際の現場への影響が直接的に現れやすい点に留意が必要です。
また、週20時間という基準は雇用契約上の「所定労働時間」で判断されるものであり、シフトの組み方や雇用契約書の記載が実態と乖離している場合には、適用要件の認定をめぐって後日紛争が生じるリスクもあります。

3 現時点で対象外の企業にとっての意義

2026年10月の施行時点では、被保険者数50人以下の事業所は今回の賃金要件撤廃の直接的な対象外となります。しかし、企業規模要件は2027年10月以降に段階的に縮小・撤廃されることが既に決定しており、最終的には2035年10月に全事業所が対象となります。対応の準備には、対象従業員の洗い出し・雇用契約書の整備・就業規則の改定・加入手続のオペレーション構築など、相当の時間と社内調整が必要です。「当面は対象外である」という判断は、かえって将来の対応コストを高める結果になりかねません。余裕を持った準備の開始を強くお勧めします。

第4 企業がとるべき対応

1 実態調査と財務影響の把握

まず社内の実態を正確に把握することが出発点です。週の所定労働時間が20時間以上でありながら現在社会保険に加入していない従業員を抽出し、施行後に新たに加入対象となる人数と概算の追加保険料負担額を算出してください。 
厚生労働省「社会保険適用拡大特設サイト」では、事業主向けの試算シミュレーターが公開されており、対象者の人数・平均給与・賞与の有無等を入力して年間の概算負担額を試算できますので、活用をお勧めします。把握した影響額をもとに、価格転嫁・業務の見直し・シフト設計の再検討など、経営全体としての吸収策を早期に検討することが求められます。

2 就業規則・雇用契約書の整備

改正後の加入基準(週20時間以上)を就業規則に明確に規定するとともに、雇用契約書における所定労働時間の記載と実態が一致しているかを点検してください。特に、所定労働時間の記載が曖昧であったり、実際のシフトと乖離している場合には、加入要件の認定をめぐる紛争リスクが生じます。
なお、今回の改正に伴い、社会保険料の事業主負担を避けるため、従業員の所定労働時間を一方的に短縮する場合には、就業規則の「不利益変更」(労働契約法9条)に該当し、無効となる可能性があります。また、変更後の勤務時間に応じた賃金しか支払われないことで差額賃金の請求を受けるリスクも生じます。 
事業主の社会保険料の負担増加に伴い就業規則上の労働条件を変更する場合には、当該変更が「不利益変更」に該当しないか、後日の紛争リスクなどを慎重に判断する必要があります。

3 社会保険加入手続の事前準備

施行日(2026年10月)に加入要件を満たす従業員については、原則として要件充足日から5日以内に年金事務所へ被保険者資格取得届を提出しなければなりません。この期限を過ぎると、遡及加入や保険料の追徴が生じる可能性があります。施行日前に手続担当者の選任・届出様式の確認・システム対応など社内体制の整備を完了しておくことが不可欠です。

4 キャリアアップ助成金の活用

厚生労働省は、短時間労働者を新たに社会保険に加入させるとともに収入増加の取組を行った事業主を支援するため、「キャリアアップ助成金(短時間労働者労働時間延長支援コース)」を新設しています。本コースでは、労働者1人当たり最大75万円の助成が受けられます。取組開始前に「キャリアアップ計画書」を管轄の都道府県労働局に提出・認定を受けることが受給要件となっていますので、早期のご準備をお勧めします。

5 従業員への周知と理解の促進

社会保険への加入は、従業員にとって手取り収入の一時的な減少として感じられるため、不安や抵抗感を持たれる方も少なくありません。しかし、長期的な視点からは傷病手当金・出産手当金の受給資格の取得、将来受け取る厚生年金の増額など、被用者保険に加入することの実質的な利益は決して小さくありません。事業主として、こうした社会保険加入の意義を従業員にわかりやすく説明し、納得のいく形で加入手続を進めることが、トラブル防止の観点からも重要です。

【対照表】

No.

第3 企業への主な影響(課題)

第4 企業がとるべき対応

事業主負担となる社会保険料の増加
・加入対象者1名あたり年間約15.4万円の追加負担
・多数雇用ほど経営全体への影響大

実態調査と財務影響の把握
・週20時間以上勤務の従業員を洗い出し加入対象者を確認
・厚生労働省 公式シミュレーターで年間負担額を試算
・価格転嫁・業務見直し等の吸収策を早期に検討

労務管理上の課題
・加入基準が「収入額」→「週20時間以上」へ転換
 従業員による就業時間の抑制・人手不足悪化のおそれ
・契約書と実態乖離による適用要件認定の紛争リスク

就業規則・雇用契約書の整備
・週20時間基準を就業規則に明確に規定
・所定労働時間の記載と実態を照合・点検
・不利益変更を伴う場合は事前に弁護士へ相談

従業員への周知と理解の促進
・社会保険加入の長期的メリットをわかりやすく説明(年金増額・傷病手当金・出産手当金等)

キャリアアップ助成金の活用
・短時間労働者を新たに加入させた場合、1人当たり最大75万円の助成
・事前にキャリアアップ計画書の提出・認定が必要

現時点で対象外の企業における準備の遅れリスク
・企業規模要件は2027年以降に段階的撤廃、2035年10月に全事業所対象
・就業規則整備・手続体制構築には相当の時間が必要

社会保険加入手続の事前準備
・手続担当者の選任・届出様式・システム整備
・施行日から原則5日以内に被保険者資格取得届を提出

第5 おわりに

「106万円の壁」の撤廃は、人手不足が深刻化する中で働く意欲のある方が就業調整を余儀なくされてきたという長年の課題への対応という側面を持っています。他方、企業の立場からは保険料負担の増加という直接的なコスト増につながるものであり、その影響を軽視することはできません。 
重要なのは、この改正を契機として自社の雇用実態・就業規則・雇用契約書を見直し、法令に即した労働環境の整備へと歩を進めることです。コスト増を回避するための近道として安易な労働条件の変更に頼ることは、かえって深刻な法的リスクを招くことをご認識いただく必要があります。 
当事務所では、就業規則・雇用契約書の整備、加入手続に関するアドバイス、従業員への説明資料の作成支援、万一紛争が生じた場合の対応まで、貴社の状況に即した形でご支援しております。本改正への対応について、まずはお気軽にご相談ください。

【参考資料一覧】
1.厚生労働省「年収の壁への対応」https://www.mhlw.go.jp/stf/taiou_001_00002.html
2.厚生労働省「年金制度改正法が成立しました」 
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000147284_00017.html
3.厚生労働省「社会保険適用拡大特設サイト」  https://www.mhlw.go.jp/tekiyoukakudai/
4.厚生労働省「キャリアアップ助成金(短時間労働者労働時間延長支援コース)」リーフレット  https://www.mhlw.go.jp/content/001684249.pdf

[1] 厚生労働省「年収の壁」への対応について(https://www.mhlw.go.jp/stf/taiou_001_00002.html
[2] 企業規模要件に関しては、2027年10月から従業員36人以上、2029年10月から同21人以上、2032年10月から同11人以上の事業所が適用対象となり、2035年10月から企業規模要件は完全撤廃されるスケジュールが示されています(厚生労働省「短時間労働者の社会保険の加入拡大のポイント」(2026年1月作成)等)。


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