• Instgram
  • LinkeIn
  • Lexologoy

グローバルビジネスと人権: 今さら聞けない素朴な疑問: 【第1回】「会社のルール」って、いったい何のためにあるの?【2026年】

2026年06月03日(水)

「グローバルビジネスと人権:今さら聞けない素朴な疑問: 【第1回】「会社のルール」って、いったい何のためにあるの?【2026年】」に関するニュースレターを発行いたしました。こちらの内容は、以下のリンクよりPDF版でもご覧いただけます。
グローバルビジネスと人権: 今さら聞けない素朴な疑問: 【第1回】「会社のルール」って、いったい何のためにあるの?【2026年】

グローバルビジネスと人権:
今さら聞けない素朴な疑問:
【第1回】「会社のルール」って、いったい何のためにあるの?【2026年】

2026年5月 One Asia Lawyers Group
コンプライアンス・ニューズレター
アジアESG/SDGsプラクティスグループ

はじめに

このシリーズは、「ビジネスと人権」に関する基礎知識を、高い理論水準を維持しながらわかりやすく説明するために対談形式をとっています。この分野の進展は早く、3年前に公表したバージョンが古くなってしまったため、2026年版を作成することにしました。 今回の3回の面談は、 昨年入社したばかりのCくんが、法科大学院時代にセミナーで一度だけ面識のあったD先生に、突然メッセージを送ったのがきっかけです。「お忙しいところ大変恐縮です。一度だけ、お話を聞かせていただけないでしょうか」——そんなメッセージを受け取ったD先生は、少し驚きながらもズームでの面談に応じてくれました。それが第1回の面談。ところが次の面談につながり、さらにまた次へ。Cくんが「これが最後のお願いです」と言いながら3回目の約束を取り付けたのは、D先生も苦笑しながら了承したからでした。

登場人物

【C くん(26歳)】今春、大手製造業グループの法務部に配属された2年目社員。法科大学院は卒業したが司法試験はまだ先の話。好奇心は旺盛だが、見当外れな質問も多い。でも諦めない。
【D 先生(47歳)】企業法務・ビジネスと人権を専門とする弁護士。LL.M.取得後、NGO活動も経験。淡々と話すが、頭の中は驚くほど整理されている。周囲からは「D先生に聞けばどんな複雑な問題でも3行で整理してくれる」と言われている。

舞台設定(第1回)

C くんが勤める法務部のフロアには「Innovation for a Better World」というミッションと「誠実・挑戦・協働」というコアバリューが書かれたポスターが貼ってある。毎朝それを見ながら書類チェックに追われている。ある夜、意を決して D 先生とオンラインでつないだ。

Q1 ミッション・ビジョン・コアバリューって、壁の飾りですか?
【C くん】先生、いきなりですみません。うちの法務フロアに『Innovation for a Better World』って書いてあるポスターがあるんですが、あれって……正直、インテリアですよね? 私の仕事と何か関係あるんでしょうか。
【D 先生】その正直さは評価します。でも惜しい——あのポスターが、実は君の仕事の判断軸になるはずなんです。まず少し経営学の話から入りますね。 ミッション(Mission)は「自社は何のために存在するか」、ビジョン(Vision)は「どこへ向かうか」、コアバリュー(Core Values)は「どんな価値観で動くか」——この3セットは、企業の存在理由と行動原則を言語化したものです。 ここで重要なのがピーター・ドラッカーです。彼の主著のひとつ『経営者の条件』(1966年)は、組織のリーダーが「何に集中すべきか」を問い続けた本ですが、その根底にある問いは「企業はそもそも何のために存在するのか」です。
【D 先生】ドラッカーはこう言っています。『企業の目的は利益を出すことではない。利益はビジネスを持続させるための条件にすぎない。企業の目的は顧客を創造することだ』と。1973年の著書『マネジメント』にある言葉です。
【C くん】え、それって、利益を追求しなくていいってことですか? 会社法の授業では株主への利益還元が最重要って習ったんですが……
【D 先生】そこが面白い。ドラッカーは利益を否定していません。むしろ『利益は未来のためのコスト』と言っています。不確実な明日に備えるための資本であり、イノベーションへの投資原資です。つまり利益は、目的ではなく結果なんです。
【C くん】……なるほど。じゃあ、うちのポスターの『Innovation for a Better World』は、コンプライアンス担当の私とも関係があると?
【D 先生】深く関係しています。それが次の話につながります。

📚 推薦図書 経営者の条件 P.F.ドラッカー著、上田惇生訳(ダイヤモンド社) → ドラッカーの著作で最も実践的な一冊。「何に集中するか」「強みとは何か」「時間をどう管理するか」——若い法務担当者が今すぐ使えるフレームワークが詰まっています。薄くて読みやすいのも美点。

Q2 コンプライアンス=法令遵守、じゃないんですか?
【C くん】コンプライアンスって、法律を守ることですよね? 私の上司も『書類の期限を守らせることが仕事だ』と言っています。
【D 先生】それは日本特有の理解です。グローバルな文脈では、コンプライアンスはもっと広い。

日本でコンプライアンスが「法令遵守」として定着した背景には、1990年代のバブル崩壊があります。金融機関の経営危機を受け、スイスのバーゼル銀行監督委員会が内部統制システムの導入を強く求めました。この流れで、金融庁のマニュアルを守ることがコンプライアンスと呼ばれるようになりました。 一方、アメリカでのコンプライアンス文化の出発点はウォーターゲート事件(1972年)です。多国籍企業が政府高官へ賄賂を渡す構造が明らかになり、連邦議会は1977年に海外腐敗行為防止法(FCPA)を制定。企業に適正な会計処理と内部統制の整備を義務付けました。

【D 先生】この流れを受けて設立されたのがCOSOです。COSOとは不正財務報告全米委員会(トレッドウェイ委員会)の支援組織委員会の略で、1992年に『内部統制の統合的フレームワーク』を公表しました。ここでの内部統制は、単に法令を守るだけでなく、企業が目的に即して効率的に機能するための仕組み全体を指しています。
【C くん】……つまり、コンプライアンスは『書類を期限通りに出させること』じゃなくて、もっと根本的な話?
【D 先生】そうです。書類の期限遵守は手段にすぎません。それが会社のミッション実現に資するかどうかが本質的な問いです。コンプライアンスとは、自社のミッションとパーパスに沿って誠実に事業を行うこと、そのための体制づくりです。
【C くん】……じゃあ、私が毎朝見ているあのポスター、もしかして本当に大事?
【ポイント】コンプライアンス=法令遵守は日本特有の理解。グローバルには「会社のミッション・パーパスに沿った誠実な事業体制の構築」を意味する。ポスターは飾りではない。 Q3 内部統制とリスクマネジメント、どう違うんですか?

【C くん】先生、COSOって内部統制のフレームワークだと言いましたが、調べてみたら同じCOSOが『エンタープライズリスクマネジメント(ERM)』というものも出していました。これって別物なんですか? 正直、よくわかりません。
【D 先生】面白いところに目をつけた。これは多くの企業の実務家も混乱している点です。

COSO自身が定義しているように、内部統制はERMの一部です。関係を一言で言えば:

【D 先生】内部統制はいわば『守りのシステム』です。法律を守り、不正を防ぎ、財務報告を正確に保つ。これは必要不可欠ですが、それだけでは不十分です。ERMはそこからさらに踏み込んで、リスクを機会に転換し企業価値を高める視点を加えます。
【C くん】うちの会社も、最近ERM委員会みたいなものができたと聞きました。でも法務部とは別のチームで、正直よくわかっていませんでした。
【D 先生】法務部こそERMと連携すべきです。特に人権DDや規制コンプライアンスのリスクは、ERMの枠組みで『企業全体のリスク』として捉え直すと戦略的な意味が明確になります。J-SOX中心の内部統制だけでは、気候変動やサプライチェーン人権侵害といった非財務リスクには対応しきれません。
【ポイント】内部統制(守りの仕組み)をERMに統合することで、人権・気候変動などの非財務リスクを戦略レベルで管理できる。法務担当者はERMとの連携を意識すべき。

Q4 SDGsとESG、うちの部署でも混同されています。違うんですか?
【C くん】先生、会社でSDGsとESGって言葉がよく使われるんですが、上司も先輩も何となく同じ意味で使っているような気がして……実は私もよくわかっていません。
【D 先生】正直に言えたのは大事です。実際、この2つを明確に区別できている人は少ない。でも法務担当者として、ここは正確に整理しておく価値があります。

まず定義から確認しましょう。

【D 先生】一言で言えば、SDGsは『目的地』、ESGは『そこへ向かうための企業用ナビゲーション』です。ESGを実践することで、企業はSDGsへの貢献を形式的な目標設定ではなく、実効的なリスク管理として実現できます。
【C くん】なるほど! でも先生、ESGって最近流行りすぎていて、正直うさんくさい感じもあるんですが……
【D 先生】その疑念は大切にしてください。『SDGs経営』や『ESG投資』が流行語化し、実態を伴わない形式的な対応が広がっていることは事実です。それがグリーンウォッシング問題へとつながります。EUでは根拠のない環境主張に対して売上高最大4%の制裁金が科される規制(グリーンクレーム指令)の整備が進んでいます。日本でも景品表示法上のリスクがあります。
【C くん】つまり、パーパスやSDGsをうたうだけで実態が伴わなければ、法的リスクにもなる、と。
【D 先生】そういうことです。法務担当者がESGやSDGsに関わる理由がそこにあります。
【ポイント】SDGsは『目的地』、ESGは『企業用ナビ』。人権DDはその実践ツール。形式的な対応はグリーンウォッシングとなり、法的リスクを生む。

📚 推薦図書 『ネット・ポジティブ』 ポール・ポールマン、アンドリュー・ウィンストン著(日本経済新聞出版) → ユニリーバの元CEOが書いた、パーパス経営の最前線。格好いい声明と現実の経営の距離について驚くほど正直に書かれています。SDGsやESGを『実際に経営に組み込む』とはどういうことかを、当事者の生々しい言葉で知ることができます。

📋 第1回 これだけは覚えておこう! 

・コンプライアンスとは「法令遵守」より広い概念。会社のミッションに沿った誠実な事業体制の構築を意味する(グローバルスタンダード)。
・内部統制(守りの仕組み)とERM(攻めの戦略ツール)は別物だが統合して機能する。法務担当者はERMとの連携を意識すること。
・SDGs=目的地、ESG=企業用ナビゲーション、UNGPs=実践ツール。三者はセットで理解すること。 
・パーパスやSDGsを掲げるだけで実態が伴わなければ、グリーンウォッシングとして法的リスクを生む。法務担当者の目の見せどころ。

▶ 次回予告:第2回「サプライチェーンの深部で何が起きているのか——人権DDの哲学と実務、そしてAI時代の法務」 (本稿の執筆にあたり、AI(Claude, Anthropic)を草稿作成・校正に活用した。これはAIの強みを執筆プロセスに意図的に組み入れることで、論考の質を高めることを目指した積極的な選択である。 当然ながら、内容・法的判断・文責はすべて著者に帰属する。)