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グローバルビジネスと人権: 「ビジネスと人権」の交差点に立つ日本:第三者委員会の課題と仲裁制度の展望(その2・完)

2025年07月11日(金)

グローバルビジネスと人権に関し、「『ビジネスと人権』の交差点に立つ日本:第三者委員会の課題と仲裁制度の展望(その2・完)」と題するニュースレターを発行いたしました。こちらの内容は、以下のリンクよりPDF版でもご覧いただけます。

グローバルビジネスと人権: 「ビジネスと人権」の交差点に立つ日本:第三者委員会の課題と仲裁制度の展望(その2・完)

その1はこちら→https://oneasia.legal/15020

グローバルビジネスと人権:
「ビジネスと人権」の交差点に立つ日本:第三者委員会の課題と仲裁制度の展望
(その2・完)

2025年7月
One Asia Lawyers Group
コンプライアンス・ニューズレター
アジアESG/SDGsプラクティスグループ

1. はじめに
2. ハーグ常設仲裁裁判所(PCA)のビジネスと人権に関する仲裁制度の背景
3. 現代型仲裁の国内的な活用可能性 (以下本号)
4. ビジネスと人権仲裁の特徴
5. 日本における事例との関係について
6. 結論

3. 現代型仲裁の国内的な活用可能性

日本において仲裁は、主に国際的な商取引に伴う紛争を解決する手段として理解されています。そのため、たとえばジャニーズ事件のような国内に根ざした人権・労働問題などに仲裁を適用するという発想は、一般にはあまり浸透していません。これは、日本社会において「仲裁」が、国家の裁判制度を補完・代替し得る重要な紛争解決手段であるという認識が十分に共有されていないことに起因すると考えられます。

一方で、国際的には仲裁は、国家裁判所による訴訟を補完する制度として広く利用されるようになってきています。とりわけ従来から司法制度に制度的な課題を抱えてきた国々では、仲裁が迅速かつ柔軟な紛争解決手段として国内的にも注目を集め、実務上の活用が拡大しています。こうした傾向はこれらの国に限らず、 最近では裁判制度の成熟度にかかわらず広く各国に共通して見られるようになっています。

このような国際的な潮流を促進した大きな要因の一つが、国連国際商取引法委員会(UNCITRAL)が策定した「国際商事仲裁モデル法(Model Law on International Commercial Arbitration)」の普及です。このモデル法は、国際仲裁と国内仲裁とを厳密に区別しておらず、共通の法的枠組みのもとで仲裁手続きを規律できるものとなっており、多くの国がこのモデル法を基礎に自国の仲裁法制を整備・近代化しました。日本もその一例であり、仲裁法(2003年施行)はこのモデル法を基礎に設計されており、国内仲裁にも適用される包括的な法制度となっています。

仲裁の特徴としては、当事者が自ら専門的な知見を有する仲裁人を選任できること、紛争の性質に応じて柔軟に手続を設計できることなど、当事者自治が広く認められている点が挙げられます。これにより、国家裁判所では難しい専門性や機動性を必要とする事案にも適切に対応することが可能になります。

また、各国で設立された多くの仲裁機関は、こうした法的枠組みに基づいて国際仲裁だけでなく、国内の商事紛争や民間紛争に対しても仲裁サービスを提供しています。日本においても、日本商事仲裁協会(JCAA)が国内事件を対象とした仲裁を提供しており、一定の成果を上げていますが、実際に取り扱われている事件数は依然として非常に限られたものにとどまっています。

今後、日本において仲裁制度を広く社会に浸透させ、国家裁判制度と並ぶ選択肢として確立するためには、仲裁が持つ柔軟性や専門性を活かして、企業間紛争にとどまらず、労働問題や人権侵害を含む多様な国内紛争にも活用できる制度であるという理解を広めることが不可欠です。特に、企業の社会的責任に関わる新たな紛争領域において、仲裁の可能性を再評価する必要があるといえるでしょう。

4.ビジネスと人権仲裁の特徴

仲裁は、当事者が合意すれば、手続の構成や仲裁人の選任方法、審理の進め方などを多様に設計することができ、この柔軟性が大きな魅力といえます。 既に多くの国際仲裁機関がよく設計された仲裁規則を整備しており、それを活用することで効果的な紛争解決が可能となっています。しかし近年、「ビジネスと人権」に関わる紛争が注目を集める中で、こうした従来型の仲裁制度では十分に対応しきれない課題が浮き彫りになっています。企業活動が人権に及ぼす影響が世界的に問題視されるなか、国連の「ビジネスと人権に関する指導原則(UNGPs)」を背景に、企業による人権侵害への責任追及や、被害者への実効的な救済の手段が国際的に求められるようになっています。これらの紛争では、被害者が経済的・社会的に脆弱な立場に置かれていることが多く、手続の公正さやアクセスの平等性、さらには透明性が極めて重要になります。

こうした新たなニーズに応えるために設計されたのが、ハーグ常設仲裁裁判所(PCA)が策定した「ビジネスと人権仲裁規則(The Hague Rules on Business and Human Rights Arbitration)」です。この規則は、従来の商事仲裁には見られなかった多様な要素を取り入れ、手続の柔軟性を保ちつつも、人権尊重の理念を制度の根幹に据えています。たとえば、国際人権法や企業倫理、国際基準に精通した専門的な仲裁人を適切に選任できる仕組みや、当事者間の力の不均衡に配慮した柔軟な手続運用が可能となる規定が整備されています。証拠調査の進め方や被害者保護措置、非公開手続の選択、さらには第三者による手続参加なども、通常の商事仲裁では想定されない要素として意識的に取り込まれています。

また、企業だけでなく国家、地域社会、市民団体など、紛争の影響を受ける多様な利害関係者が関与できるよう、手続の設計には包摂性と多様性の確保が重視されています。これは、ビジネスと人権の紛争が一企業の行為にとどまらず、社会構造そのものに関わる問題であるためです。費用面でも、経済的に弱い被害者に配慮し、費用軽減措置や第三者資金提供(TPF)、調停との併用による迅速かつ低コストな解決手段の導入が視野に入れられています。

こうした特徴を備えたハーグ仲裁規則の運用においては、手続の信頼性と中立性を確保する枠組みも重要となります。その点で、長い歴史と国際的な権威を有するハーグ常設仲裁裁判所(PCA)が、この仲裁手続を管理・支援することにより、手続全体の正当性と公平性が担保される仕組みが整えられています。民間の仲裁機関とは異なり、PCAは国際法に根ざした中立的な国際機関として、制度設計と実務運用の両面で国際的な信頼を支える存在で あり、日本においてこうした問題を扱う際にも、信頼を得やすい仕組みとなっています。それは最終的な仲裁判断が執行力を持つ上でも重要な要素となりえます。

5. 日本における事例との関係について

国連「ビジネスと人権に関する指導原則(UNGP)」は、 その第3の柱において、企業による人権侵害に対する実効的な救済手段の確保を各国および企業に求めています。ビジネスと人権仲裁(以下「BHR仲裁」) はその重要な部分を構築するためのものです。この制度を現実に機能させるためには、①企業が人権方針の中においてBHR仲裁の活用を明記することが重要です。また、②サプライチェーン契約における人権条項として仲裁手続の活用を規定したり、内部通報・苦情処理制度において重大な人権侵害が確認された場合には仲裁による解決を約束したりすることが考えられます。 国家による取り組みとしては、③国家間の投資協定において、被害者が仲裁に訴える道を確保する条項を盛り込む方法があり、実際にそうした条約も用いられ始めています。

さらに、日本において考えられる現実的な方法として、第三者委員会の役割を活用できる可能性があります。企業に対する人権侵害の疑義が生じた際に、まず第三者委員会が被害の実態を調査し、被害の有無や程度を確認したうえで、企業に対してBHR仲裁の実施を勧告する方法が考えられます。こうした勧告があれば、企業は透明性のある手続のもとで責任を果たす契機を得ると同時に、被害者にとっても信頼性のある仲裁という選択肢を獲得することで合意形成が容易になります。委員会の勧告は法的拘束力を持たないまでも、企業の説明責任と国際社会からの信頼を確保する点で極めて重要な意味を持ちます。

このような制度設計の必要性は、日本のジャニーズ事件に照らして具体的に理解することができます。2023年、旧ジャニーズ事務所(現SMILE-UP.)は性加害問題を受けて被害者救済委員会を設置し、補償の受付と支払いを開始しました。しかし、補償内容の不明確さや、対象外とされた被害、補償後の誹謗中傷への不十分な対応などから、一部の被害者は内外で訴訟を提起するに至っています。2024年には米国で巨額の賠償を求める民事訴訟の提起や、国連ビジネスと人権作業部会による調査・勧告もなされ、本件は国際的な人権課題として認識されるようになりました。

このような状況において、もし第三者委員会が被害実態を把握したうえで、企業に対してBHR仲裁の実施を公式に勧告していたとすれば、被害者との間で信頼を基盤とする実効的な救済が図られ、訴訟に代わる円滑かつ中立的な紛争解決の道が開かれていた可能性があります。さらに、仲裁人に人権やジェンダー分野の専門家を選任し、NGOなどが手続の透明性を支える体制を構築できれば、被害者の権利回復と企業の説明責任の両立が現実的に可能となる可能性があります。もっとも、仲裁には合意が必要であり、企業にとってのインセンティブや、被害者の費用負担への配慮も不可欠です。また、日本国内における制度理解や社会的認知の不足も課題です。しかし、第三者委員会が勧告権限を行使する事は可能であり、 企業と被害者との仲合意形成を制度的に後押しすることができます。あわせて、企業が仲裁費用を全額負担するよう勧告に盛り込むことで、被害者のアクセス障壁は大幅に軽減されるでしょう。

以上より、BHR仲裁は、ジャニーズ事件のような深刻な人権侵害案件において、既存の救済措置を補完する実効的な手段として、導入を真剣に検討すべき制度です。そのためには、仲裁合意の形成支援、第三者委員会の制度的機能強化、費用負担の明確化、そして社会的理解の醸成を段階的かつ戦略的に進めることが求められます。企業、専門家、NGO、そして政府関係者が連携し、国内外で信頼されうる人権救済モデルの構築を目指すことが、今まさに問われています。

6. 結論

ジャニーズ事件を契機に企業による人権侵害への関心が高まる中、日本では第三者委員会が被害の可視化や企業の説明責任に一定の役割を果たしてきました。しかし、法的拘束力や救済の実効性に欠ける現行制度には限界があります。国連「ビジネスと人権に関する指導原則(UNGPs)」が求める実効的な救済へのアクセスを確保するには、新たな仕組みが必要です。

こうした課題への国際的な対応として注目されるのが、常設仲裁裁判所(PCA)主導の「ビジネスと人権仲裁(BHR仲裁)」制度です。これは中立性・透明性を備え、企業と被害者の非対称性を是正しつつ、法的拘束力のある救済を提供する枠組みです。特に、第三者委員会が被害を確認した上で仲裁を勧告する役割を担えば、柔軟で合意に基づく解決が促進されます。

仲裁合意の支援や費用負担の明確化、制度への認知向上などの課題に取り組むことで、日本でも実効的な人権救済モデルの構築が可能となります。第三者委員会と仲裁を連携させ、信頼性の高い解決ルートを整備することが、今まさに求められています。 (完)