グローバルビジネスと人権: モデル契約条項2.0 (1) ビジネスと人権のパラダイムシフト
グローバルビジネスと人権に関し、「モデル契約条項2.0 (1) ビジネスと人権のパラダイムシフト」と題するニュースレターを発行いたしました。こちらの内容は、以下のリンクよりPDF版でもご覧いただけます。
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グローバルビジネスと人権: モデル契約条項2.0 (1)
ビジネスと人権のパラダイムシフト
2024年6月
One Asia Lawyers Group
コンプライアンス・ニューズレター
アジアESG/SDGsプラクティスグループ
1 はじめに
2011年6月、国連で「ビジネスと人権に関する指導原則」が承認されてから遅れること2022年9月、日本政府は「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」を策定した。それ以来、日本でも様々なニュースを通じて、ビジネスと人権に関する問題が注目され始めている。また、まさに先日、2024年5月24日、EUでは、EU Corporate Sustainability Due Diligence Directive (CSDDD:EU企業サステナビリティデューデリジェンス指令)が採択され、全てのEU加盟国において国内法の整備が求められることとなったところである[1]。
しかしながら、この「ビジネスと人権」の問題に企業としてどのように対応して行くべきか、その実践的なアイデアや実務的な知見は広く共有されていないように思われる。
そのような中、アメリカ弁護士会(the Uniform Commercial Code Committee of the American Bar Association Business Law Section:企業法務部門米国統一商事法典委員会)は、2021年4月22日、モデル契約条項2.0(Model Contract Clauses to Protect Workers in International Supply Chains 2.0[2]。 以下、「MCC 2.0」)を発表している。MCC 2.0は、これまでの契約実務で明らかになった問題点に対処し、サプライチェーンにおける契約によるガバナンスを図るための、法的に有効でかつ実務的な契約条項を提供するものである。
ここで示されているアイデアは、発注企業側自らにも契約責任を負わせるとともに、表明保証に代わる手法としての人権デューデリジェンスを契約に導入するものであって、これまでの契約実務に大きなパラダイムシフトを加えるものである。
本シリーズでは、複数回にわたりMCC 2.0を解説しつつ、ビジネスと人権に対する実務的な対応手法を検討していきたい。なお、本稿はMCC 2.0の記載に基づいているが、筆者の意訳があることはお含みおきいただきたい。
2 これまでの契約実務の問題点とMCC改訂の経緯
もともと、人権侵害と契約違反に関しては、人権侵害という観点から容認できない状況下で製造された製品であっても、製品の仕様や契約上は何ら違反がないという、契約法上のルールと人権擁護の観点のミスマッチという問題があった。MCC 1.0はこの点に対処するため、サプライヤーの契約不履行が製品の欠陥と結びつかなかった場合であっても、人権侵害が生じた場合には、その是正措置として伝統的な契約上の救済措置(損害賠償責任や契約解除、免責事項など)によって対応できるよう試みた。
しかし、MCC 2.0の策定過程において、サプライヤーによる人権侵害が、しばしば、注文のタイミングや価格設定に対する圧力、最終段階での修正要求などの、人権侵害への配慮に欠けた発注企業側の注文態様に起因することが明らかとなった。すなわち、MCC 1.0は、単なる企業方針以上の意味合いを持たず、実効的ではないという問題点があった。
他方で、イギリスやフランス、オランダ、ドイツをはじめとした各国においてはすでに法制化がなされ、EUにおいても先日、CSDDDが採択されるなど、ビジネスと人権に関する法規制は年々強化されている。
このように、人権侵害防止に対する実務的な実効性の向上の必要性と、法規制の強化というという2つの背景のもと、MCC 2.0においては、2つの重要な修正を行うに至った。
1つは、発注企業側における責任負担であり、もう1つは、表明保証責任からの脱却と人権デューデリジェンス体制への移行である。
3 発注企業側への責任負担の導入
上記のとおり、サプライチェーンの人権侵害が発注企業側の調達態様にも起因し、発注企業側の調達実務を向上させることが人権侵害の防止の中核に据えられるべきであることが明白となったことから、MCC 2.0においては、より実効的な人権侵害防止に資するため、発注企業側がその責任をサプライヤーとともに分担する仕組みを導入した。
それが、Schedule Q として用意された調達規範である。
MCC 2.0は人権侵害に対する契約上の責任をサプライヤーだけでなく発注企業側にも課すこととし、発注企業が責任ある調達規範を遵守することを契約上の義務とした。これは、これまで発注企業によってサプライヤー側のみが遵守義務を課されていたサプライヤー調達規定(Schedule P)に対置されるものであり、サプライチェーン管理に存在したギャップを埋め、より実効的なサプライチェーン管理に資することが期待される。
発注企業自らが、自らに対しても契約上の義務を受け入れることにより、ビジネスによる人権侵害に真摯に向き合おうとする試みともいえる。
本シリーズでは発注企業側が遵守すべき調達規範も解説する予定である。
4 表明保証から人権デューデリジェンスへ
(1) 人権デューデリジェンスの導入
MCC 2.0での改正点でさらに重要なことは、サプライヤー側だけでなく、発注企業側に対しても人権デューデリジェンスを行うことが契約上要求されていることである。人権侵害の排除の実効性という観点からは、サプライヤーの表明保証責任から人権デューデリジェンスの実施へと舵を切ったことは、人権侵害排除のための契約スキームにおける大きなパラダイムシフトといえる。
(2) 表明保証手法の問題点
これまでの表明保証手法による人権侵害リスク統制は、しばしば、発注企業が用意した網羅的な表明保証条項について、サプライヤー側に機械的に確認、署名をさせ、それだけで形式的な満足を得るだけのものとなっていた。しかし、そのような表明保証による人権侵害リスクの統制が、いかに非現実的で実効性を欠いたものであるかは、明白であった。
契約当事者ですらその実効性について疑問を持っているような数多くの表明保証をサプライヤーに強いることから、人権デューデリジェンスへ移行するは、極めて実務的であり、当事者にとっても満足が得られやすいものといえる。すなわち、サプライヤー側は、人権侵害の排除という目標達成のための現実的な対策を講じる義務を負うことになり、人権侵害に関して非現実的で絶対的なコンプライアンス義務から解放されるからである。また、大規模な多国籍企業から中小企業まで、サプライチェーンには様々な規模や対応能力が異なる主体が含まれていることを考慮すると、人権デューデリジェンスは、より現実に即した手法といえる。
(3) 人権デューデリジェンスの利点
人権デューデリジェンスに関し、MCC 2.0は、それが単なる企業リスクの評価と法令順守の確保にとどまらず契約当事者以外の第三者のステークホルダーの利益をも考慮することを要求するものである点が先進的であると指摘している。すなわち、人権デューデリジェンスでは、影響を受ける可能性のある個人やステークホルダーに目を向け、各過程におけるステークホルダーと対話すること(ステークホルダーエンゲージメント)が要求され、それにより人権侵害排除の実効性が高められる。
また、実務的にみても、これまで、サプライチェーンにおいて人権侵害が生じた場合の救済措置として解除権が用意されていたものの、発注企業側としてもこれまでの関係性を清算して新たなサプライヤーを探すことは望んでおらず、相当に深刻な場合でなければ実際に契約を解除することはまれであった。むしろ、問題の停止や是正、救済を求めるためのてことして解除権を用いることが多いと思われる。そのような観点からも、人権デューデリジェンスへの移行は、実務にも即した内容といえる。
MCC 2.0は、表明保証条項への合意のみを求めることをやめ、発注企業や一次サプライヤーから最下層の下請業者まで、サプライチェーン上のすべての関係者に対して人権への影響について真摯に取り組むことを契約上求める手法に移行した。人権デューデリジェンスによる是正措置はサプライヤーのみの責任ではなく、自らが当該人権侵害を引き起こし又は関与している限り、発注企業自身もこれに加わらなければならないとされている点は再度付言しておきたい。
5 考察 ―おわりに
これまで、ビジネスと人権に関しては、二次サプライヤー以下へ契約統制を及ぼすことの困難さや、発注企業からサプライヤーに対する人権侵害への配慮の要求が下請法や独占禁止法に抵触する危険性などが指摘されており[3]、発注企業として実際にどのように末端のサプライヤーに至るまでその統制を及ぼしていくかが不透明であった。また、人権デューデリジェンスという言葉は定着しつつあるものの、そのようなプロセスと契約上の根拠、実務的な進め方が不明確であったように思われる。
そのような中、発注企業自身も発注企業としての調達規範の順守義務を引き受けるとともに、自らも人権デューデリジェンスに加わることは、対等に契約責任を分担することを志向するものであって、下請法や独占禁止法との整合性という観点から望ましい動きと評価できる。また、表明保証責任による対処が契約当事者間にしか及びにくいことを考えると、人権デューデリジェンスという形で、二次以下の層のサプライヤーにもその統制を及ぼしていくことは、従来型の契約が直面していた問題点を乗り越える一つの手法を示したものといえる。
このような契約実務は、独占禁止法等の競争法との関係における適法性だけでなく、人権侵害防止の実効性という観点からも望ましく、今後、広く定着する可能性がある。企業としては、今後、ビジネスと人権に関する問題について、サプライヤーだけでなく発注企業自らも契約責任の分担を余儀なくされることを踏まえ、これに備えていく必要がある。
(以上)
〈注記〉本資料に関し、以下の点をご了承ください。
- 本ニューズレターは2024年6月時点の情報に基づいて作成されています。
- 今後の政府による発表や解釈の明確化、実務上の運用の変更等に伴い、その内容は変更される可能性がございます。
- 本ニューズレターの内容によって生じたいかなる損害についても弊所は責任を負いません。
[1] https://www.hrw.org/news/2024/05/24/questions-and-answers-new-eu-law-corporate-value-chains
[2] https://www.responsiblecontracting.org/mccs2-0
[3] 日本弁護士連合会「人権デュー・ディリジェンスのためのガイダンス(手引)」60、65頁