シンガポール法律コラム 第32回 シンガポールにおけるマネーロンダリングおよびテロ資金供与規制
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シンガポール法律コラム
第32回 シンガポールにおけるマネーロンダリングおよびテロ資金供与規制
2026年7月
One Asia Lawyers Group
日本法・シンガポール法(FPC)・アメリカNY法弁護士 栗田 哲郎
村重 遼花
こんにちは。One Asia Lawyers Group(Focus Law Asia LLC)です。金融の国際ハブであるシンガポールでは、マネーロンダリング(資金洗浄)およびテロ資金供与対策(AML/CFT)に関して、厳格な規制と監督体制が整備されています。2023年に摘発された大規模なマネーロンダリング事件(総額30億シンガポールドル以上の資産が差し押さえ、凍結等の対象とされた事件)は、シンガポールの規制当局に大きな衝撃を与え、規制のさらなる厳格化を加速させました。今号では、シンガポールのマネーロンダリング関連法の概要と必要な対応について解説します。
1.規制の概要
シンガポールにおけるAML/CFT規制は、主にCorruption, Drug Trafficking and Other Serious Crimes (Confiscation of Benefits) Act(CDSA)、Terrorism (Suppression of Financing) Act(TSOFA)および各種業法に基づき、さらにシンガポール金融管理局(Monetary Authority of Singapore(MAS))の各種Noticeやガイドラインが詳細な規制内容を定めています。
CDSAは、犯罪収益の隠匿や移転等を犯罪として規制し、疑わしい取引に関する届出義務を定めています。TSOFAはテロ資金供与を禁止し、制裁対象者への資金提供等を規制しています。各種業法においては、金融機関や貴金属業者等、対象業者が遵守すべき義務が定められています。
AML/CFT対応として特に重要なのが、カスタマーデューデリジェンスです。顧客の本人確認、実質的支配者(Beneficial Owner)の確認、取引目的の確認等を含むものであり、一定の場合には「さらに厳格な顧客管理(Enhanced Due Diligence)」が必要となります。また、法人顧客の場合、株主構成や支配関係を確認できる資料を取得しなければならない点にも注意する必要があります。
2. 疑わしい取引を認識した場合の届出義務
シンガポールのAML/CFT規制の特徴の一つが、疑わしい取引を認識した場合に、「Suspicious Transaction Reporting Office(STRO)」への届出が義務づけられている点であり、届出を怠った場合には、刑事罰の対象となる可能性があります。具体的には、CDSAでは、金融機関に限らず、「あらゆる者(any person)」に対して、犯罪収益に関連する財産や取引に関する疑いを抱いた場合、合理的期間内に届出を行う義務が課されています。これは、銀行等の規制業種のみを対象とする制度ではなく、一般企業や専門家(弁護士、会計士等)にも適用され得る点に特徴があります。
具体的には、以下のような事情がある場合、STROへのReport提出の必要性が問題となります。
- ・取引の経済合理性が不明確である場合
- ・顧客が実質的支配者情報の開示を拒む場合
- ・複雑な法人・信託スキームを利用している場合
- ・制裁対象国や高リスク国との送金が関係する場合
- ・通常の事業内容と整合しない高額送金や現金取引が行われる場合
- ・他人名義口座や第三者経由の不自然な資金移動が見られる場合
届出先であるSTROは、シンガポール警察(Singapore Police Force)のCommercial Affairs Departmentの下部組織であり、提出された情報は捜査機関・規制当局間で共有されることがあります。また、STROにReportを提出した者には一定の法的保護(safe harbor)が認められており、善意で届出を行った場合には守秘義務違反等の責任を問われにくい一方、届出義務違反には刑事罰が科される可能性があるのが特徴です。
さらに重要なのは、「Tipping-off」の禁止です。すなわち、STRを提出した事実や、当局による調査の可能性について顧客等へ知らせることは禁止されており、これに違反した場合も刑事罰の対象となる可能性があります。
したがって、企業としては、疑わしい取引を発見した際に現場担当者からコンプライアンス部門へ適切にエスカレーションできる内部報告体制を整備するとともに、STROへのReport提出要否を判断するプロセスを明確化しておくことが重要となります。
3. 日本の規制との比較
日本では、犯罪による収益の移転防止に関する法律(犯収法)に基づき、金融機関等に顧客確認義務や疑わしい取引の届出義務が課されています。シンガポールとは以下のような違いがあります。
a. 規制対象業種の広さ
日本では、銀行、保険会社、宅地建物取引業者等の「特定事業者」が主な対象です。一方、シンガポールでは金融機関に加え、各種業法により、企業サービスプロバイダー(会社設立代行等、企業向けのサービスを行う業者)、貴金属業者等にも広く規制が課されています。
b. 規制の体系
日本では犯収法が横断的に本人確認義務等を規定していますが、シンガポールでは各業法(銀行法、貴金属法、決済サービス法等)が各分野の業者に対して個別の義務を定めています。加えて、MASが発行するNoticeやガイドラインによって詳細な義務が課されます。 これにより、業態ごとのリスクに応じた細かな規制が適用されるのがシンガポールの特徴です。
c. 実質的支配者確認の厳格さ
日本でも法人顧客の実質的支配者確認は必要ですが、シンガポールでは特に、複雑な株主構成を有する法人や高リスク国との関係がある場合、Enhanced Due Diligenceによる厳格な調査が求められます。
d. 政治的に重要な人物(Politically Exposed Persons、「PEPs」)への対応
日本では、外国のPEPsとの取引では通常より慎重な本人確認が必要とされています。一方、シンガポールでは外国のPEPsに加えて国内の政治的に重要な人物や国際機関の要人に対しても、リスクに応じた追加的な確認が求められます。特に、シンガポールは多国籍企業や外国要人の資産が集まる場所であるため、PEPsとの取引開始においてはEnhanced Due Diligenceが必要になる等、より厳格な調査が求められます。
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項目 |
シンガポール |
日本 |
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基本法令 |
CDSA、TSOFA、各業法、MAS Notice |
犯罪収益移転防止法(犯収法) |
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監督当局 |
MAS、STRO、Singapore Police Force等 |
金融庁、警察庁等 |
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STR届出義務の対象 |
「any person」が対象となり得る。金融機関以外にも広く適用可能 |
主に「特定事業者」に限定 |
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届出先 |
STRO |
所管行政庁経由で警察庁 |
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Tipping-off規制 |
明確に禁止。違反には刑事罰の可能性 |
実務上禁止されることはあるが、シンガポールほど明示的・厳格ではない |
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規制対象業種 |
金融機関、決済事業者、貴金属業者、Corporate Service Provider等広範 |
銀行、証券、保険、宅建業者等の「特定事業者」 |
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実質的支配者確認 |
EDD含め厳格。複雑な海外SPV等にも重点 |
確認義務あり |
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PEPs対応 |
国内PEPs・外国PEPs双方に厳格対応 |
主に外国PEPs中心 |
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執行傾向 |
近年急速に厳格化。大型摘発後に監督強化 |
比較的ルールベース |
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罰則リスク |
刑事罰・ライセンス影響・高額制裁金 |
行政処分・刑事罰 |
4. 企業が注意すべきポイント
シンガポールで事業を展開する企業においては、AML規制に関し以下の点に注意が必要です。
a. 顧客確認手続の整備
取引開始時に顧客情報、実質的支配者、取引目的を確認する内部手続を整備する必要があります。日本本社の基準のみによって運用すると、シンガポール法上、対応が不十分となる場合があります。
b. 高リスク取引への対応
高額現金取引、海外送金、PEPsとの取引、高リスク国との取引等については、さらに厳格な確認手続が必要となる場合があります。
c. 社内教育と届出体制の構築
従業員が疑わしい取引を発見した場合に適切に報告できるよう、社内研修と内部報告体制の整備が必要です。疑わしい取引に該当する可能性を認識したにもかかわらずSTROへの届出を怠ると、刑事罰の対象となる可能性があります。
5. まとめ
シンガポールのマネーロンダリング規制は、対象業種の広さや監督の厳格さが特徴です。特に、顧客確認義務や疑わしい取引の届出義務は厳格に運用されるため、日本企業であっても現地規制に即した体制整備が不可欠です。
シンガポールで事業を行う企業は、現地の規制を踏まえた社内手続の整備と継続的な見直しにより、コンプライアンスリスクを低減し、安定した事業運営につなげることができるでしょう。
※本稿は、シンガポールの週刊SingaLife(シンガライフ)において掲載中の「シンガポール法律コラム」のために著者が執筆した記事を、ニューズレターの形式にまとめたものとなります。
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