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(第7回)イギリスでアフリカ社会と法を学ぶ
エチオピア(3)法人類学のインタビューを通じて自分の「立場」を考える

2025年03月18日(火)

現在、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院に在籍している原口 侑子弁護士によるニュースレターシリーズの第7回を発行いたしました。今後も引き続き連載の予定となります。
こちらの内容は、以下のリンクよりPDF版でもご覧いただけます。

(第7回)イギリスでアフリカ社会と法を学ぶ エチオピア(3)法人類学のインタビューを通じて自分の「立場」を考える

 

(第7回)イギリスでアフリカ社会と法を学ぶ
エチオピア(3)法人類学のインタビューを通じて自分の「立場」を考える

2025年 3月
One Asia Lawyers Group
原口 侑子(日本法)

ロンドンを拠点にアフリカの法と人類学の研究をしている私は、エチオピアの首都アディスアベバに住む20代の若い女性に話を聞きながら、アムハラ族(エチオピア第二の民族)の結婚を例に、アディスアベバの現代の結婚がどのように実施されているかどうかを探っていた。エチオピアでは結婚の選択肢は、市役所でサインをする民事婚、民族のしきたりにのっとって結婚する慣習婚、エチオピア正教の教会であげる宗教婚、さらに事実婚と、4タイプある。彼女らは「アディスアベバでは慣習婚は流行っていない」という答え、「なぜなら民族をまたがる結婚が多く、都市部では慣習は力を持っていないから」という理由を聞かせてくれた。

立場をクリアにする

人類学者は、研究にあたって自分の「立場(Positionality)」をはっきりさせなければならない、というセオリーがある。人類学者とインタビュー対象者の位置づけを正しく理解することがフィールドワークにあたっての必須事項とされている[1]

私は、エチオピアの首都アディスアベバで、若い女性たちがなぜ昔ながらの結婚形式を選ばないかを聞いて回っていた。アディスアベバは私の故郷ではなく、私はエチオピア人でもない。だからこそ、私は当初、自分自身を「非ネイティブ」であると考えていた。国籍や文化的背景という意味では、事実、私はアディスアベバに生まれ育った「ネイティブ」ではなかった。

ところが、4人の20代半ばの女性に話を聞いたところで、私は、話を聞いた女性たちの立場が似通っていることに気づいた。
弁護士の友人をはじめ、彼女たちはみな、大学レベルの教育を受け、高いキャリアを目指しており、女性の権利向上に関する活動をしている。彼女らはみな、結婚を「抑圧的であると同時に女性の生活を支える本質的なもの」という両義的な性質を持つ慣習と位置づけていた。彼女らの立場は私と似ていて、みな、私と同じ言語で話した。女性がコモディティ化されることに抗い、結婚適齢期における社会的プレッシャーを客観的にとらえて対処しようとしていた(そして彼女らはみな、働く女性として「結婚適齢期」といわれる時期にあった)。
つまり、インタビュー対象者と私は、女性の人権向上という共通の前提から結婚制度について話し、そのための仕事もしているという点で、同じ言語と類似した職業的背景を共有していた。結婚制度についても同様の見方をしていたのも不思議ではない。

人類学者ナラヤンは、アイデンティティは「糸のように文化的に複雑に絡み合っている」と書き、「人は多くのアイデンティティの糸を持っている」と書いている。この「絡み合った糸の背景」は職業上のアイデンティティにも当てはまる。つまり、「自分がその場でネイティブかどうかを考える」には単に民族性や国籍を共有しているかどうかから判断するだけでなく、専門性や使用言語を共有するかも判断要素になってくる。

「共犯」的な感覚

私の問い「アディスアベバの20代の若いアムハラ人女性たちは、慣習的な結婚を今でも続けているのか?」の答えは、結論から言えば、アディスに数世代以上居住し、部分的にアムハラ語を話す教育を受けた働く女性たちに限定するならば、ノーである。
しかしこの問いは、1)民族、2)年齢、3)アディスアベバ市民としての世代、4)他の結婚形態との比較、5)職業や学歴から見たインタビュー対象者の立場、といった観点から分析し、明確にする必要があった。
結局のところ私が話したのは、国境を越えて「人権」とか「社会のプレッシャーvs.女性のキャリア」といった共通の価値観を共有する女性たちだった。彼女たちが現代の慣習的な結婚を問題視していることは、容易に理解できる。フィールドワークにあたっては「インタビューする者とされる者の関係が対等であること」[2]が要求されるが、その対等さは共犯関係を想起させると思った。最後の日、私は女性たちと最後のモカコーヒーを飲みながら、「結婚のプレッシャーに関する状況は日本でも似ている」と伝えた。コーヒーの煙の中で共犯者のように微笑む女性たちを見て、自分たちのことでない結婚の噂話をする老人たちが、コーヒー屋さんに座って同じように微笑んでいたことを思い出した。この一連のインタビューは、日本の都市部とエチオピアの都市部の女性の結婚に対する考え方に類似があることを知るためにあったのかもしれないと、コーヒー屋さんに漂うさまざまな「共犯感覚」を目にして私は思った。
さて、そもそもなぜ慣習婚について聞くのが「法人類学」という学問なのか。次回に続く。

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[1] Narayan, Kirin. 1993. ‘How Native Is a “Native” Anthropologist?’ American Anthropologist, New Series 95(3):671–86.
[2] Skinner, J. 2012. “A Four Part Introduction to the Interview: Introducing the Interview; Society, Sociology and the Interview; Anthropology and the Interview; Anthropology and the Interview – Edited”. The interview: an ethnographic approach pp.1-50, Oxford: BERG.