グローバルビジネスと人権: ジャニーズ事件に関する米国訴訟と国際裁判管轄権
グローバルビジネスと人権に関し、「ジャニーズ事件に関する米国訴訟と国際裁判管轄権」と題するニュースレターを発行いたしました。こちらの内容は、以下のリンクよりPDF版でもご覧いただけます。
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グローバルビジネスと人権:
ジャニーズ事件に関する米国訴訟と国際裁判管轄権
2025年10月
One Asia Lawyers Group
コンプライアンス・ニューズレター
アジアESG/SDGsプラクティスグループ
1.はじめに事件のタイムライン
2.日本とアメリカの国際裁判管轄権
3.アメリカの裁判所における管轄の考え方
4.フォーラム・ノン・コンヴィニエンスの考え方
5.結論
1 はじめに
ビジネスと人権に関する紛争は近年増加の一途をたどっており、その波及効果は企業活動の枠を超えて司法の在り方にも影響を及ぼしています。ジャニーズ事件はその典型であり、日本国内にとどまらず、米国ネバダ州においても被害者による民事訴訟が提起され、大きな注目を集めています。訴訟提起は市民に広く認められた基本的権利であり、重大な人権侵害事案においてこれを妨げることは許されません。他方で、日本で発生したとされる事案が、なぜ米国の裁判所で扱われるのかという点については、多くの人が疑問を抱くところでしょう。本ニュースレターでは、この問題を切り口に、米国の裁判管轄制度を平易に解説するとともに、日米の訴訟制度の相違を理解する ことを目的とします。なお、米国訴訟の大きな特徴であるディスカバリー制度については、別号にて取り上げる予定です。
2 事件のタイムライン
ジャニー喜多川氏の性的虐待疑惑は、長年にわたって断片的に報じられてきましたが、2023年3月、BBCがドキュメンタリー『J-POPの捕食者:秘められたスキャンダル』を放送したことで国際的な注目を浴びました。
この報道を契機に、ジャニーズ事務所は外部の専門家による調査を実施。報告結果を受け、事務所は事実を認めて謝罪し、藤島ジュリー景子社長は辞任。東山紀之氏を中心とする新体制が発足し、被害者救済委員会が設置されました。
補償については、公式発表によれば、当初通知を受けた547名のうち、538名が提示された補償条件に合意したとされています。
国内でこうした対応が進む一方、海外でも訴訟が展開されています。2024年12月、元ジャニーズJr.の2人は、1997年3月と2002年8月にラスベガスのホテルで喜多川氏から性的加害を受けたと主張し、ネバダ州クラーク郡地方裁判所に対し、SMILE-UP、Starto Entertainment、喜多川氏の遺産関係者、経営陣個人、MGMリゾーツなどを被告として、総額3億ドル(約450億円)を求める訴えを提起しました。
これを受け、2025年2月にSMILE-UP. は、これら原告らを相手に、補償枠組みに応じない以上、会社に補償義務がないとの確認を求める訴訟を東京地裁に起こしました。
現在、米国訴訟では管轄権や時効適用、証拠開示の可否、経営陣の認識や隠蔽の有無などが争点になる可能性が指摘されています。 このように現在、 国境をまたいで法的な攻防が展開されている状況です。
3 日本とアメリカの国際裁判管轄権
現在、この事件は日本とアメリカで並行して民事訴訟が進行しています。各国の裁判管轄は独立して判断されるため、日本で管轄が認められたとしても米国で否定されることはなく、逆に米国で認められたからといって日本で排除されるわけでもありません。両国間に国際的な取り決めが存在しない以上、同一の事案について日米で同時に裁判が行われることは避けられないと考えられています。
日本における訴訟は、当事者がいずれも日本人であり、日本国内で発生した性的虐待を対象としているため、純粋な国内事件として扱われます[1]。その結果、日本の裁判所は民事訴訟法に基づく土地管轄の規定に従い、当然に裁判管轄権を有することになります。具体的には、日本で提起されている訴訟はSMILE-UP.が原告となり、元ジャニーズJr.らを被告とする債務不存在確認訴訟です。ここでは米国ネバダ州の訴訟と立場が逆転しており、SMILE-UP.が自らの補償義務の不存在を確認することを求めています。
一方、米国ネバダ州での訴訟は、原告である元ジャニーズJr.の二人がラスベガス滞在中に被害を受けたと主張する不法行為責任に基づく損害賠償請求です。事実関係は日本訴訟とは異なるものの、いずれもジャニー喜多川氏による性的虐待をめぐる紛争であり、両者は密接に関連しています。原告らが米国で訴訟を選んだ背景にはいくつかの理由が考えられます。第一に、損害賠償額の水準の違いです。 こうした事件において日本では数百万円から高くても一千万円程度にとどまると推測されるのに対し、米国では損害賠償額の水準が高いのに加えて懲罰的損害賠償制度により、勝訴すればはるかに高額の賠償が認められる可能性があります。第二に、米国訴訟の特徴であるディスカバリー(証拠開示制度)の存在です。これにより関係者や企業を幅広く被告に加えることが可能であり、事件全体の実態解明を進める有効な手段となります。さらに、ネバダ州ではこの種の事件に時効が適用されないことも、原告が米国での提訴を選択した大きな理由の一つと考えられます。
4 アメリカの裁判所における管轄の考え方
アメリカの裁判所における裁判管轄権は、伝統的に「事物管轄」と「人的管轄」という二本柱に基づいて判断されます。
事物管轄
事物管轄は、裁判所がどのような事件を扱えるかを定めるもので、 連邦裁判所と各州の裁判所の関係を考える上で特に重要です。連邦裁判所の場合は憲法および連邦法によって厳格に制限されています。典型例としては、連邦法を根拠とする訴訟や、当事者が異なる州に属し、かつ訴額が一定額を超える場合に認められる「多様的管轄(diversity jurisdiction)[2]」が挙げられます。一方、州裁判所は原則として「一般的管轄」を有し、民事・刑事を問わず幅広い紛争を扱うことができます。
人的管轄
これに対し、より多くの議論を呼んできたのが「人的管轄」です。これは「どの事件を扱えるか」ではなく、「どの被告を裁判所での審理に引き込めるか」という問題です。アメリカの判例法は、被告が州に居住している場合や州内で送達を受けた場合に加え、「最低限の接触(minimum contacts)」がある場合にも管轄を認めてきました。
この基準を確立したのが、1945年のInternational Shoe Co. v. Washington事件です。この事件では、ミズーリ州の靴会社がワシントン州に販売員を派遣し継続的に営業活動を行っていたことが問題となりました。連邦最高裁は、被告が「州との間に継続的かつ体系的な接触」を有し、それが
「公正で合理的かつ予測可能な負担」である限り、その州の裁判所に管轄を認めることができると判示しました。この判断は、従来の「物理的な所在」や「直接送達」といった形式的基準から一歩踏み出し、現代の取引実態に即した柔軟な基準を打ち立てた点で画期的といえます。
ネバダ州法における人的管轄の特徴
この「最低限の接触 (minimum contacts)」論が特に重みを持つのがネバダ州です。同州は観光・娯楽産業に依存しており、ラスベガスのホテルやカジノには世界中から観光客が集まります。州外企業や外国事業者がこの市場に関与するのは常態化しているため、ネバダ州裁判所は「州内での接触」を比較的広く認める実務を形成してきました。広告活動、契約交渉、ホテルでの取引やイベント参加といった行為であっても「最低限の接触」に該当すると評価されやすく、時に「州に一歩足を踏み入れれば管轄が及ぶ」と言われるほどです。
この点を具体的に示したのが、2000年のJones v. GNC Franchising事件です。同事件では、被告企業が州内に物理的拠点を有していなかったものの、フランチャイズ契約や継続的なビジネス活動を通じてネバダ州市場にアクセスしていたことから、裁判所は「意図的な関与」があったと判断し、州裁判所の管轄を肯定しました。この判例は、インターネット取引や州をまたぐビジネスが増加する現代において、従来よりも広く管轄を認める方向性を示しています。そのため、ネバダ州において行為の一部が発生した場合や、被告が同州と継続的な関わりを持っている場合には、裁判管轄が肯定される可能性が高いといえます。
ここには、「観光産業の健全性を守ることが州全体の利益に直結する」という、ネバダ州特有の司法感覚が色濃く表れています。
このようにアメリカの裁判管轄権論は理論上「事物管轄」と「人的管轄」の二本柱に整理されますが、実務においては各州の産業構造や政策的背景が大きく影響します。
この点は、現在ネバダ州で争われているジャニーズ性加害事件に関する訴訟を理解する上でも重要です。
5 フォーラム・ノン・コンヴィニエンスの考え方
裁判管轄が認められた場合でも、アメリカの裁判所ではフォーラム・ノン・コンヴィニエンス(Forum Non Conveniens, FNC)の抗弁が考慮されることがあります。これは、訴えを提起すること自体は可能であっても、その裁判地が紛争解決の場として著しく不適切または不公平と認められる場合に、裁判所が訴えを却下できる仕組みです。
一般的な考え方
一般的に、アメリカの裁判所では原告が選択したフォーラムは強く尊重され、被告が「他の裁判地の方がはるかに適切である」と立証しなければFNCは認められません。裁判所はこの判断にあたり、証拠や証人の所在地、当事者の便宜といった私的利益要因に加え、裁判地の利害、陪審員の負担、法適用の適切性などの公的利益要因を総合的に考慮します。
連邦裁判所の判例としては、Jones v. GNC Franchising, Inc.(第9巡回区控訴裁判所、2000年)で原告の選択したフォーラムが強く尊重されるべきとされ、またLueck v. Sundstrand Corp.(同、2002年)で例外的にニュージーランドが適切とされるなど、FNCの適用が極めて限定的であることが示されています。もっとも、これらは連邦裁判所の基準であり、州裁判所では必ずしも同一の枠組みが機械的に適用されるわけではありません。
ネバダ州の裁判所における考え方
ネバダ州の裁判所においても基本的な考え方は同様で、原告のフォーラム選択が尊重されつつ、被告が「圧倒的に他のフォーラムが適切である」と立証しない限り、FNCは認められにくいとされています。特にネバダ州はラスベガスを中心に観光・娯楽産業を抱える州であり、州外や国外からの訪問者が被害を受けた場合であっても、加害行為が州内で一部でも行われていれば、自州の司法権行使を肯定する傾向が強いと指摘されています。これは訪問者保護が州にとって重要な公共的利益であるためです。
結論として、ジャニーズ事件のように一部の加害行為がネバダ州内で行われたとされる事案では、州裁判所がフォーラム・ノン・コンヴィニエンスを理由に訴えを却下する可能性は低く、被告がネバダ州の裁判管轄を回避するのは容易ではありません。そのため、原告にとってネバダ州は訴訟地として安定性が高いと考えられます。
6 結論
以上で説明したように、本件ジャニーズ事件に関し、ネバダ州の裁判所が管轄を認める可能性は高いと考えられます。被害がネバダ州内のホテルにおいても発生したのであれば、州裁判所が「最低限の接触(minimum contacts)」を認定することはほぼ必至であり、さらにネバダ州特有の観光産業保護の観点からも、州が訴訟を受理する合理的利益は明白です。加えて、フォーラム・ノン・コンヴィニエンスの抗弁が成立する余地も限定的であり、訴えが却下される見込みは低いと考えられます。
アメリカの裁判管轄理論は日本とは大きく異なり、判例を基盤とした柔軟かつ政策的な判断が色濃く反映されます。しかし、一方で、日本法における民事訴訟法第3条の9が「特別事情により管轄権を行使すべきでない場合」の規定を設けているように、両国とも「司法資源の適切な配分」や「当事者にとっての合理性」を考慮する点では共通しています。
このように、本件は日米双方の管轄権の枠組みを比較する上で示唆に富む事例であり、日本における今後の国際訴訟実務を考える上でも貴重な素材を提供するものといえるでしょう。 (完)
[1] ここでは参考のために、国際的な要素を持った民事事件に関して、日本ではどのような考え方で裁判管轄が認められるかについて次のような事例をもとに考えてみます。
「アメリカの芸能プロダクションが映画のプロモーションのために米国人の監督を伴って来日し、その際に東京のホテルにおいて同じ映画に出演していた日本人タレントが米国人監督から性的虐待を受けました。」
このような国際的要素を含む民事事件において、日本の裁判所に国際裁判管轄が認められるか否かは、民事訴訟法第3条の2以下の「国際裁判管轄」 に関する規定に基づいて判断されます。まず、民事訴訟法第3条の3は「不法行為に関する訴え」について定めており、不法行為地の裁判所に管轄が認められます。本件のように性的虐待という不法行為が東京のホテルという日本国内で行われた場合、日本の裁判所に国際裁判管轄が認められることは明らかです。また、監督個人のみならず、監督を雇用しプロモーションのために派遣したアメリカのプロダクションに対しても、使用者責任や共同不法行為責任を根拠に訴えることが可能であり、この場合も行為地が日本であるため、日本の裁判所に管轄が認められることになります。
もっとも、ここで重要なのは民事訴訟法第3条の9です。同条は「日本の裁判所が管轄権を有する場合であっても、事件を日本の裁判所で審理し裁判することが著しく不適当である特別の事情があるときは、裁判所は訴えを却下することができる」と規定しています。これは アメリカやイギリスにおける「フォーラム・ノン・コンヴィニエンス」 と類似した考え方を反映した規定です。
したがって、本件のように不法行為地が日本国内である以上、原則として日本の裁判所は国際裁判管轄を有しますが、仮に事件の証拠の大半が米国に存在し、関係証人の多くが米国に居住し、米国の裁判所での審理の方が合理的であると認められる場合には、第3条の9に基づいて訴えが却下される可能性も残されています。ただし、被害者が日本人であり、日本で被害が発生したという事実は、日本の裁判所に審理を委ねるべき合理性を強く基礎づけるため、実際に却下が認められる可能性は相対的に低いと考えられます。
このように、日米の国際裁判管轄に対する考え方に違いはあるものの、共通する面も見られます。
[2] アメリカ合衆国における「多様的管轄(diversity jurisdiction)」とは、州裁判所と連邦裁判所の管轄の分担を調整するために設けられた制度であり、憲法第3条および連邦法(28 U.S.C. §1332)に基づいて規定されています。この制度の目的は、州ごとに異なる利害関係や偏りの可能性から当事者を保護し、中立的な連邦裁判所で公正な裁判を保障することにあります。
具体的には、原告と被告の当事者が「完全な州籍の多様性(complete diversity)」を有していること、すなわち、全ての原告と全ての被告が異なる州に属している、あるいは一方が外国籍で他方がアメリカ市民であるといった場合に、連邦裁判所に提訴することが可能となります。ただし、外国籍の者同士のみの訴訟や、外国籍の者が両当事者に含まれて州籍の多様性が失われる場合などには認められません。
また、もう一つの重要な要件は訴額要件です。すなわち、請求額が75,000ドルを超えることが必要とされます。この基準を満たさない場合には、たとえ州籍の多様性が存在していても連邦裁判所の管轄は認められません。
多様的管轄が認められる場合でも、連邦裁判所は州法を適用して紛争を解決することになります。これは「エリー判決(Erie Railroad Co. v. Tompkins, 1938)」で確立された原則で、手続的事項は連邦法に従う一方で、実体的な法律問題は州法を適用することとされています。したがって、連邦裁判所は州裁判所に代わって州法紛争を裁く「中立的な場」として機能するのが特徴です。

