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グローバルビジネスと人権: 大阪万博未払い問題に見る建設関連の紛争解決インフラの脆弱性

2025年09月09日(火)

グローバルビジネスと人権に関し、「大阪万博未払い問題に見る建設関連の紛争解決インフラの脆弱性」と題したニュースレターを発行いたしました。こちらの内容は、以下のリンクよりPDF版でもご覧いただけます。

グローバルビジネスと人権: 大阪万博未払い問題に見る建設関連の紛争解決インフラの脆弱性

 

グローバルビジネスと人権:
大阪万博未払い問題に見る建設関連の紛争解決インフラの脆弱性

2025年9月
One Asia Lawyers Group
コンプライアンス・ニューズレター
アジアESG/SDGsプラクティスグループ

1. はじめに
2. 大阪万博におけるパビリオン建設に関して生じた問題
3. イングランドを中心に発展してきた新しいADR
4. 日本における紛争解決制度の脆弱性
5. 結論

1. はじめに

国際的な建設プロジェクトでは、契約不履行や代金未払いといったトラブルが頻発し、関係者の生活や事業基盤を揺るがす深刻な問題を引き起こしています。特に近年、日本では国家的なイベントの現場においてさえ同様の課題が顕在化し、既存の紛争解決制度の脆弱さが浮き彫りになりました。本稿では、大阪万博におけるパビリオン建設費用の未払い問題を一例に、日本の現状を整理しつつ、イングランドで発展したAdjudication制度との比較を通じて、紛争解決制度のあり方を考察します。

2. 大阪万博におけるパビリオン建設に関して生じた問題

2025年大阪・関西万博では、海外パビリオンの建設工事において下請け業者への代金未払いが相次ぎ、大きな問題となっています。開幕直前から表面化したこの問題は、開催後も収束する事はありませんでした。万博協会が9月1日に公表したところによれば、未払い相談が寄せられたのは米国、アンゴラ、インド、ウズベキスタン、セルビア、タイ、中国、ドイツ、ポーランド、マルタ、ルーマニアの11か国・11館に及びます。未払いを訴える事業者数は、NHKの報道で少なくとも19社とされ、同一パビリオンで複数の下請けが重なって被害を受けている実態が浮かび上がりました。

背景には、準備の遅れと工期の逼迫があります。当初47館を予定していた海外独自建設型パビリオン(タイプA)は、開幕時に完成したのが10館以下にとどまり、最終的にネパール館が7月にようやく開場するなど、突貫工事が続きました。設計変更や追加作業が頻発するなかで契約内容が不十分なまま工事が進められ、支払トラブルの温床となりました。

被害額は総額不明ですが、個別事例では数千万円から数億円に及びます。たとえば、大阪市の建設会社レゴはドイツ館・セルビア館の追加工事代金3億2800万円余の未払いを主張し、2025年8月に元請けのGLイベンツ・ジャパンを提訴しました。マルタ館でも京都の業者が約1億2000万円の未払いを訴え、従業員への給与遅延や下請けへの連鎖的未払いが発生しています。こうした事例は、個別でも億円規模の未払いが存在することを示しています。

対応を迫られた万博協会は「民間同士の契約問題」として立替払いを拒みつつ、相談窓口の設置や当局との連携を進めました。しかしこの姿勢は被害者から「他人事」と批判されています。経済産業省は再発防止策の検討を開始し、大阪府は建設業法違反を理由に関連企業へ営業停止処分を下すなど、監督権限を行使しました。

一方で、元請け企業を相手取った訴訟や抗議行動も広がっています。GLイベンツ・ジャパンに対しては、7月に大阪市内で被害業者らが抗議デモを実施。被害者の会は署名活動を展開し、8月下旬には約5万筆を集めて公的関与や早期支払いを求めました。こうした動きは、社会的関心の高まりとともに問題解決への圧力を強めています。

今回の未払い問題は、万博という国家的イベントの裏側で突貫工程と契約管理の不備が交錯した結果として発生しました。現在は、個別訴訟による債権回収、行政による監督・是正、主催者への対応要求が並行して進んでおり、今後は最終的な支払いの確定とともに、再発防止に向けた契約スキームや監督体制の強化、人権・労働環境の配慮徹底が問われています。

3. イングランドを中心に発展してきた新しいADR

Adjudication の概要

イングランドにおけるAdjudicationは、建設業界における紛争を迅速かつ実務的に処理するために整備されたADR(代替的紛争解決)制度であり、1996年のConstruction Actに基づいて法定の権利として確立されています。その最大の特徴は、建設プロジェクトの進行を妨げず、資金の流れを止めないよう配慮されている点にあります。請負業者や下請業者、発注者は、支払いや工事の品質、契約違反といった幅広い紛争を対象に、いつでも裁定者に付託でき、しかも決定は原則として28日以内に下されるため、従来の訴訟や仲裁に比べて圧倒的なスピード感を備えています。この迅速性こそがAdjudicationの最大の長所であり、建設現場で頻発する支払い遅延や資金繰りの悪化による倒産リスクを軽減し、プロジェクトの継続性を強力に支えています。

さらに、費用面においても、訴訟と比較すれば格段に低コストで利用でき、しかも建設契約に規定がなくても法律により自動的に適用されるため、当事者にとって利用へのハードルが低いという利便性があります。裁定者は中立的立場から事実と法を積極的に調査し、理由を付した書面決定を行うため、当事者は短期間で一応の「解決」を得ることができます。この暫定的決定は法的拘束力を持ち、遵守されない場合でもTCC(技術・建設裁判所)によって迅速に執行できるため、決定の実効性が確保されている点も大きな安心材料となっています。こうした制度設計により、Adjudicationはイングランドの建設業界において不可欠な役割を果たしてきました。

もっとも、この制度にも一定の限界は存在します。例えば、決定が28日以内という短期間で求められるため、特に複雑な技術的争点を含む事案では、十分な検討が尽くせないまま判断が下される可能性があります。また、費用については「各自負担」が原則であるため、勝訴しても弁護士費用などを相手方から回収できない点は当事者にとって負担となり得ます。さらに、Adjudicationは強制的に暫定的な決定を下す仕組みであるため、調停(Mediation)のように双方の合意を尊重する柔軟な解決手段と比べると、場合によっては当事者間の関係を硬化させる懸念も否定できません。しかし、これらの点はあくまで制度の性質に由来するものであり、建設現場における実務上のスピードと確実性を優先した結果と理解できます。

そのため、Adjudicationは建設業界で広く受け入れられ、今なお進化を続けています。複雑な案件については仲裁や訴訟で最終的な解決を図りつつ、比較的単純な紛争や支払い問題にはAdjudicationを活用し、さらに必要に応じて調停など他のADRと組み合わせることで、より柔軟かつ効果的な紛争解決が実現されています。このように、Adjudicationは迅速性・実効性・コスト効率の面で極めて優れた制度であり、建設業界の健全な発展を支える重要な基盤となっています。

国際的な広がり

イングランドで確立されたAdjudicationは、その有効性から国際的にも注目され、他国にも広がりを見せています。イギリスでは建設業界の実務に不可欠な制度として定着しましたが、その後、シンガポール、マレーシア、ニュージーランド、オーストラリアといったコモンロー諸国を中心に導入が進められました。特にオーストラリアでは州ごとに異なるスキームが整備され、シンガポールやマレーシアでは「セキュリティ・オブ・ペイメント法(Security of Payment legislation)」の名の下で法制化され、支払の迅速確保と建設業界の安定に大きく寄与しています。

また、香港やアイルランドでも制度導入が進められ、欧州大陸諸国でも参照される例が増えてきました。国によって詳細な手続や執行の仕組みには違いがあるものの、「建設業界におけるキャッシュフローを守るため、迅速かつ暫定的な決定を下す」という基本理念は共通しています。

このように、Adjudicationはイギリスで生まれた建設紛争解決の仕組みとして国際的に広がりを見せ、各国の実情に応じた形で制度化されつつあります。その国際的普及は、建設業界における紛争解決のあり方に新たな標準を提示したものといえるでしょう。

4. 日本における紛争解決制度の脆弱性

近年、日本ではビジネスと人権に関連する深刻な人権侵害事案が相次いで明らかになっているにもかかわらず、被害者への救済が十分に進まないという大きな課題が浮き彫りになっています。国際的には、企業活動に伴う人権侵害に対して被害者がアクセスできる救済手段の整備が強く求められており、各国で仲裁やADRを含む多様なメカニズムが導入されつつあります。しかし日本では、被害者が迅速かつ実効的に権利を回復できる仕組みが不十分であり、司法的救済・非司法的救済の双方において制度的な隙間が残されています。

こうした構造的な問題は、ビジネスと人権の文脈にとどまらず、建設業界などの現場でも顕著に現れています。大阪万博の準備において報じられた建設費用の未払い問題はその象徴的な事例であり、大規模な国家的プロジェクトでさえ労務提供者や下請企業が円滑に支払いを受けられない状況が生じています。これは、契約上の権利を実効的に確保するための紛争解決インフラが欠如していることを示しており、プロジェクトの持続可能性や労働者の生活基盤に深刻な影響を及ぼしています。

このように、日本の紛争解決制度は、国際的な人権保護の要請にも、国内で現実に生じている建設業界の未払い問題にも十分に対応できていないのが実情です。今後は、被害者が速やかに救済を得られる手続の整備や、建設業を含む取引関係における支払い確保の仕組みを強化することが急務であり、透明性と公正性を担保した制度インフラの構築が、日本社会における信頼回復のために不可欠となっています。

5. 結論

大阪万博における建設費用の未払い問題は、単なる突発的なトラブルにとどまらず、日本の建設業界および 建設プロジェクトにおける紛争解決インフラの脆弱性を浮き彫りにしました。国際的な「ビジネスと人権」の潮流を踏まえると、迅速かつ実効性のある救済手段が不可欠であることが明白です。

まず、契約書作成時に支払条項や工程変更への対応、下請け管理など、紛争発生リスクを最小化する具体的条項の整備が重要です。また、万一の未払いに備え、迅速な暫定判断や仮差押えなどを活用できる制度的手段の検討・準備が求められます。さらに立法も含めた対応として、Adjudicationのような国際的に成功しているADR制度の仕組みを参考に、日本国内の建設契約における迅速な救済の仕組みの導入を検討することも、有効な対応策となり得ます。

また、企業レベルの取り組みとして、契約管理体制の強化とともに、労働者・下請け業者の権利保護を含めたリスクマネジメントの観点から、プロジェクト全体の支払確保メカニズムを設計することが推奨されます。こうした取組みは、単に法的リスクを回避するだけでなく、プロジェクトの信頼性向上や社会的評価の確保にも直結します。

日本の建設業界における紛争解決の迅速性・透明性・実効性を高めることは、ビジネスと人権の両立という観点からも不可欠であり、法律専門家はその制度設計や運用面で積極的に関与することが強く求められています。 (完)