日本:裁判例紹介 ~経歴詐称を理由として中途採用の内定が取り消された事例~
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裁判例紹介
~経歴詐称を理由として中途採用の内定が取り消された事例~
2025年11月18日
One Asia Lawyers 東京オフィス
弁護士 山村 響
弁護士 山本博人
弁護士 楠 悠冴
弁護士 柴﨑秀之
第1 概要
本稿で紹介する裁判例(東京地裁令和6年7月18日労働判例1333号63頁。以下「本裁判例」といいます。)は、中途採用の内定者が採用選考過程で虚偽の経歴を申告していた事実が判明したことを理由に会社が行った採用内定の取消しが有効であると判断しました。なお、本裁判例は、原告より控訴されていますが、高等裁判所においても、本裁判例の判断は支持されています(東京高裁令和6年12月17日労働判例1333号58頁)。
採用内定の法的性質に関しては諸説ありますが(採用内定の法的性質に関する議論については割愛します。)、現在の実務では、採用内定によって内定者と企業との間に労働契約が成立するが、この労働契約には始期及び解約権留保が付されている、という始期付解約権留保付労働契約成立説が通説となっています(大日本印刷事件-最二小判昭和54年7月20日民集33巻5号582頁、電電公社近畿電通局事件-最二小判昭和55年5月30日民集34巻3号464頁参照)。
ただし、解約権が留保されているといえど、この留保された解約権を行使する場合には、その許容性が問題となり、裁判所は、企業の行う採用内定取消しに対して厳しい態度をとる傾向があるとされています(菅野和夫・山川隆一著「労働法」【第十三版】267頁。オプトエレクトロニクス事件-東京地判平成16年6月23日労判877号13頁、ドリームエクスチェンジ事件-東京地判令和元年8月7日労経速2405号13頁。)。実際、大日本印刷事件においては、新卒採用の内定取消しに対する判断にはなりますが、留保解約権の行使に関して、厳しい判断枠組みを示しています。
本裁判例は、この厳しい判断枠組みが中途採用に対する内定取消しにも妥当することを示しながら、それでもなお、採用内定の取消しが有効であると判断しており、この点に特徴があると言えます。労働市場の流動化が進み、中途採用が増加する昨今において、いかなる場合に中途採用の採用内定取消しが許容されうるのかを分析することは、企業側、労働者側双方にとって重要です。
以下、本裁判例の事案の概要及び判旨の紹介、筆者による分析を行っていきます。
第2 本裁判例の概要及び判旨
1 訴訟に至るまでの経緯
⑴ 被告は、コンサルティング業務を主たる事業とする株式会社です。原告は令和4年初め頃、履歴書および職務経歴書を提出したうえで、被告の中途採用に応募しました。原告は履歴書において、平成23年4月から一貫して個人事業主として稼働してきた旨を申告し、職務経歴書においても、自らが個人事業主であることを前提に令和4年3月まで職務経歴に空白期間なく稼働していた旨の申告をしていました。
⑵ 被告は、二度の面接を経て原告を採用することを決定し、令和4年5月30日、原告に対しオファーレター(以下「本件オファーレター」といいます。)や雇用契約書(以下「本件雇用契約書」といいます。)を送付して、原告がこれを承諾する形で、採用内定となりました。ただし、本件オファーレターには、「このオファーとあなたの雇用は、あなたが雇用契約書に記載されている『条件』(これには雇用前の精査(すなわちバックグラウンドチェック)、雇用前の健康診断、第三者からの機密または重要な情報の当社への持ち込みまたは使用の禁止を含むがこれに限らない)を満たすことを前提としていることに留意してください。」との記載がされており、本件雇用契約書には、オファー撤回条件の一つとして、「会社による、標準的な経歴調査に対し全面的に協力し、当該経歴調査を問題なく完了させること」が定められていました(本件雇用契約書第4条)。
⑶ 採用内定後、被告がバックグラウンドチェックを実施したところ、原告が申告していなかった、直近1年間におけるG社(令和3年6月~同年11月)、H社(令和4年3月)との雇用関係、及び職歴の空白期間(令和3年12月~令和4年2月)が判明しました。
なお、原告は、G社及びH社との雇用関係の解消を巡って、各社との間で紛争が生じていました。
⑷ 被告は令和4年8月30日、原告に対し、故意の虚偽申告が明らかであり、被告の求める高いコンプライアンス意識を保持していないと判断したとして、採用内定を取り消しました。
2 本裁判例の判旨
本裁判例は、本件における内定の取消しの有効性判断について、大日本印刷事件、電電公社近畿電通局事件を参照したうえで、判断枠組みを示し、事案に即した考慮要素を検討したのち、結論として、内定取消しを有効と判断しています。
⑴ 判断枠組み
| (採用内定によって、原告と被告の間に雇用契約が成立したことを前提として、この雇用契約では、)採用内定期間におけるバックグラウンドチェックを含む経歴調査の実施が合意された上で、本件雇用契約書第4条の上記条件を満たさなかった場合の一態様として、当該経歴調査により、原告が被告に提出する履歴書等の書類に虚偽の記載をし、真実を秘匿して経歴を詐称したことが判明した場合には、これを原因として被告には原告との上記雇用契約を解約し得る旨の解約権が留保されたものと解するのが相当である。 もっとも、雇用契約の締結に際しては企業者が一般的には個々の労働者に対して優越した地位にあり、かつ、採用内定を受けた者は当該企業との雇用関係の継続についての期待の下に他企業への就職の機会と可能性を放棄するものであることは、いわゆる中途採用に当たる本件採用内定に当たっても同様に妥当することを考慮すると、上記解約権の行使は、採用内定当時知ることができず、また知ることが期待できないような事実であって、これを理由として採用内定を取り消すことが解約権留保の趣旨、目的に照らして客観的に合理的と認められ社会通念上相当として是認することができるものに限られるものと解するのが相当である。 そうすると、本件では、バックグラウンドチェックを含む経歴調査により、単に、履歴書等の書類に虚偽の事実を記載し或いは真実を秘匿した事実が判明したのみならず、その結果、労働力(原文ママ)の資質、能力を客観的合理的に見て誤認し、企業の秩序維持に支障をきたすおそれがあるものとされたとき、又は、企業の運営に当たり円滑な人間関係、相互信頼関係を維持できる性格を欠いていて企業内にとどめおくことができないほどの不正義性が認められる場合に限り、上記解約権の行使として有効なものと解すべきである。 |
⑵ 具体的検討
ア 虚偽の申告をした事項
| 原告が虚偽の申告をした事項は、原告の経歴のうち、職歴という労働者の職務能力や適格性を判断するための重要な事項であった。そして、使用者が労働者を雇用するに当たり、職歴を申告させる理由は、その申告された職歴に基づいてその労働者の職務能力や従業員としての適格性の有無を的確に判断するためであり、そうであるからこそ、被告においても、本件履歴書及び本件職務経歴書の提出に当たり「提出した書類の記載内容はすべて正確であり、採用審査で誤判断を招くような虚偽の記載や隠れた事実はありません。」との免責事項の確認を求めているものと推認できる。原告は、上記免責事項に「はい。」と回答した上で本件履歴書及び本件職務経歴書を提出した以上、信義に従い真実を記載すべきであったにもかかわらず、G社及びH社について、本件履歴書及び本件職務経歴書にそもそも雇用関係があった旨の記載をせず、虚偽の申告をしたものであって、背信行為といわざるを得ない。 |
イ 虚偽の申告をした動機
| そこで、その背信性に関し、原告が本件履歴書及び本件職務経歴書に真実の職歴を記載しなかった動機について検討を進めると、・・・原告は、G社及びH社の職歴を本件履歴書及び本件職務経歴書に記載すれば、これらの雇用関係の解消を巡り上記各社との間で紛争が生じたことが明らかになる可能性があり、自己の採用に不利益に働くと考えたからこそ、上記各社との紛争の存在が被告に発覚する端緒となるような上記各社との雇用関係や上記各社との雇用関係の間の職歴の空白期間について、真実を申告しなかったものと推認される。かかる動機からすると原告の背信性は高い。 |
ウ 秘匿した事項
| これらの虚偽の申告事項や動機からすれば、原告が本件履歴書及び本件職務経歴書において虚偽の申告をして秘匿した事項は、単にG社及びH社との各雇用関係という事実それ自体のみならず、上記各社との雇用関係の解消を巡る紛争の存在であったと認めるのが相当である(なお、上記各社との紛争の存在自体は、本件内定取消し前に、本件バックグラウンドチェックを踏まえて行われた面接時に初めて被告に判明している。)。そして、G社及びH社と原告との紛争の態様は上記のとおりであり、上記各社のいずれも、従業員であった原告に帰責事由があるとの認識で原告との雇用関係の解消に至ったものであったことが認められることからすると、その法的な当否はおくとしても、これらの事実は、被告にとって原告の採否の判断において従業員としての適格性に関わる重要な事項たり得るものであったといえる。 |
エ 虚偽申告の方法や態様
| 原告の行為は、故意による経歴詐称というべきものであり、詐称の態様としても、上記動機の下に、なるべく秘匿の事実が発覚しないようにしていたと推認できるものであって、不正義である。 |
⑶ 結論
| 原告が本件履歴書及び本件職務経歴書に真実と異なる記載をしたことは、被告において本件採用内定当時は知ることができなかった事実であって、原告が虚偽の申告を行った動機や秘匿した事項、秘匿の方法や態様などを考慮すれば、原告が被告の運営に当たり円滑な相互信頼関係を維持できる性格を欠き、企業内にとどめおくことができないほどの不正義性が認められるのであるから、本件内定取消しは、客観的に合理的と認められ、社会通念上相当として是認することができるものといえる。 |
第3 筆者による分析
本裁判例は、結論として中途採用の内定取消しを有効と判断していますが、判断枠組みの定立にあたっては、新規採用に関する採用内定取消しについて厳格に判断してきた従前の判例が、中途採用においても妥当することを明示したうえで、厳格な判断基準を示しているのであり、中途採用の内定取消しについて、緩やかに判断しているわけではありません。
それにもかかわらず、採用内定取消しが有効と判断されたのは、原告の行った経歴詐称が、単なる事実の錯誤や軽微な記載ミスといったものにとどまらず、「企業内にとどめおくこができないほどの不正義性」があると認定された点にあります。
本裁判例は、①虚偽の申告をした事項、②虚偽の申告をした動機、③虚偽の申告により秘匿された事項、④虚偽申告の方法や態様といった要素を考慮して、不正義性の判断を行っており、いずれの考慮要素についても、裁判所は原告に厳しく判断していますが、認定された事実からすれば、裁判所の判断も妥当と考えます。
本裁判例で示された判断基準や考慮要素が、同様の事案において一般化されるかという点については、今後の裁判例の動向を注視して分析していく必要がありますが、少なくとも現段階において、経歴詐称を理由に採用内定を取り消そうと考える場合には、これらの考慮要素を念頭におく必要がありそうです。

