• Instgram
  • LinkeIn
  • Lexologoy
トップページ
2023年11月13日(月)11:30 AM

責任あるサプライチェーン等における人権尊重のための実務参照資料の公表に関するニュースレターを発行いたしました。こちらの内容は、以下のリンクよりPDF版でもご覧いただけます。

責任あるサプライチェーン等における人権尊重のための実務参照資料の公表

 

責任あるサプライチェーン等における
人権尊重のための実務参照資料の公表

2023年11月
One Asia Lawyers Group
コンプライアンス・ニューズレター
アジアSDGs/ESGプラクティスグループ

第1 はじめに

 経済産業省は、2023年9月に策定された「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」(以下、「日本政府ガイドライン」といいます。)を踏まえ、企業がまず行うこととなる「人権方針の策定」や人権デュー・ディリジェンス(人権 DD)の最初のステップである「人権への負の影響の特定・評価」について、検討すべきポイントや実施フローの例を示すため、2023年5月、「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のための実務参照資料」を公表しました。

 本資料は、必ずしもこれに従って人権尊重の取り組みを進めなければならないというものではなく、逆に、これに従った取り組みだけをしておけばよいという趣旨のものではなく、このことは本資料中でも重ねて強調されています。とはいえ、ビジネスと人権に関して、どのような取り組みをしていけばよいのか、その理解を深める為には有意義であるため、本号ではこの実務参照資料について、ご紹介いたします。

 企業の皆様におかれましては、本資料も参照いただきながらまずは人権方針の策定、人権への負の影響の特定・評価を行われることと存じますが、ご不明な点がございましたら、当グループまでお気軽にお問い合わせください。

第2 実務参照資料の位置づけ

 本資料は、上記のとおり、日本政府ガイドラインで示されている事項のうち、「人権方針の策定」及び「人権への負の影響の特定・評価」をカバーする内容となっています。

(責任あるサプライチェーン等における人権尊重のための実務参照資料より抜粋)

第3 人権方針の策定の流れ

 人権方針の策定については、日本政府ガイドライン3において、その要件や策定時及び策定後の留意点が示されています。本資料は、これを踏まえてより具体的に、以下のような策定の流れが示されています。

(責任あるサプライチェーン等における人権尊重のための実務参照資料より抜粋)

 本資料は、このうち、①自社の現状把握のために必要な自社が関与しうる人権侵害リスクについて、産業別に考えられる一般的事項を本資料別添1において示しています。また、人権方針に盛り込むことが考えられる項目について、以下のとおり例示しています。

<人権方針に記載することが考えられる項目>

1.位置付け

人権方針は、企業の経営理念や行動指針等と密接に関わるため、これらの文書と人権方針の関係を検討し、両者の一貫性を担保することで、社内における位置付けを明確にし、より人権方針を社内に定着させることを目的とします。

2.適用範囲

一般に、人権方針は、一般的な社内規程と異なり、自社だけではなく自社が支配権を有する他の企業にも適用されると考えられます。そのため、「グループ会社」の定義を明らかにすることも望ましいと思われます。

3.期待の明示

従業員や取引先をはじめとする関係者に対する人権尊重への期待を明らかにすることが求められ、例えば、自社の事業・製品・サービスと直接関連する可能性がある関係者に対して、人権を尊重することを期待する旨を記載することが考えられます。これを基に、サプライヤー審査方針、調達方針等を規定することとなります。ガイドライン3に記載のとおり、人権方針に必要な要件となっています。

4.国際的に認められた人権を尊重する旨のコミットメントの表明

国際人権章典や「労働における基本的原則及び権利に関するILO宣言」という国際的に認められた人権を尊重する旨のコミットメント(約束)を表明することが考えられます。

5.人権尊重責任と法令遵守の関係

法令の遵守は当然として、ある国の法令やその執行によって国際的に認められた人権が適切に保護されていない場合、企業は、国際的に認められた人権を可能な限り最大限尊重する方法を追求する必要があります。そのため、このような内容を人権方針に明記することも考えられます。

6.自社における重点課題

まずは、自社が影響を与える可能性のある人権を把握するだけでなく、自社のサプライチェーン等においてより深刻な人権侵害が生じ得るステークホルダーでその人権を認識し、それらに特に焦点を当てた取り組みを行うことが考えられます。このような自社の重点課題を人権方針に記載することが考えられます。これにおいては、本資料別添1も参照するとより具体的なイメージがつかめると思われます。

7.人権尊重の取組を実践する方法

企業が人権方針をどのように実現していくかを記載することが考えられます。具体的には、人権DDの実施や救済の方針、ステークホルダーとの対話の実施、また、人権方針の実施状況を監督する責任者の配置、責任者及びその責任の内容を記載することが考えられます。

第4 負の影響(人権侵害リスク)の特定・評価

 企業は、人権DDの第一歩として、企業が関与している、又は関与し得る人権侵害リスクの特定・評価を行う必要があります。

 そのための具体的なプロセスの例として、以下の手順が示されており、本資料では、これの参考となるような参考資料(別添1)、作業シート(別添2)が示されています。別添1では具体的な事業分野、産品別等の人権課題とその説明がされており、別添2はこれらを踏まえて実際に自社に当てはめがしやすいものとなっています。

(責任あるサプライチェーン等における人権尊重のための実務参照資料より抜粋)

ステップ①:リスクが重大な事業領域の特定(ガイドライン 4.1.1(a))

 まず、自社の事業のうち、リスクが重大な事業領域を特定します。この際、社内関連部門や社外の専門家等と意見交換をしながら、以下のような観点から、具体的にどのような人権侵害リスクが指摘されているかなどを確認します。

(責任あるサプライチェーン等における人権尊重のための実務参照資料より抜粋)

 この際、自社が提供する製品・サービスに関連して、どのようなサプライヤー等が存在するかを把握できていることが望ましいとされており、これが困難な場合でも、ステークホルダーとの対話や、苦情処理メカニズムの設置・運用等を通じて、追跡可能性が低いサプライヤー等の人権侵害リスクも把握するよう努めることが重要です。

ステップ②:負の影響(人権侵害リスク)の発生過程の特定(ガイドライン 4.1.1(b))

 次に、リスクが重大な領域について、人権侵害リスクを確認し、その状況や原因を確認します。その際は、以下のような方法で行うことが考えられます。

(責任あるサプライチェーン等における人権尊重のための実務参照資料より抜粋)

ステップ③:負の影響(人権侵害リスク)と企業の関わりの評価及び優先順位付け(ガイドライン4.1.1(c)・(d))

 ステップ②で確認された人権侵害リスクと自社のかかわりを、日本政府ガイドラインで示されている以下のカテゴリに基づいて、評価します。

(責任あるサプライチェーン等における人権尊重のための実務参照資料より抜粋)

 そのうえで、確認された人権侵害リスクの全てについて直ちに対処することが難しい場合、下記(i)及び(ii)のように優先順位を検討します(ガイドライン 4.1.3.1)。

(責任あるサプライチェーン等における人権尊重のための実務参照資料より抜粋)

 

〈注記〉本資料に関し、以下の点をご了承ください。
・ 本ニューズレターは2023年11月13日時点の情報に基づいて作成されています。
・ 今後の政府による発表や解釈の明確化、実務上の運用の変更等に伴い、その内容は変更される可能性がございます。
・ 本ニューズレターの内容によって生じたいかなる損害についても弊所は責任を負いません。

2023年10月16日(月)10:00 AM

グローバルビジネスと人権に関するニュースレターを発行いたしました。 PDF版は以下のリンクからご確認ください。

グローバルビジネスと人権:「コンプライアンス」と「ビジネスと人権」今さら聞けない素朴な疑問(その3・完結編)

グローバルビジネスと人権:
「コンプライアンス」と「ビジネスと人権」
今さら聞けない素朴な疑問 (その3 完結編)

 2023年10月
One Asia Lawyers Group
コンプライアンス・ニューズレター
アジアSDGs/ESGプラクティスグループ

 はじめに

コンプライアンスやビジネスと人権に関して、いろいろな言葉や考え方が錯綜してわかりにくいと思っている人は少なくないと思います。このニューズレターではそうした問題について、次のような設定によりQ&Aの形式でわかりやすく解説することにします。

舞台設定

Aくんは、ある国立大学の法科大学院を修了し、一昨年から大手企業で法務コンプライアンスの担当者として勤務している。

企業は、投資家たる株主のために利益を追求する主体であると会社法の授業では教えられた。他方で、最近では企業の社会的責任や法令等を厳格に遵守すべきことが唱えられている。そのための管理コストが大きくなり、それが利益を圧迫するかも知れない。さまざまな手続きやペーパーワークも増えて、とくに事業部門の人たちの提出が遅れがちになり、催促しなければならないことも増えてきた。しかしこれも時代の要請であり、万一でも不祥事に巻き込まれることのないように、従業員の一挙手一投足に対しても注意を払い、厳しく徹底していくのが法務コンプライアンス担当者の責任であると自分自身に言い聞かせてきた。

しかし入社以来、製造部門や営業部門の人たちからなんとなく鬱陶しがられているのを感じている。彼らは法律の基礎知識がないからかとも思うが、自分自身も製造や営業の仕事について殆ど知らないことも少し気になってきた。工場が製品の納期に追われて忙しいときに、コンプライアンス関係の書類を催促すると、製造工程をコーディネートする少し年配の人から「俺達は今、お客さんに催促されて深夜まで働いているんだ。お客さんを満足させることがわが社の一番大事な仕事じゃないのか」と言われてはっとした。他方でAくんの上司からは「コンプライアンス関係の書類の期限を厳しく守らせるのが君の仕事だ」と言われてきた。

そこでAくんは、法科大学院のときに、大学主催のセミナーで「人権DD」について話をしていたB先生を思い出した。B先生はAくんと同じ大学で法律学を学び大手企業に勤務していたが、その後アメリカのロースクールでLL.M.を取得して現在はビジネスコンサルタントをしながら「ビジネスと人権」に関するNGOの仕事もしている人である。今日はとくにAくんからお願いして 設定してもらったZoomでの3回目のミーティングである。

今日の話題: 企業とイノベーション

疑問点1: 企業と利潤追求

【Aくん】今日のお忙しいなか時間を作っていただきありがとうございます。早速ですが、 先日お話しした とき、先生は 企業の目的を利潤追求だとする事は不正確だと言われましたが、 どこが不正確なのでしょうか? ずっと気になっています。

【B先生】私は今では「 企業の目的は利潤の追求だけでは説明できない」と思っていますが、それを理解するのにかなり時間がかかりました。でも考えてみれば当たり前のことです。

なぜなら企業だけでなく、あらゆる組織が存続するためには利益が必要だからです。大学でも病院でも神社でも、出費が収入を上回れば遅かれ早かれ立ち行かなくなります。 企業の場合、自らのビジネス活動による収入が財源の中心を占めると言う意味で、 他の組織と少し違います。しかし、企業も政府から補助金をもらうことはあるし、病院や大学にも自らの活動によって獲得する収入はあります。 いずれにせよ組織が存続するためには資金的な余力が必要とされます。

【Aくん】それはそうですが、国立大学のように国家からの予算が大部分を占める組織と企業とでは本質的に違うのではないでしょうか?

【B先生】確かにマネジメントの方法はかなり違うでしょう。国立大学のような予算中心の組織では、予算を少しでも多く獲得することが 存続のための至上命題となってしまうので、政府の方針に敏感にならざるをえません。また一旦予算を獲得してしまうと、今度はそれを年度内に使いきれなければ過剰な予算を要求したことにされてしまいます。だから年度末には、かなり乱暴な予算消化が行われることも残念ながら起こりえます。それに対して、予算に見合った成果を上げているのかどうかについては、真剣な関心を持つ利害関係者があまりいないと言う深刻な問題もあります。だから予算制の組織をマネジメントすることは一筋縄ではいきません。

それと比較すると、企業は本業のビジネス自体でお金を稼がなければならないので、組織全体の力をそこに集中させる事は比較的容易でしょう。しかし、君もそうですが、大企業の中で管理部門で働く人たちは、 ビジネス活動によって利益を上げることに直接関与していないから、事業部門の人たちとかなり距離ができてしまいますね。その意味では政府機関のような予算制組織で働く人たちと同じような感覚を持つのも不思議ではありません。

【Aくん】つまり、僕ももっとビジネスの成果に焦点を合わせて自分の仕事を考えなければならないって言う事ですね。でも利益追求が企業に特有の目的でないとすれば、企業の目的はどのように理解すれば良いのでしょうか?

重要な点ですね。この点についてドラッカーの説明が分かりやすいと思います。彼は、企業の目的は「顧客の創造」であるといいます。つまり企業の目的は、企業の外にいる人たちに優れた商品やサービスを提供することであり、それが企業の成果だとします。また企業内にあるのはコストだけであるとも言っています。成果が同じならコストは小さい方が良いことになります。つまり業務を効率化し、労働者の生産性を高めることによって、コストを低く抑えることが必要です。高く売れる商品を安く作れば当然に利益が大きくなります。でも、企業の目的がそれだけであれば単なるブラック企業ですね。

現実には、成功している企業の多くは、そんな卑しい存在ではなく、私たちの生活を豊かにしてくれるためになくてはならない存在です。

疑問点2: 企業による「顧客の創造」

【Aくん】ところで、ドラッカーが言う「顧客の創造」ってどういうことなのでしょうか?

【B先生】彼が言う顧客の創造とは、企業が新しい市場を作り出す重要な役割を果たしていると言う意味です。比較的最近の例では、iPhoneの登場が分かりやすいと思います。それまでスマホは世の中になかったわけです。またそんな商品が欲しいと明確にイメージできる消費者もいなかったと思います。アップルがどのようにしてiPhoneを思いついたのかは知りませんが、それが私たちの潜在的な欲求を満たすものであった事は今では明らかです。

最初は皆、iPhoneはガラケーやブラックベリーの単なるライバルだと思っていました。でも今では、パソコンやデジカメやハンディカムやシンセサイザーのライバルであるだけでなく、CDやテレビや漫画雑誌やゲーム専用機やカーナビのライバルでもあります。YouTuberのような仕事まで生み出しました。

私たち自身さえ気づいていなかった欲求を満たすことで、あっという間に大きな市場を生み出し、人々のライフスタイルに大きな変化をもたらしました。SNSがこれほど影響力を持つようになったのも、スマホが普及したからですね。

【Aくん】なるほど。それがイノベーションってやつでしょうか?

【B先生】そう言えると思います。しかしスティーブ・ジョブズは最初からこうした展開を全て見通していたわけではないと思います。確かに iPhoneはインターネットにつながった小さなパソコンとして、ソフトウェアをアップデートすることで問題点を改善し、アプリ によって新しい機能を追加することができます。これはすでにパソコンで起こったことであり、彼は最初から計算に入れていたと思います。でもiPhoneの発展の過程で、色々と意外な展開はあったのではないでしょうか。

例えばiPhoneのカメラがここまで使われるようになると予測していなかったかもしれません。しかし顧客の動向を見ながら、予期せぬ需要を見逃さず、それを商品の改善に体系的に活用する姿勢は持っていたように思います。つまり、商品の意味や価値を決めるのは顧客であることがよくわかっていたのでしょう。

ドラッカーは「ベンチャーが成功するのは、予想もしなかった市場で、予想もしなかった顧客が、予想もしなかった製品やサービスを、予想もしなかった目的のために買ってくれるときである」と言っています。アップルはそのことがよくわかっていたようです。それが顧客の創造であり、市場を生み出すと言う意味です。

顧客を探し出す活動をマーケティングと呼びますが、イノベーションとマーケティングは分かちがたく結びついていることが多いですね。

【Aくん】なるほど。イノベーションによる顧客の創造が企業の目的の正しい定義と言う事ですね。でもイノベーションって、なんかまぐれ当たりのようなものじゃないんですか?iPhoneだって ジョブズが天才的で奇想天外な発想の持ち主だから作ることができたんじゃないのでしょうか?普通の企業はコツコツと努力するしかないんじゃないかなと思います。

【B先生】そうかもしれませんが、私はそうでは無い気がします。イノベーションの機会を見つけ出すには鉄則があり、7つの機会を見逃さないことだと指摘されています。

第1が「予期しなかった成功や失敗などの出来事」、第2が「現実とそうあるべきものとのギャップ」、第3が「ニーズの存在」、第4が「産業構造の変化」です。残りの3つは、純粋に企業の外部における事象です。つまり第5が「人口構造の変化」、第6が「物の見方・感じ方・考え方の変化」、第7が「新しい知識の出現」です。これらは重複することもありますが、それぞれに分析方法が異なります。

iPhoneの場合、世間で思われているのとは違い、新たな知識や技術はほとんど関係していません。想像ですが、その開発においては、重過ぎるパソコンへの不満や、電話とメールを併用する煩雑さ、ネット環境の変化、若い人たちの見方や感じ方の変化のようなところに焦点が置かれたのではないでしょうか。

最近よく言われるデザインシンキングも影響しているように思います。これを簡単に言えば、ときに矛盾する 様々な欲求を合理的に満たすことのできる商品を徹底的に追求する方法です。できるだけ軽く、電池は長持ちで、カメラは高性能で、通信速度も早く、一定の価格帯に収めるといった要請です。 これらを顧客の満足を最大化するような形で商品化する方法がデザインシンキングです。

疑問点3: 企業の人権尊重責任と法制度のイノベーション

【Aくん】そうですか。イノベーションは体系的に推進することができるとすれば、企業はコツコツと真剣に取り組む必要がありますね。ところでビジネスと人権についても、現実と理想のギャップであるとか、人々の価値観の変化であるとか、イノベーションの機会が色々と見えますね。

【B先生】重要なポイントですね。企業が人権尊重責任を果たすべきだとする人々の強い要求は、明らかにイノベーションの機会の存在を示していると思います。こうした問題にしっかり対応できる企業が社会に強く求められています。しっかりとした体系的な取り組みが必要です。君のような立場の人が、それをリードしなければなりません。

【Aくん】そうですね。まだ経験の浅い僕には少し肩の荷が重い気がしますが頑張ります。

【B先生】ぜひ頑張ってください。「ビジネスと人権」における現実と理想とのギャップは、私は現在の法律学や司法制度にも向けられた不満の表れだと思います。つまり、法制度全般に対するイノベーションが求められている事は明らかです。法律家が提供するサービスについても同じことがいえますね。

だから法律関係者は、この問題をもっと深刻に捉える必要があると思います。これは言ってみれば、司法制度や法律サービスの顧客である人たちから突き付けられた改善要求として理解すべきもののように思います。本腰を入れてイノベーションを促進しなければなりません。

疑問点4: 組織のマネジメントとは

【Aくん】ところで、恥ずかしいのですがマネジメントと言う言葉は正確にはどういう意味なのでしょうか?

【B先生】マネジメントは簡単に言えば、組織に成果を上げさせるように責任を持つ仕事のことです。組織の成果は組織の外部にしか生まれません。だからマネジメントとは「外部に成果を生み出すために、手元にある資源を合理的に組織化すること」とも言えるでしょう。

かつてマネジメントは、既に確立された組織の管理に関する業務だと思われていました。しかし今では、従来の業務の最適化だけでなく、新たなイノベーションのために組織的に取り組むこともマネジメントの役割として重要になってきています。そのためには、今では多数を占めるようになった知識労働者の生産性を高める必要があります。現代の企業にとって最大の資産であり最大のコストは知識労働者だから、彼らを生産的にすることが企業の成果に直結します。彼らは「コンセプトと理論」によって仕事をするので、継続的な教育が重要になります。それは決して形式の問題ではありません。単に研修を何時間行うとか言う問題ではなくて、そのコンテンツが優れたものでなければ何の役にも立ちません。だから研修の講師は、高度な知識は効果的に伝えられる人に依頼しなければなりません。君も法務に関する研修を提供するのであれば、しっかりと研究した上で正しいことをわかりやすく伝えて下さい。

疑問点5: 市場経済とイノベーションとの関係

【Aくん】研修って形だけのものじゃないんですね。そう思ってた自分がちょっと恥ずかしいです。マネジメントの管理機能についてなのですが、日本の有名な大企業のようにブランドが確立したところでは、イノベーションなんか無理してやる必要はないんじゃないかって思っていました。しっかりした固定客がついているから少しずつ商品を改善するだけで十分な収益が得られるのではないでしょうか?

【B先生】そうですね。今の日本の雰囲気を見ていると君のように考えるのが自然かもしれません。「経済を回す」と言う言葉を経済の専門家も平気で使いますからね。

でも経済はそれほど単純ではないと思います。さっきiPhoneの話をしましたが最近発売されたのが iPhone15 Proでしたね。私が今使っているのがiPhone 13で、確か2021年の秋に乗り換えました。その前は確か2019年に発売されたiPhone 11を使っていました。今iPhone 15 Proに乗り換えようかと真剣に検討しているところです。

でもパソコンはもう5年間ぐらい同じものを使っています。それでも特に困ることがありません。

今アップルの主力商品は圧倒的にiPhoneですね。ちょっと前まではパソコンでしたね。でもパソコンは成熟してしまって5年に1度買い替えれば充分だって思っている人は今は少なくないでしょう。

これに対してiPhoneは毎年のように新しいモデルを出して、どんどん乗り換えてもらわなければなりません。しかし消費者の目も肥えてきているので、中途半端な改良加えただけでは新しい機種に乗り換える気にはなってくれません。つまり毎年何か画期的な付加価値を盛り込まないとあっという間に売れなくなってしまいます。アンドロイドを用いるソニー・シャープ・サムソンなどもどんどん魅力的な機種を市場に投入してきます。つまり今年と同じものを作っていたのでは、近い将来には市場から撤退しなければならなくなるでしょう。

そのように考えると昨年の商品にわずかな改良加えて将来も乗り切れると考えるのは合理的ではありませんね。それどころか最も危険な対応策と言えるかもしれません。今、私たちの生活やそれを取り巻く環境は激変してきています。その変化を受け入れて真剣に取り組まないと言う選択は、自ら消滅を選ぶようなものです。

疑問点6: 不確実な未来に向けたマネジメント

【Aくん】でも、イノベーションって確実に生み出せるものじゃないですよね。そんな不安定なものに未来を委ねるわけにはいかないのではないですか?

【B先生】確かに未来は誰にも予測できません。またイノベーションも努力すれば必ず報われるものではありません。でも、その成功率を高めるための方法はかなりわかってきています。各企業が自分自身の強みを見極めた上で、未来に備えるための準備を合理的な方法で今始めるしかありません。論理的に考えれば、それが 唯一の正しい答えだと思います。

【Aくん】う〜ん。法務の仕事は石橋を叩いて渡るような感じだと思っていたので、不確実なものを組織化するというのはちょっと感覚がついていけません。

【B先生】そうですね。でも契約を締結する際にいくら契約条項が完璧であっても、うまくいかない事はいくらでもあります。そもそも契約の成功は、契約当事者間の関係や能力に大きく影響されます。特に長期的なビジネス関係を築くことを目指す場合、私は契約を締結する上では、相手方企業の能力や文化をしっかり確認することの方が優先事項だと思います。

例えば大手製薬会社が大学発のベンチャー企業と協力して新しい薬品を開発するときに、当初の段階でいくら厳密な契約書を作っても成功率が上がるわけではないですね。むしろお互いの間に信頼関係を築くとか、相手の能力や特徴を見極めるとか、それに合わせて相互にうまくサポートできるかどうかとか、そういった関係性の方が重要です。だからこの段階では、成功した先を見越して詳細な契約書を作ってもあまり意味がありません。こうしたイノベーションを目指す契約関係構築の方法についても、かなり研究が進んできています。それもイノベーションの成功率を高めるための工夫として生まれてきたものですね。

【Aくん】そういえば思い出したのですが、最近とても薄くて高機能な充電池が発明されたのですが、会社がその供給先とこれまでに取引関係がなかったので、競業他社に先起こされてしまって、主力商品がちょっと危険な状況にあるって言ってました。そうした意味では、技術力は世界一だと豪語していた分野でも、急にピンチが訪れますね。

【B先生】そうした展開は最近ではごく普通になったように思います。「破壊的イノベーション」と呼ばれる現象ですね。ハードディスクが典型例ですけど、今ではUSBメモリのような大きさで数テラバイトの容量を持つ記憶装置ができたので、ハードディスクはあっという間に時代遅れになってきました。技術が全く違うので、ハードディスク会社が新しいメモリの市場に入っていくことさえできません。それとよく似た事は電気自動車でも起こっているようですね。基本となる技術が全く違うので、自動車産業で不動の地位にあると思われていたメーカーが、テスラのようなところを相手に大苦戦を強いられています。これまで蓄積してきた技術の多くがあっという間に意味を失ってしまうから、伝統的な大企業がその現実をすぐには受け入れられないってことでしょう。

【Aくん】つまり未来へと事業を継続するために、今すぐにイノベーションを目指す取り組みを始めなければならないってことでしょうか。でもそれって、かなり資金が必要そうですね。しかも不確実でリスクの高い投資だから、反対する人がたくさん出てきそうです。

【B先生】産業構造の激しい変化はもう日常的な風景として受け入れなければならないものです。未来が不確実であればあるほど、今の段階から準備を始める必要があります。理論的に考えれば、これは当然のことです。そのための資金となるのが、「利益」と呼ばれるものです。それを正確に表現するなら、ドラッカーも言うように「利益とは未来のためのコスト」ですね。明日も元気な企業であり続けるためには、大きな利益を上げなければなりません。

利益は恥ずべきものではなくて、マーケティング・イノベーション・生産性向上の成果としてもたらされるものです。それ自体が企業の様々な活動の結果だから、その最大化を実現する合理的な方法はなく、また何が最大かも分かりません。

利益は、不確実な未来に対する保険であり、労働環境を向上させるための財源であり、教育や医療や社会生活を豊かにするサービスの原資を形成するものです。

つまり利益が生み出せなければ経済活動は継続できません。その意味で経済は単に回っているのではなくて、イノベーションによって常にこれまでのサイクルから外れて新たな価値を生み出すことで動き続けています。だから、「経済を回す」と言う表現は、経済活動について誤った印象を与えます。お金が回ると言うのはわかりますが、それを可能にするには常に新たな魅力ある商品が市場に投入され続けていることが必要です。

疑問点7: 人権DDと「影響力の行使」

【Aくん】そうですか。この話は今の僕には少し難しすぎるので時間をかけて考えてみます。話は変わりますが、このところジャニーズ事務所の記者会見が話題となっていますね。僕の会社でも、かつてジャニーズのタレントをCM に起用したことが あったようです。会社として今後のジャニーズ事務所のあり方について何か「影響力の行使」としてコメントを出すべきかどうか法務部で検討しました。UNGPs では取引関係にある企業が人権侵害を防止するために積極的に行動することを求めてますから。

【B先生】確かに、多くの企業や放送局がそうした理解に基づいて、ジャニーズのタレントを番組から降板させるとか、契約関係を終了させるとか、被害者救済に関して勧告を出すとかいった反応が見られましたね。

私はこうした対応は、UNGPsの趣旨を誤解していると思います。確かに人権DDの中で、企業は取引先の人権侵害等についてそれを防止したり軽減したりするために影響力を行使すべき場合があるとしています。

しかし人権DDの主目的は、より早い段階で企業が人権侵害のリスクに対応することにより、それを防止・停止・軽減することです。ジャニーズに関して問題となったのは、既にこの世を去ったジャニー喜多川氏が長期にわたって行ってきた性加害の問題ですね。そうした人権侵害を事務所が容認してきたとか、放送局や企業がタレントを起用することで助長してきたとか言った問題はあったと思います。しかしそうした加害行為を誰も止めなかった結果として、被害は出尽くしてしまっていると考えられます。その意味では水俣病のような公害事件と同様の状況になってしまっています。

要するに放送局も企業も十分な人権DDを行わなかった結果として、被害を軽減するチャンスを既に失っています。だから 現場においては、人権DDの一環として求められる「影響力の行使」の場面ではありません。

【Aくん】それでは企業はどのようにすればよかったのでしょうか?

【B先生】今回の件で、ある企業はジャニー喜多川氏にセクハラの疑惑があるからCMを依頼しなかったと言っていますね。例えばその時に、その企業がジャニーズのタレントを起用してCM を流している他の企業に呼びかけて、ジャニーズ事務所にこの問題の真偽について問いただすようなことをしていれば、 早い段階で性加害の実態が明らかになっていた可能性はあるでしょう。そうした対応を行うことが、 UNGPs が指摘している「影響力の行使」であると思います。

現段階は、UNGPs に即して言えば「救済」の段階だから、日本の裁判制度がこうした問題に十分に対応できていない点であるとか、十分な苦情処理メカニズムが事業レベルでも行政やその他のレベルでも提供されていなかったことの問題点であるとか、日本の裁判におけるこうした被害者の損害賠償額があまりに低額である点などが真剣に検討されるべきであると思います。再発防止を真剣に考えるとすればそうした検討の方が重要です。

【Aくん】なるほど。確かにそうですね。ところでアメリカでもクリエイティブ産業で大きなセクハラの事件が話題になりましたね。

【B先生】ハリウッドの著名な映画プロデューサーであったハーヴェイ・ワインスタインが多くの女優に対して行ってきた性加害の事件ですね。SNSで#METOO が用いられた事で 多くの女性が声を上げた事でも注目されました。この事件は男性の女性に対するセクハラですが、極めて影響力のあるプロデューサーがその地位を乱用して加害行為を重ねたことや、彼の事務所や周辺の人たちが黙認していた点などでジャニーズの事件と強い共通性が見られます。

アメリカでどのような点が問題となり、どのような対応がとられたかについても色々と参考になるから、マスコミや研究者はそうした情報を日本にもしっかり伝えてほしいと思います。もちろん私自身も、知り合いの弁護士やNGOの関係者からも詳しい情報を入手しようとしています。また最近ではアメリカの法律雑誌にこの問題に関する論文が 次々と発表されています。

多くの女性が職場でのセクハラに不満を募らせており、そうした問題について十分な保護が与えられていないと言う点で、ここでも法制度に対するイノベーションが求められている事は明らかです。

終わりに

【Aくん】そうですね。色々と考えなければいけないことがたくさんあることがわかりました。とても勉強になりました。お忙しい中3回も長時間にわたり色々と丁寧に教えていただき本当にありがとうございました。法律学以外にもう色々と勉強しなければならないことがあるのがよく分かりました。僕自身の会社での仕事への取り組み方についても多くのヒントをいただきました。

【B先生】そう言っていただけると嬉しいですね。また何か私で役に立てそうなことがあれば遠慮なく連絡してください。君の職場の様子もまたいろいろ教えていただければと思います。それでは!(完)

 

〈注記〉本資料に関し、以下の点をご了承ください。
・ 本ニューズレターは2023年10月10日時点の情報に基づいて作成されています。
・ 今後の政府による発表や解釈の明確化、実務上の運用の変更等に伴い、その内容は変更される可能性がございます。
・ 本ニューズレターの内容によって生じたいかなる損害についても弊所は責任を負いません。

2023年09月11日(月)10:00 AM

グローバルビジネスと人権に関するニュースレターを発行いたしました。 PDF版は以下のリンクからご確認ください。

グローバルビジネスと人権:「コンプライアンス」と「ビジネスと人権」今さら聞けない素朴な疑問(その2)

グローバルビジネスと人権:
「コンプライアンス」と「ビジネスと人権」
今さら聞けない素朴な疑問(その2 

2023年9月
One Asia Lawyers Group
コンプライアンス・ニューズレター
アジアSDGs/ESGプラクティスグループ

はじめに

コンプライアンスやビジネスと人権に関して、いろいろな言葉や考え方が錯綜してわかりにくいと思っている人は少なくないと思います。このニューズレターではそうした問題について、次のような設定によりQ&Aの形式でわかりやすく解説することにします。

舞台設定

Aくんは、ある国立大学の法科大学院を修了し、一昨年から大手企業で法務コンプライアンスの担当者として勤務している。企業は、投資家たる株主のために利益を追求する主体であると会社法の授業では教えられた。他方で、最近では企業の社会的責任や法令等を厳格に遵守すべきことが唱えられている。そのための管理コストが大きくなり、それが利益を圧迫するかも知れない。さまざまな手続きやペーパーワークも増えて、とくに事業部門の人たちの提出が遅れがちになり、催促しなければならないことも増えてきた。しかしこれも時代の要請であり、万一でも不祥事に巻き込まれることのないように、従業員の一挙手一投足に対しても注意を払い、厳しく徹底していくのが法務コンプライアンス担当者の責任であると自分自身に言い聞かせてきた。

しかし入社以来、製造部門や営業部門の人たちからなんとなく鬱陶しがられているのを感じている。彼らは法律の基礎知識がないからかとも思うが、自分自身も製造や営業の仕事について殆ど知らないことも少し気になってきた。工場が製品の納期に追われて忙しいときに、コンプライアンス関係の書類を催促すると、製造工程をコーディネートする少し年配の人から「俺達は今、お客さんに催促されて深夜まで働いているんだ。お客さんを満足させることがわが社の一番大事な仕事じゃないのか」と言われはっとした。上司からは「コンプライアンス関係の書類の期限を厳しく守らせるのが君の仕事だ」と言われているが頭の整理がつかず悩んでいる。

そこでAくんは、法科大学院のときに、大学主催のセミナーで「人権DD」について話をしていたB先生を思い出した。B先生はAくんと同じ大学で法律学を学び大手企業に勤務していたが、その後アメリカのロースクールでLL.M.を取得してビ現在はジネスコンサルタントをしながら「ビジネスと人権」に関するNGOの仕事もしている人である。今日はとくにAくんからお願いして 設定してもらった二回目のミーティングである。

今回の話題:内部統制・リスクマネジメントと人権DDの関係

【Aくん】こんばんは。 今日もお忙しい中、時間を作っていただいて本当にありがとうございます。早速ですが、今日は、特にCOSO[1]のフレームワークと、 それが人権DD とどう関係するのかについて教えていただけないでしょうか。

【B先生】分りました。 かなり難しいリクエストですが重要な点なので、できる限りわかりやすく説明するようにします。 先回お話しした時から、君がかなり予習された事はご質問からもよくわかります。

【Aくん】はい。先回教えていただいたCOSOの「内部統制の統合的フレームワーク[2]」について調べてみました。 雑駁な印象なのですが、内部統制を統合的にマネジメントするのがこのフレームワークの目的だから、その内容を細かく切り分けて考えるとかえって理解しにくいように思います。同様に、コンプライアンス・ガバナンス・ESG・人権DD等の概念上の区別を詳細に議論してもあまり意味はないような気がします。それぞれ多少の違いはあっても、重なり合う部分はかなり 大きいのではないでしょうか。

【B先生】私も同感です。ガバナンス・コンプライアンス・ CSR・ESG等は、 大きくは同種の問題を扱っています。それぞれ強調のポイントに差はありますが、その程度のものでしょう。あえて言えば、区別することよりも、大きく重なり合っている問題意識を理解することの方が重要です。つまり、私達が前に進むためには議論のフォーカルポイントを正しく捉えることが大切です。UNGPsをまとめたジョン・ラギー教授もそうした指摘をしています[3]

疑問点1: COSOの2つのフレームワークの関係

【Aくん】話は変わりますが、COSOのウェブサイト[4]を見ていて、内部統制フレームワークだけでなく「エンタープライズ・リスク・マネジメント(ERM)」のフレームワークというものがあったので気になりました。リスクマネジメントは最近よく耳にするのですが、これも法科大学院の授業では教えてもらえませんでした。

【B先生】重要なポイントですね。COSOは最近ではERMフレームワークの普及にかなり力を入れてきています。ごく簡単に説明すれば、これは内部統制フレームワークよりも広範な企業の目的を扱っています、つまり、企業の重要な意思決定やパフォーマンスに関しても「合理的な保証」を確保するためのフレームワークといえます。2017年に改定された際に「ERM:戦略および業績との統合」という文書名で公表されました。内部統制フレームワークは企業のいわば基礎体力に関するものですが、ERMはさらに企業による目標や戦略設定等の重要な意思決定が、企業目的の達成に向けて正しく行われるところまでを合理的に保証することを目的としています、つまり、内部統制フレームワークよりも広い問題を扱っています。

これらのフレームワークについて、誤解されやすい点を中心に説明したいと思います。まずCOSOはこの2つのフレームワークはあらゆる組織に適用できるものであり、企業規模や営利非営利を問わず、さらに政府機関にも適用できると明言しています。また各組織は異なる方法で内部統制を実施することが可能であり、例えば「小規模な企業の内部統制システムは形式的・構造的でなくとも、有効な場合がある」との言及もあり、費用対効果を考慮することの重要性も繰り返し指摘されています。また合理的な保証を確保するためのもので、絶対的な保証を実現するためのものではありません。これらは両フレームワークに共通する点です。以下では内部統制フレームワークについて簡単にまとめてみます。

(内部統制の統合的フレームワーク

内部統制は連続したプロセスではなく、動的かつ統合的なプロセスであるとされます。そのプロセスは次の5つから構成されます。

(1)統制環境; (2)リスク評価;  (3)  統制活動; (4) 情報とコミュニケーション; (5)モニタリング

これらのプロセスは、リスクマネジメントや人権DDにおいても意識されている重要なものです。

内部統制フレームワークの目的は「経営者、取締役会、外部の利害関係者、その他企業に関わる人々が、過度に規則化することなく、内部統制に関するそれぞれの義務を果たすことを支援する」ことであり、何が内部統制システムを構成しているかについての理解と、内部統制が効果的に適用されている場合についての洞察の両方を提供することであるとします。

(内部統制の定義)

同フレームワークは、「内部統制とは、業務、報告、およびコンプライアンスに関する目的の達成に関して合理的な保証を提供するために、企業の取締役会、経営者、およびその他の従業員によって実施されるプロセスである」と定義します。

また内部統制が実現すべき目的を次の3つの範疇に整理しています。

1.業務目的これらは,業績目標および財務業績目標の達成および資産を損失から保全することを含む,事業体の業務の有効性と効率性に関連している。

2.報告目的これらは,内部および外部の財務および非財務の報告に関連しており,規制当局もしくは認められた基準設定主体により,または,事業体の方針として明らか にされる信頼性,適時性,透明性またはその他の観点を含むものである。

3.コンプライアンス目的これらは,事業体が法律および規則を遵守することに関連している

先日説明したように、今ではコンプライアンスという言葉が内部統制全体をイメージする上で広く用いられるようになってきましたが、元々は 3つ目の目的を示す言葉でした。しかし、これら3つの目的は現実には重なりあっている場合が少なくありません。例えば贈賄のような腐敗行為の多くは不正な経理と法令遵守の双方に関わるだけでなく、業務目的に反することにもなるでしょう。つまりこの3つの目的は全体として、企業が健康体を維持するためのものであり、それを基盤として企業はその使命を追求することが可能になります。また取締役会はより効果的に内部統制システムを監督できるようになり、株主や債権者は組織の目的の達成に対するより高い信頼性を得ることができます。

内部統制を構成する 5つのプロセスは、上記の3つの範疇の目的達成を危うくするリスクを組織が識別し、分析し、対応する能力を高めるためのものです。このように内部統制フレームワークにおいても、リスクマネジメントはその中心的な対応方法となっています。

また内部統制システムが効率的に運用される必要があることも強調されており、例えば「経営者の判断により、非効率で重複的な内部統制を排除」する可能性も指摘されています。つまり内部統制を有効に機能させるためには「方針および手続の厳格な遵守以上のもの」が必要とされ、経営者および取締役会は「十分な統制の水準を決定する」ために判断し、そして経営者やその他の構成員は「事業体全体にわたり統制を選択・整備・運用する」ために日常的に判断する必要があるとします。ここで重要な点は、内部統制は従業員の行動を拘束するだけではうまく機能しない場合が少なくないことです。単純な作業は機械やITを活用して処理されるようになってきました。企業で働く労働者の多くは、知識を用いた労働をしており、オーケストラを構成する楽器奏者のように独自に判断しなければならない場面が数多く存在します。楽器の専門家ではない指揮者が、奏者の演奏方法にまで細かく立ち入ると、奏者はやる気を失ったり、パフォーマンス全体の水準が落ちたりしかねません。これは企業で働く知識労働者にも起こりえることです。しかし全体を方向付ける指揮者からの明確なメッセージがなければ、彼らの演奏自体が意味を失ってしまいます。 そうした単純ではないプロセスをマネジメントするのが内部統制です。

疑問点2:内部統制とリスクマネジメントの関

【Aくん】企業は統合的に目的を果たすためのものだから、全体を正しく方向付ける必要があることは分かります。でもそれがリスクマネジメントとどのように関係するのかはよく分かりません。

【B先生】そうですね。企業の目的とリスクマネジメントの関係については、少し説明が必要かもしれません。企業の目的を知る上で最も手っ取り早いのが企業の使命・展望・価値観(Mission/ Vision/ Value)を整理したミッションステイトメントですね。君の会社の入社説明会では、その説明を行っていますか?

【Aくん】はい。それは人事部の仕事で、 毎年若手で話のうまい人が説明します。しかし、 なんというか、会社を格好良く見せるだけで、内容は例えば「常に時代の一歩先のイノベーションを追い求める」といったように抽象的です。最近ではどの企業も作っていますが、単にPR用ではないでしょうか? いくら綺麗事を言ってみても、結局のところ、企業の目的は「利潤追求」であって、どの会社も大差ないと思います。

【B先生】確かにそういった側面は否定できません。私は企業の目的が利潤追求だとする考え方は正確ではないと思っていますが、この点は別の機会に議論しましょう。

いずれにしても、せっかくミッションステートメントを作るのであれば、それは全従業員に向けた明確なメッセージとならなければ大した意味はないでしょう。他の会社でもやっているから、とりあえずそれに合わせるという行動様式から真に価値あるものが生まれることはないでしょう。

ところで君は学生の時に外資系のテーマパークでアルバイトをしていたと言っていましたね。そのときにミッションやバリューについて説明を受けたと思いますが、それは有益でしたか?

【Aくん】はい。とくにミッションで「私たちはありえないワクワクドキドキで、明日へと向かう元気をゲストに届けます」というところは気に入っていました。バリューはもう少し具体的に業務への取り組み方が説明されていました。いくつもあったのですが、印象に残っているのは「安全を最優先します」・「相手の心を動かします」・「とことん楽しみます」 の3つです。今思い返せば、アルバイトとして働くだけでも、かなり影響を受けました。

【B先生】ミッションステイトメントは従業員を方向付けるのに極めて重要です。テーマパークのように アルバイトも含めて、さまざまな業務を担当する多くの人が働く職場では特にそう言えるでしょう。 全従業員が共通の 使命や価値を共有して働ける事は、ゲストに対するサービス向上だけでなく、 働く人たちの満足感にもつながります。また、投資家を惹きつけるための重要なメッセージともなります。それが上辺だけのものになっていると、多くの人たちもそれに気づきます。

疑問点3:企業のミッションとエンタープライズ・リスク・マネジメント(ERM)

【Aくん】ところでミッションステイトメントとリスクマネジメントはどう関係するのでしょうか?

【B先生】すみません。話が脇道にそれてしまいました。

エンタープライズ・リスク・マネジメント(ERM)とは、事業全体の目標設定に向けたリスク管理であると同時に、 経営陣や取締役会による意思決定が企業の使命や価値観に整合しない可能性を検討するプロセスです。使命・展望・価値観は企業全体の方向付けとパフォーマンス向上の推進力だから、企業の目標や戦略の設定はこれらと整合している必要があります。経営陣が目前の成果や数字に引きずられるのは職務上やむを得ない面もあるように思います。しかし企業の使命や価値観に整合しない戦略に飛びついてしまうと、それは企業価値の破壊へとつながる大きなリスクとなります。

例えば、アジア全体の経済発展を主導することを基本的価値とする企業は、ある国で内戦が勃発した場合にも、簡単に現地子会社を売却する撤退戦略を採用するべきではないでしょう。それは他の多くの海外子会社で働いている現地従業員の人達にも裏切りとして映るかもしれません。他方でブランドイメージを最優先する企業であれば、より早い段階で紛争地域から撤退することが賢明な場合も少なくないでしょう。

目標や戦略の設定は意思決定に基づく選択であり、さまざまなリスクを伴うから、そうしたリスクへの対処方法も考慮に入れてなされる必要があります。リスクを特定し最適な対応方法を分析することは、さまざまなトレードオフが交錯する複雑な作業ですが、これを視野に入れることで、経営陣と取締役会は焦点を共有しながら合理的に議論することが可能になります。これがERMを用いることの重要なメリットです。つまり、経営陣と取締役会は、より多くの選択肢を見つけ出し、生産的で合理的に扱うことができるようになります。

COSOはこうしたプロセスを通じて、経営陣がリスクを明示的に考慮することが、戦略選択の影響について理解を深め、状況の変化に伴う戦略の長所・短所や、使命・展望・価値観との適合性を検討する視点を加えることによって、経営陣と取締役会や従業員等との対話を豊かにすることにあるとしています。

これは経営陣の聖域と考えられていた経営判断を洗練させることで透明性と説明責任を強化し、より広い関係者の共感と支援を得ることを可能にします。

【Aくん】なるほど。それは素晴らしい考え方ですね。

【B先生】しかし、これは簡単な作業ではありません。事業を取り囲む極めて多様なリスクに最適の対応を行うには、事業全体が有する全リスクのポートフォリオを作成した上で、 リスク対応の優先順位付けをできるようにする必要があり、これが正にERMが行おうとすることです。

最近、デパートの売却に関して、従業員によるストライキが話題になっていますね。このように経営陣や取締役会は企業の目標や戦略に関する意思決定の合理性について、株主や従業員等からますます厳しい説明責任を求められるようになってきています。なぜなら、こうした意思決定は企業の運命を左右するにもかかわらず、必ずしも合理的とは言えない方法で行われる場合が稀ではなかったからでしょう。

疑問点4:企業の意思決定におけるリスク評価の役割

【Aくん】法律学でも意思決定については扱っていると思うのですが、リスクマネジメントが議論されることはありません。これはなぜでしょうか?また戦略設定におけるリスク評価についてもう少し具体的に教えていただけないでしょうか?

【B先生】リスクマネジメントと法律学の関係について確かなことはわかりません。私の考えですが、法律学は紛争が生じた後の解決を中心に展開されてきたので、紛争や被害を予防するという観点がうまく位置づけられなかったのではないでしょうか。確かに契約に関して予防法学という言葉が用いられることはありますが、これも紛争が発生した場合に訴訟等で不利にならないよう契約条項を定めておくといった意味でしょう。これに対してリスクマネジメントは、組織を効率的に運営するためのツールとして経営学や会計学等で議論されてきました。効率的な企業運営において、大きな損害を被ってから訴訟で救済を求めるだけでは明らかに不十分です。つまり損害を被る可能性をいち早く予測し、それに対応するための合理的な方策を講じることは組織運営の中心です。最近話題となる環境問題等では、それが大きな災害となってからでは手遅れであり、未然に防ぐための方策がより重要です。法律学は、隣接する学問領域から学ぶ必要性が高まっています。最近、コンプライアンスからリスクマネジメントに組織運営の重心が移りつつあると指摘されています。内部統制もコンプライアンスも法律学が生み出したものではありません。私も経営学や会計監査を学生の時にもっと勉強しておけばよかったと後悔しています。

戦略設定の意思決定は複雑なプロセスですが、少し単純化して説明しましょう。またリスクの評価や分析は、とくに人権DDとも共通する面があるので、そのことも頭の片隅におきながら聞いてください。

全ての戦略案は、理想的には、主要なリスク・リスクの軽減方法・オフロード方法・リスク保持のコスト、の概要を示した上で提案されるべきです。

具体的には戦略案に伴うリスクを評価する際には、リスクの可能性やコストを増幅させる状況を考慮し、もし巨額の損失を生じる可能性があることが判明すれば、その戦略案を回避する重要な材料になります。

もちろん企業が保有可能なリスクの量は、その企業の財務状況に強く影響されます。例えば収益性や手元資金に余裕のある企業は、リスクに伴う財務損失について耐性があり、逆に現金の多くをローン返済に充てている企業はリスク保有の余裕がありません。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」というように、合理的にリスクを採る能力は、ビジネスの成功にとって大きな意義を持ちます。それは財務に限られた問題ではありません。具体例を上げましょう。

ある海岸線付近の地方では、過去10年間に3回も大きな台風に見舞われたため、貸店舗が不足している。ある不動産会社は、台風のリスクを十分考慮に入れて、建物の1階部分を高くし、建物の下に雨水が流れ込むスペースを確保して、台風のリスクを軽減できる店舗用建物の設計を開発した。同社はその建設と運用に成功し、さらに数回の台風を最小限の被害で乗り切った。同業他社の多くが台風のリスクを嫌ってこの地方から撤退したため、同社は長期にわたり大きな収益を得ることが可能となった。

COSOのERMフレームワークで特に強調されているのは、リスクは負の要因としてだけでなく、ビジネスの成功の重要な機会としても考慮すべきである点です。この台風の例でも明らかですが、要するに同じリスクであっても、各企業によって対応能力に大きな差がある場合は少なくありません。つまり君の会社はそのリスクにうまく対応できるけれども、同業他社にそれができなければ、それが強みとなります。これはリスク選好度という表現で示されることもあります。

もちろん自社のビジネスに関するリスクの分析は慎重に行う必要があり、日頃から調査研究すべきものです。例えば業界内で他社が遭遇した問題などには注意を払う必要があり、そのリストを定期的に見直し、とくに状況によるリスク顕在化の可能性を注意深く確認する必要があります。また自社に特有のリスク対応策や能力を日常的に把握していることも大きな意義を持ちます。リスクが大きなビジネスチャンスとなりうることは、とくに君のようにコンプライアンスを担当する人も十分に理解する必要があるでしょう。

疑問点5:企業組織におけるリスクマネジメント体制の構築方法

【Aくん】リスクはビジネスチャンスですか。少し驚きましたが、言われてみればその通りですね。でも企業を取り巻くリスク全体のポートフォリオを作って、それを日常的にアップデートするとなると、簡単ではありませんね。最近、どこかでCRO(最高リスク責任者)という言葉を耳にしました。そうした専門家を雇用しないと対応できないのでしょうか?

【B先生】重要な点ですね。私は、そうした形式的な役職を設定する前に、全社的にリスクをマネジメントする必要性を経営者や従業員が広く文化として共有するプロセスが必要だと考えます。その時に、例えば君のようなポジションにある人がそうした文化形成の触媒的な役割を果たすのが現実的で堅実な方法ではないでしょうか。冗談ではなく、本気でそう思います。部門を超えてリスクの状況を把握できる可能性のある人は多くはありません。

経営陣や取締役会が、企業全体のリスク状況を意思決定において活用するには、その情報が管理されている必要があります。大企業では多くの部門があります。それぞれに成果を上げる必要から、その部署に関係するリスクが認識されていても、その測定や対応に一貫性がないことはよくあります。さらに悪いことに、複数の部門にまたがって発生するリスクが認識されていないことは容易に起こり得ます。このような場合、あるリスクは、それぞれの部門で個別に考えれば小さく見えても、企業全体にとって重大な懸念事項となる場合があります。つまり企業組織としてリスクに合理的に対処するための方法は、企業全体で協調して取り組むことしかありません。そう考えると、外部から専門家を採用して新しい役職を作るだけで対応できるような問題ではありません。

ところで君が法務コンプライアンス担当者として最も気にしているのはどんな問題でしょうか?

【Aくん】いろいろと種類は多いです。下請法とか独禁法とか労働法関係とか。外国公務員贈賄とか最近では海外のサプライチェーンなんかも気にしています。簡単に言えば、法律をかなり詳しく知らないと気付かずに法律違反をしてしまうような問題で、特に会社にとってインパクトの大きい問題と言えるでしょうか。マスコミに騒がれるいわゆる「不祥事」へと繋がるような問題です。

【B先生】よく分かります。法律知識がない場合、そうした行為が社会に及ぼす危害との因果関係を直感的に理解するのが難しいでしょう。しかし法律が広く受け入れられるようになるには、必ず根拠があります。人々の行動を規律し、その違反に制裁を加えるためには、納得できる理由を示す必要があります。それは法の支配の根幹です。それが簡単でないことはよく分かりますが、企業に人権尊重責任を根付かせるには、なぜそれが法律で禁じられているのかを納得できるよう伝える必要があります。また研修に加えて、評価制度などを適切に設計することも検討すべきでしょう。

逆に、企業がなにか問題を起こした場合、それのみで企業は消滅すべきであるとか、その従業員全員が犯罪者であるかのような考え方も修正する必要があるように思います。私達は、その企業がその後どのようにその問題に取り組んでどのように変化しているかを粘り強く注視し続ける姿勢を身につける必要があります。事件の性格にもよりますが、従業員全員が厳しい社会的な制裁を受けることが適切ではない場合もあるでしょう。アメリカでは、エンロン事件に関してアンダーソン会計事務所が起訴されたことによって、多くの従業員が会計士資格を剥奪されたり、事務所が上場企業の監査ができなくなったりして、社会的に大混乱が起こりました。それ以降、FCPA違反に関して、組織をすぐに起訴するのではなく、司法取引で多額の制裁金を支払わせ、組織文化再建に向けてコンプライアンスモニタの指示に従うこと等を条件として、起訴猶予合意が締結される実務が広く行われるようになっています。日本の刑法や刑事訴訟法ではこうした対応は難しそうですが、かといって組織に対する行政的制裁で済ませるのが不十分だと思われる事件は増加しているように思います。また、上級経営者の責任をもっと厳しく追及する必要がある事件も少なくありません。

疑問点6:内部統制・ERMと人権DD

【Aくん】分かりました。ちょっと耳が痛いです。ところで今気づいたのですが、人権DDが防止しようとする人権侵害に対するリスクもERMや内部統制システムに組み込んで考えることができるのではないでしょうか。これって突拍子もないアイデアでしょうか?

【B先生】良い所に気付かれましたね。私もそう考えます。それはCOSOの2つのフレームワークから見ても自然なことです。

内部統制フレームワークは、企業内部の通常の運営において、企業目的を達成するための合理的な保証を確保するためのものでした。これは組織の健康体を保つ基本的な部分に関するもので、FCPAが法的義務として位置づける範囲をカバーします。

ERMフレームワークはさらに広い範囲のリスクをも考慮に入れて、企業が重大な意思決定を行う際にも、それが適切に行われる合理的な保証を確保しようとするものです。現段階では、法的な義務とまではされませんが、米国の証券取引委員会等が用いる基準として支配力を増しています。

人権DDはそのどちらにも関係しますが、ビジネスが人権に対して及ぼす負の影響を停止・防止・軽減するという目的から、サプライチェーンも含めた広範な問題について、企業がその影響力を積極的に行使することを求めています。

だから、それらを別個の問題として扱うのではなく、企業のリスクマネジメントの一環として統合的に扱う事は、企業を取り巻くリスクを軽減するための理にかなった対応方法といえるでしょう。

内部統制とERMとの間に強い関連性があることはCOSOが指摘しており、両者の関係についての詳細な説明もあります。どちらもリスク評価に着目した組織のマネジメントの一環ですが、ERMは組織の重要な意思決定にもリスクマネジメントの方法を活用する野心的なものです。

人権DDの実施方法について眺めてみると、それがCOSOのフレームワークに見られる方法を強く意識していることがよく分かります。先に説明したように、内部統制システムを構成するのは次の 5つのプロセスでした。

(1) 統制環境; (2)リスク評価; (3) 統制活動; (4) 情報とコミュニケーション; (5)モニタリン

これをOECDガイダンス[5]の人権DDにおけるプロセスと比較すると次のようになります。

(1) 責任ある企業行動を企業方針および経営システムに組み込む【統制環境】

(2) 企業の事業,サプライチェーン およびビジネス上の関係における負の影響を特定し,評価する【リスク評価】

(3) 負の影響を停止、防止および軽減する【統制活動】

(4) 実施状況および結果を追跡調査する【モニタリング】

(5) 影響にどのように対処したかを伝える【情報とコミュニケーション】

(6) 適切な場合是正措置を行う,または是正のために協力する【統制活動】

少し順序等が異なりますが、全体として内部統制フレームワークの構成要素は意識されていたと考えるべきでしょう。確かに、人権DDに関しては、企業の外部で生じる広範な問題に対応する必要から、その全体においてステークホルダーエンゲージメントが非常に重要な役割を果たします。またそのために、苦情処理メカニズムや情報とコミュニケーションにおいて、企業に対する要求は厳しいものとなります。

しかしOECDのガイダンスには、人権DDが資源の制約の中で、効率的に行われるべき点が強調されています。

「資源の制約にどう対処できるか:デュー・ディリジェンス(DD)には,人的資源と財源の問題が関わっている。資源の制約は全ての企業にとって課題となり得るが,特に小規模な企業では,DD実施のための人的資源や財源がさらに少ない場合がある。その一方で,小規模な企業は大規模な企業に比べ,企業方針の策定およびその実行に関する柔軟性が高く,対処すべき影響やサプライヤーも少ない場合が多い。リスクに相応するデュー・ディリジェンスを実施する責任が,企業の規模や資源によって変わるものではないが,実施方法に影響する可能性がある。資源の制約がある企業では,DD実施の上で,協働によるアプローチに依存する度合いが高いと考えられ,優先順位付けにおいてはより注意深い決定が必要である。また,企業方針のモデルや特定のサプライチェーンにおけるリスクに関する公の情報等,既存の資源を利用したり,会員となっている業界団体の技術的支援を求めたりすることも可能である。」

人権に関するリスクへの対応能力も、それぞれの企業によって異なります。つまり、対応能力の高い企業にはそれをビジネスチャンスとして活用する可能性が当然に生まれます。そうしたチャンスを逃さないためにも、人権DDをERMに組み込むことは有益でしょう。

人権DDに関して、サプライチェーンにおけるリスク評価や苦情処理メカニズムについては、 もう少し説明が必要です。しかしもうだいぶ遅いので、今日はここまでにしましょう。

おわりに

【Aくん】長時間にわたり、色々と教えていただきありがとうございました。考えなければいけないことが多くて大変ですが、 いくつかの重要な課題に気づきました。それから本当に厚かましいのですが、もう一度だけ時間を作っていただけないでしょうか?企業の目的を「利潤追求」であるとする考えは不正確だと言われた点は特に気になっています。最近の状況では、企業に対して利潤追求とは矛盾する要求ばかりが強まっているような気がします。また日本の企業も人権問題に真剣に取り組んでいると思っていたのですが、8月に公表された国連「ビジネスと人権」作業部会の訪日調査では、日本社会に対する厳しい評価が多くの点で指摘されている点も不思議です。何か私達に誤解があるのでしょうか。

【B先生】分りました。君のような熱心な若者のリクエストを断ることはできません。喜んで説明させていただきます。来月の今頃でよろしいでしょうか。(続く)

 

〈注記〉本資料に関し、以下の点をご了承ください。
・ 本ニューズレターは2023年9月7日時点の情報に基づいて作成されています。
・ 今後の政府による発表や解釈の明確化、実務上の運用の変更等に伴い、その内容は変更される可能性がございます。
・ 本ニューズレターの内容によって生じたいかなる損害についても弊所は責任を負いません。

 

[1] COSOはトレッドウェイ委員会支援組織委員会の略称。トレッドウェイ委員会(不正な財務報告全米委員会)はFCPA(海外腐敗行為防止法)が企業に内部統制プログラム実施を義務づけたことを受けて、企業の不正な財務報告書を調査・分析・勧告するため1985年にアメリカ公認会計士協会・アメリカ会計学会,・財務担当経営者協会,・内部監査人協会・管理会計士協会の支援によって設立された。同委員会は1985年10月から1987年9月までの期間に実態調査を行い、1987年10月に調査結果のレポートを発行した。この報告の結果としてCOSOが設立され、Coopers & Lybrand(当時)に問題点の調査と統合的な内部統制の枠組みについての報告書執筆を依頼した。COSOは1992年に4巻の報告書を作成し1994年に微修正を加えて「内部統制の統合的フレームワーク」を公表した。

[2] 2013年版のエグゼクティブサマリー(日本語訳)を 日本公認会計士協会のウェブから入手できる。https://jicpa.or.jp/news/information/docs/5-99-0-2-20160112.pdf

[3] ビジネスと人権に関する指導原則:国際連合「保護、尊重及び救済」枠組実施のために(A/HRC/17/31)国連広報センターのウェブに日本語訳が掲載されている。(https://www.unic.or.jp/

[4] COSOによる2つのフレームワークのエグゼクティブサマリーとガイダンスと呼ばれる付加的な説明文書が閲覧できる。 (https://www.coso.org)

[5] https://mneguidelines.oecd.org/OECD-Due-Diligence-Guidance-for-RBC-Japanese.pdfp

2023年08月14日(月)10:00 AM

グローバルビジネスと人権に関するニュースレターを発行いたしました。 PDF版は以下のリンクからご確認ください。

グローバルビジネスと人権:「コンプライアンス」と「ビジネスと人権」今さら聞けない素朴な疑問(その1)

グローバルビジネスと人権:
「コンプライアンス」と「ビジネスと人権」
今さら聞けない素朴な疑問 (その1

 2023年8月
One Asia Lawyers Group
コンプライアンス・ニューズレター
アジアSDGs/ESGプラクティスグループ

はじめに

コンプライアンスやビジネスと人権に関して、いろいろな言葉や説明が錯綜してわかりにくいと思っている人は少なくないと思います。このニューズレターではそうした概念や考え方について、次のような設定をもとにしたQ&Aの形式でわかりやすく解説することにいたします。 

舞台設定

Aくんは、ある国立大学の法科大学院を修了し、一昨年から大手企業で法務コンプライアンスの担当者として勤務している。

企業は、投資家たる株主のために利益を追求する主体であると会社法の授業では教えられた。他方で、最近では企業の社会的責任や法令等を厳格に遵守すべきことが唱えられている。そのための管理コストが大きくなり、それが利益を圧迫するかも知れない。さまざまな手続きやペーパーワークが増えたためか、とくに事業部門の人たちの提出が遅れがちになり、催促しなければならないことも多くなってきた。しかしこれも時代の要請であり、万一にも不祥事に巻き込まれることのないように、従業員の一挙手一投足に対しても注意を怠らず、厳しく徹底していくのが法務コンプライアンス担当者の責任であると自分自身に言い聞かせてきた。

しかし入社以来、製造部門や営業部門の人たちからなんとなく鬱陶しがられているのを感じている。彼らには法律の基礎知識がないからかとも思うが、自分自身も製造や営業の仕事について殆ど知らないことも少し気になってきた。工場が製品の納期に追われて忙しいときに、コンプライアンス関係の書類を催促すると、製造工程をコーディネートする少し年配の人から「俺達は今、お客さんに催促されて深夜まで働いているんだ。お客さんを満足させることがわが社の一番大事な仕事じゃないのか」と言われてはっとした。他方でAくんの上司からは「コンプライアンス関係の書類の期限を厳しく守らせるのが君の仕事だ」と言われている。

Aくんは、色々と本を読んだりウェブで調べたりしたが、どう考えるべきなのか整理がつかず、少し悩んでいる。またコンプライアンスだけでなく、最近よく言われるESGや「ビジネスと人権」についても実はよく分かっていないことが色々ある。

そこでAくんは、法科大学院のときに、大学主催のセミナーで「人権DD」について話をしていたB先生を思い出した。B先生はAくんと同じ大学で法律学を学び大手企業に勤務していたが、その後アメリカのロースクールでLL.M.を取得してビ現在はジネスコンサルタントをしながら「ビジネスと人権」に関するNGOの仕事もしている人である。AくんがB先生にメールで連絡し自分が悩んでいる点を説明し、基本的な問題も含めて色々と教えてもらいたい旨を伝えたところ、面談を快諾してくれた。

疑問点1;さまざまな用語の意味と背景

(Aくんの質問)

非常に基本的で恥ずかしいのですが、最近、ビジネスに関連してガバナンスとかコンプライアンスとかESGとか色々と似たような言葉がたくさんあって、ややこしくて困っています。それらの関係について簡単に教えていただけないでしょうか? 司法試験には直接関係しないので、法科大学院ではほとんど教えてもらえませんでした。

(B先生の回答)

確かにややこしいですね。これらの言葉が生まれてきた共通の背景には、社会生活のさまざまな局面において、企業の活動が社会に与える重大な影響についての問題意識があったと思います。

コーポレート・ガバナンス

コーポレート・ガバナンスという言葉は古くから用いられています。それが日本で議論の中心となったのは、バブル崩壊の頃からです。それまで日本の大企業は、メインバンク制や株式の持ち合いなど独特の方法で運営され、それなりに成果をあげてきました。従業員は終身雇用制で守られ企業内労働組合の存在感もありました。他方で取締役会や株主総会は形骸化していました。経営者に対するチェックが機能せず放漫な経営によってバブル経済が生じたという考えが広まりました。その結果、株価が急落して一般株主は大きな損失を被ったという理解です。だからこの時期の議論は日本型の企業統治方法を根本から見直すという意味で、会社法に関する議論が中心でした。「株主利益の最大化」が企業の目的であるとする議論は、伝用的な日本的企業経営に向けられた批判が中心にあります。社外取締役の導入もこの頃から議論が始まりました。

コンプライアンス

これもバブル崩壊と重なります。多くの金融機関は深刻な破綻の危機に見舞われていました。日本の金融不安が世界に広がることがないように、スイスのバーゼル銀行監督委員会(主要国の中央銀行が中心メンバー)が日本政府に対して金融機関にしっかりした内部統制システムを導入するよう強く要請しました。その時に同委員会が公表した「銀行組織における内部管理体制のフレームワーク」のコンプライアンスに関する部分を金融監督庁(当時)がまとめ金融検査マニュアルを策定したのを契機としてコンプライアンスという言葉が広がりました。このマニュアル自体は金融監督庁の検査官が銀行等を査察するためのものです。この経緯からわかるように、日本ではコンプライアンスが政府による規制に基づくものであるとの認識が定着しました。

アメリカでは企業のコンプライアンスは内部統制とほぼ同じ意味で用いられます。企業はその目的に從ってビジネス活動を誠実に行わなければならないと言う意味です。実はバーゼル銀行監督委員会が 日本政府に提示したフレームワークは、米国のCOSO の「内部統制の統合的フレームワーク」に準拠したものですが、日本政府に米国での動向について十分に理解を深める時間がありませんでした。

米国でのコンプライアンス文化の出発点となったのはウォーターゲート事件です。この時に米国の多国籍企業が海外の政府高官等に賄賂を渡して高額受注を獲得するビシネスが蔓延していました。こうした取引を通じて獲得された裏金が選挙資金として流入し、 大統領府さえも腐らせてしまう現実はアメリカ中に大きな衝撃を与えました。連邦議会はこれを国家存亡の危機と受け止め、外国公務員への贈賄に厳罰を課す海外腐敗行為防止法(FCPA)を1977年に制定しました。同法は米国の上場企業等に対して、適正な会計処理が行われるように内部統制を義務付けました。その具体的な方法を探求するために米国企業のビジネスの実態について詳細な調査が行われ、それに基づいて企業監査の専門家の組織であるCOSOが「内部統制の統合的フレームワーク」を公表しました。内部統制は不正な会計処理や法令等の遵守だけでなく、企業がその目的に即して効率的なビジネスを行うことを支援するためのものです。それは詳細な規則ではなく、いわば内部統制システムの建築基準のようなもので、各企業はそれに準拠しながら、それぞれの企業の目的や置かれた状況を考慮して柔軟に内部統制システムを設計することになります。コンプライアンスと言う言葉自体は、英語では広く用いられるもので、特殊な法律専門用語ではありません。企業に関しては、各企業の目的に從って誠実にビジネス活動を行うこと、またはそのための体制づくりを意味します。

しかし日本では、以上のような経緯から、コンプライアンスは行政による画一的な厳しい規制を遵守することを意味するものとしてすっかり定着してしまったようです。

ESG

ESGは 環境・社会・ ガバナンスの英語表記の頭文字をとったもので、 OECDの多国籍企業行動指針などにも見られます。この言葉が注目を集めるようになったのは、国連と産業界との共同イニシアチブであるグローバルコンパクト創設の頃からです。国連事務総長であったコフィ・アナン氏が産業界に協力を呼びかけたことによって1999年に創設されました。多くの企業がメンバーとなり、産業界としてグローバルな公共政策課題に取り組むことを目的としています。その後、このような国連と産業界・金融界との協力は様々な形で推進され、特に国連と機関投資家とのイニシアチブである「責任投資原則」(2006)では、 ESG 課題に真剣に取り組むビジネスに対しての融資を促進しています。金融を用いてビジネスの方向付けを行う方法には強いインパクトがあり、責任投資原則の他にも様々なものが立ち上がっています。企業が特にESGと言う言葉に敏感になったのはこうした経緯によります。

UNGPsSDGs

UNGPsは「国連ビジネスと人権に関する指導原則」の略称です。これは国連事務総長の特別代表であったジョン・ラギー教授(ハーバード大学)が、 広範な調査と利害関係者との意見交換をもとにまとめた文書で、国連人権理事会が2011年に採択したものです。ラギー教授はグローバルコンパクトの結成にも関わっています。

企業を国家に従属するものとして、条約により人権を尊重させる義務を垂直的に強制する方法が失敗に終わったため、それとは根本的に異なるアプローチがUNGPsでは採用されています。つまりビジネスにおいて人権を尊重する責任は、各企業が天賦のものとして直接に負うべき責任(企業の人権尊重責任を)とされ、国家と協力しながらそれを促進していくことが求められます。それを果たすため、企業が日々のビジネス活動に組み込むべき実務を人権DDと呼びます。UNGPs に 国連人権理事会がこうした問題に対する様々な取り組みの「権威あるフォーカルポイント」としての位置付けを与えています。世界中の幅広い関係者と様々なパートナーシップを促進してきた新しい国連の役割を示すものといえます。日本政府もやっと本腰を入れて取り組み始めたところです。UNGPsはそれ自体に法的拘束力はありませんが、産業界も含めた多くの関係者の支持を獲得しています。

SDGsは 2015年に開催された国連サミットで採択された2030年の全人類の達成目標です。これはビジネスに限らず、地球上のすべての人が協力して取り組むべき、地球温暖化・自然災害・戦争・性差別・人種差別等についての具体的な達成目標を示しています。幅広い目標を国連の権威によって集約した人類全体のいわば憲法のような存在です。SDGsは日本では地球温暖化や環境問題に関して注目されていますが、その内容には伝統的な人権に関するものも多数含まれています。

日本で「人権」と言う言葉は、歴史的経緯から、女性の参政権・部落や在日外国人差別・公害問題・労働問題などの特定の問題について用いられることが多かったと思います。これに対してSDGsは世界市民の公平平等や世代間格差への対応などの差し迫った課題を包括的に整理したもので、それらを新時代の人権問題と呼ぶことも可能です。SDGsは2015年に採択されましたが、これまでのビジネスと人権に関する様な取り組みは、SDGsの大きな傘の下で位置づけを与えられ、 統合的に把握されるようになるでしょう。例えば、グローバルコンパクト等のイニシアチブのウェブサイトでも、SDGsに言及することが積極的に行われています。

マネジメントの父と言われるドラッカーは晩年の著作『明日を支配するもの』のなかで、専門化が進み知識が重要な資源となる今日の世界では、各メンバーが自分自身の持ち場に責任を持つことを前提として、全体を方向付けるリーダーが必要とされると述べています。つまりそれはオーケストラの指揮者のような立場であり、国連もそうした役割を果たそうとしているように見えます。

疑問点2:人権DDとサプライチェーン

(Aくんの質問)

ところで「ビジネンスと人権」とサプライチェーンとはどのように関係するのですか?日本政府が人権DDに関連して公表した「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」がこの言葉を用いているので気になっています。

(B先生の回答)

ビジネスと人権の問題は、とくにグローバルなサプライチェーンのどこかの段階において奴隷的な労働に携わる人たちが急激に増加したことと深く関連しています。

日本ではとくにユニクロのシャツがウイグル産の綿を使っていた疑いのため、米国政府によって輸入が禁じられた事件が話題となりました。これはユニクロのサプライヤーの問題ですが、発注した企業も大きな損失を被ることになります。日本には多くの製造業があり、サプライチェーンは中国やアジア諸国に広がっているため、日本政府はガイガイドラインの公表を急いだようです。作業は昨年春から始まり9月にガイドラインが公表されました。

サプライチェーンのどこかの段階で強制労働が行われていたり、違法採掘による鉱物が混入していたりするのを見逃せば、最終商品を購入した消費者がそうした犯罪的活動を実質的に支援することになり、状況はどんどん悪化します。そうした活動の多くに確信犯的な人々が関与しており、人身売買・強制労働・環境破壊・外国公務員への贈賄・違法薬物販売・マネーロンダリング等が 深く結びついていることが少なくありません。とくに紛争地域のように統治体制が崩壊した地域に多く見られ、コンゴでは人々を借金漬けにして錫などIT製造に重重要な鉱物がそうした方法で採掘されていたので紛争鉱物と呼ばれています。そうした境遇に置かれた人達は日常的に暴力を受け、危険な採掘作業によって心身を蝕まれ、命を落とすことも稀ではありません。残念なことですが、先進国の消費者市場拡大がその原動力となっています。研究者等の調査によってそうした事実が明らかにされ、今では「現代奴隷」という言葉がすっかり定着しました。

話を日本政府ガイドラインに戻しましょう。すでにOECDは人権DDの実務指針となる各種ガイダンスを公表してきています。まずリスクの高い産業セクター毎のものが公表され、 2018年にはすべての企業が用いることができるガイダンスも作られました。日本語に訳された冊子もあります。だから政府がなぜ急いで同じような内容のガイドラインを作成したのか については、少し疑問が残ります。おそらく日本企業はOECDに対する関心は薄いけれども、政府からの指示には注意を払うだろうということでしょう。

しかし、人権DD自体が「企業の人権尊重責任」を果たすためのものだとすれば、政府の指示に従えば企業はそれで免責されると言うことにはなりません。UNGPs の最大の目的は、企業自体が国家からの強制とは無関係に人権尊重責任を負うことを明確にした点にあります。つまり企業の自主的な取り組みが要請されています。また日本もOECDに加盟していますから、日本企業はこうしたガイダンスも当然に参照する必要があります[1]。「ビジネスと人権」はグローバルな取り組みだから、日本の企業も政府の言っていることだけに従っていれば良いと言う話ではありません。最近ではAI等を活用した翻訳ツールも色々とあるのだから、英語を読むことができないとの言い訳はもう通用しません。君の会社も、こうした国際的な動向を踏まえた上で、グローバル水準のコンプライアンス体制を構築していくことをぜひ考えていただきたいと思います。

疑問点3: コンプライアンスと法令遵守

(Aくんの質問)

ところで「コンプライアンスはよく法令遵守と訳されていますが、最近ではセクハラや技能実習生の問題なども入っているような雰囲気になってきました。パワハラや保険金の不正請求などでマスコミやSNSで非難される企業も増えているので、法務コンプライアンスの関係者で慌てて職務倫理規程を作りました。今、従業員に周知徹底するための研修をしていますが、とくに営業担当者に受けが良くなくて….

(B先生の回答)

重要な点ですね 。コンプライアンスはすでに説明したように、企業がその目的に従って誠実にビジネス活動を行うことを要求します。関係法令を遵守することも当然含まれますがそれに限定されません。つまりコンプライアンスは「法令遵守」よりも広い概念です。それは誠実なビジネスを可能とする体制づくりだから、マネジメントシステムの一環とも言えます。 だから上級経営者が責任を持って実施すべきものです。

君の会社の倫理規程は特に人権に関する問題に対応するのが目的だとすれば、人権DDの一環ですね。もちろんそれもコンプライアンスに含まれますが、その特徴はビジネス活動が広く社会に及ぼす負の影響を防止することにある点です。つまり日常業務に関するチェック機能の不備とか不正経理とかいった企業内部の問題とは一応区別することもできます。

こうした企業の責任は法律学では主に不法行為責任として処理されてきました。公害がその典型例です。しかし大きな被害が生じてからの事後的救済ではあまりに不十分なので、それを未然に防止するための方策として人権DDが重視されています。それを効果的に行うためには、各企業が自らの特徴や具体的な状況に応じて、社会に対して及ぼす負の影響について具体的なリスク評価を実施することが必要です。これは法務コンプライアンスの担当者だけでできるものではありません。

リスク評価を行う目的は、限られた資源を効果的に配分するために、優先順位付けを行うことにあります。あらゆるリスクを羅列してそれを片端から潰すようなことを要求すれば、ビジネスの担当者は本来の職務に使う時間がなくなってしまいます。日本社会は「万全」とか「総点検」とかいった言葉が好きですが、企業は収益をあげなければならないから、過剰な要求は企業の目的に反することになります。これは様々な要素を考慮して行う難しい判断だから、色々な部門の置かれた状況を正しく把握した上で、規程を作る必要があるでしょう。法務コンプライアンスの関係者だけで作ると、どうしても網羅的なものになりがちです。またビシネス活動の前線で収益をあげようとする人たちが背負っている業務の難しさも忘れがちになります。もちろん、営業担当者の主張に対し、コンプライアンスの担当者が毅然と対立しなければならない場面は少なくないでしょう。しかしそのときにも、お互いの立場を理解して、効果的で負担の少ない方法をぎりぎりまで考え抜くことが大事だと思います。

実践において無理のある規則を作ってしまうと、その規則に従うことを要求された人たちは、自分の職務を侮辱され、人間として軽んじられているように感じます。これは直ぐに目には見えないかもしれないけれど、確実に企業を蝕んでいくことになります。

だから君の会社の職務倫理規程は、事業部門の人たちとしっかりコミュニケーションをとって、そうした人たちが日々のビジネス活動の中で責任をもって守ることに納得した、実践可能なものとしなければなりません。トップマネジメントの判断や支援が必要とされる場合もあるでしょう。会社の将来にとって、 君に与えられた役割は極めて重要です。

おわりに

(Aくん)

自分の仕事がこんなに重要だとは思っていませんでした。色々と教えていただき有難うございました。厚かましいお願いですが、次の機会に、COSOのフレームワークのことや人権DDの具体的な進め方なども教えていただけないでしょうか?それから、そもそも企業とはどういった存在なのかも気になってきました。経営学とかほとんど勉強しなかったので。

(B先生)

分かりました。私で良ければ、喜んで説明させていただきます。次回ですが、来月の今頃にZoomでお会いするのはいかがでしょうか? (次回に続く)

 

〈注記〉本資料に関し、以下の点をご了承ください。

・ 本ニューズレターは2023年7月末時点の情報に基づいて作成されています。
・ 今後の政府による発表や解釈の明確化、実務上の運用の変更等に伴い、その内容は変更される可能性がございます。
・ 本ニューズレターの内容によって生じたいかなる損害についても弊所は責任を負いません。

 

[1] https://www.oecd.org/investment/due-diligence-guidance-for-responsible-business-conduct.htm

2023年06月14日(水)9:10 AM

東南アジア・南アジアにおけるESG/SDGs/人権DD 有価証券報告書等におけるサステナビリティ情報の開示についてニュースレターを発行いたしました。
PDF版は以下からご確認ください。

有価証券報告書等におけるサステナビリティ情報の開示について

 

グローバルビジネスと人権:
東南アジア・南アジアにおけるESG/SDGs/人権DD
有価証券報告書等におけるサステナビリティ情報の開示について

2023年6月
One Asia Lawyers Group
コンプライアンス・ニューズレター
アジアSDGs/ESGプラクティスグループ

1.はじめに

 「サステナビリティ情報」に関する開示については、2022年6月に公表された金融審議会ディスクロージャーワーキング・グループ報告において、「サステナビリティに関する企業の取組みの開示」に関して制度整備を行うべきとの提言がなされました。当該提言を踏まえ、金融庁は、2023年1月31日、サステナビリティに関する企業の取組みの開示の新設、コーポレートガバナンスに関する開示の充実などを含む、「企業内容等の開示に関する内閣府令等の一部を改正する内閣府令」(改正開示府令)を公布しました。改正後の規定は、令和5年3月31日以後に終了する事業年度に係る有価証券報告書等から適用されます。

 本ニューズレターでは改正開示府令のうち、サステナビリティ開示を中心に解説いたします。

2.「企業内容等の開示に関する内閣府令」等の改正

(1) 概要

 1) 概要

   有価証券報告書等に、「サステナビリティに関する考え方及び取組」欄が新設されました(第一部【企業情報】第2【事業の状況】2)。また、人的資本・多様性やコーポレートガバナンスに関する開示については、拡充が行われました。

 2) 記載事項

  改正開示府令により新設、拡充された記載項目は以下のとおりです。

サステナビリティに関する考え方及び取組(サステナビリティ関係)

項目

内容

留意点

①ガバナンス

サステナビリティ関連のリスク及び機会を監視し、及び管理するためのガバナンスの過程、統制及び手続

・全ての企業が開示することが求められる

②リスク管理

サステナビリティ関連のリスク及び機会を識別し、評価し、及び管理するための過程

③戦略

短期、中期及び長期にわたり連結会社の経営方針・経営戦略等に影響を与える可能性があるサステナビリティ関連のリスク及び機会に対処するための取組

・各企業が「ガバナンス」と「リスク管理」の枠組みを通じて重要性を判断して開示することが求められる

・記載しないこととした場合でも、当該判断やその根拠の開示を行うことが期待される

④指標及び目標

サステナビリティ関連のリスク及び機会に関する連結会社の実績を長期的に評価し、管理し、及び監視するために用いられる情報

サステナビリティに関する考え方及び取組(人的資本・人材の多様性)

項目

内容

留意点

①人材の育成に関する方針及び社内環境整備に関する方針

人材の採用及び維持並びに従業員の安全及び健康に関する方針等

・上記①、②の重要性判断にかかわらず、全ての企業が開示することが求められる

②①の方針に関する指標の内容並びに当該指標を用いた目標及び実績

従業員の状況(女性活躍関係)

項目

内容

留意点

①管理職に占める女性労働者の割合

連結ベースでの開示は求められていないが、努めるべきとされる

・女性活躍推進法及び育児・介護休業法に基づき公表する場合は記載が求められる

・公表義務については、女性活躍推進法等に従う

②男性労働者の育児休業取得率

 

③男女の賃金の差異

全労働者、正規雇用労働者、パート・有期労働者別の賃金格差を記載

コーポレート・ガバナンスの概要

項目

内容

留意点

①取締役会等の活動状況

開催頻度、具体的な検討内容、個々の取締役又は委員の出席状況等

 

②監査の状況

・監査役監査の状況(開催頻度、具体的な検討内容、個々の監査役の出席状況及び常勤の監査役の活動等)

・内部監査の状況等(内部監査の実効性を確保するための取組)

 

出典:「記述情報の開示の好事例集2022」

(2) サステナビリティに関する考え方及び取組の留意点等

 1) 記載上の留意点

 ・企業の中長期的な持続可能性に関する事項について、経営方針・経営戦略等との整合性を意識して説明することとされています

 ・サステナビリティ情報には、国際的な議論を踏まえると、例えば、環境、社会、従業員、人権の尊重、腐敗防止、贈収賄防止、ガバナンス、サイバーセキュリティ、データセキュリティなどに関する事項が含まれ得ると考えられます

 ・開示の重要性の判断においては、「記述情報の開示の重要性は、投資家の投資判断にとって重要か否かにより判断すべきと考えられる」とされており、その重要性は「その事柄が企業価値や業績等に与える影響度を考慮して判断することが望ましい」とされていることが参考になります

 2) 気候変動対応について

   気候変動対応についても、企業において、「ガバナンス」と「リスク管理」の枠組みを通じて、投資家の投資判断の観点から重要性を判断し、開示の要否を決定することになります。その際、国際的に確立された開示の枠組みである気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)又はそれと同等の枠組みに基づく開示をした場合には、適用した開示の枠組みの名称を記載することが考えられます。

   また、金融審議会ディスクロージャーワーキング・グループ報告において、温室効果ガス(GHG)排出量に関しては、投資家と企業の建設的な対話に資する有効な指標となっている状況に鑑み、各企業の業態や経営環境等を踏まえた重要性の判断を前提としつつ、特に、Scope1(事業者自らによる直接排出)・Scope2(他社から供給された電気、熱・蒸気の使用に伴う間接排出)の GHG 排出量について、企業において積極的に開示することが期待されるとされています。

3.具体的な開示項目とポイント

(1)検討 

 2023年1月31日、金融庁は、改正開示府令において新たに求められている「サステナビリティ情報」並びに有価証券報告書の主要項目である「経営方針、経営環境及び対処すべき課題等」、「事業等のリスク」及び「経営者による財政状態、経営成績及びキャッシュ・フローの状況の分析(MD&A)」に関する開示の好事例を取りまとめた「記述情報の開示の好事例集2022」を公表しています[1]

 改正開示府令に従った対応をするには、本事例集が参考になるものと思われます。以下それぞれの項目について、投資家・アナリストが期待・有用と考えるポイントを列挙させていただきます。

 ①「サステナビリティ情報」(環境(気候変動関連等))に関する投資家・アナリストが期待する主な開示のポイントについて

 1.TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)提言の4つの枠組み(ガバナンス、戦略、リスク管理、指標と目標)に沿った開示は、引き続き有用
 2.TCFD提言に沿った開示を行うにあたり、財務情報とのコネクティビティを意識し、財務的な要素を含めた開示を行うことは有用
 3.リスク・機会に関する開示について、一覧表で、定量的な情報を含めた開示を行うことは有用
 4.トランジションやロードマップといった時間軸を持った開示を行うことは、海外の気候変動に関する開示でも重視されており有用
 5.サステナビリティ情報に関する定量情報について、前提や仮定を含め開示することは有用
 6.実績値を開示することは、引き続き有用

 ②「サステナビリティ情報」(社会(人的資本、多様性等))に関する投資家・アナリストが期待する主な開示のポイントについて

 1.人的資本可視化指針で示されている2つの類型である、独自性(自社固有の戦略や、ビジネスモデルに沿った取組み・指標・目標を開示しているか)と比較可能性(標準的指標で開示されているか)の観点を適宜使い分け、又は、併せた開示は有用
 2.KPIの目標設定にあたり、なぜその目標設定を行ったのかが、企業理念、文化及び戦略と紐づいて説明されることは有用
 3.マテリアリティをどう考えているのかについて、比較可能性がある形で標準化していくことは有用
 4.グローバル展開をする企業は、サステナビリティ情報の開示において、例えば、人権に関する地政学リスク等、ロケーションについて着目することも有用
 5.独自指標を数値化する場合、定義を明確にし、定量的な値とともに開示することは有用
 6.過去実績を示したうえで、長期時系列での変化を開示することは有用
 7.背景にあるロジックや、前提、仮定の考え方を開示することは有用
 8.人的資本の開示にあたり、経営戦略をはじめとする全体戦略と人材戦略がどう結びついているかを開示することは有用

 ③「経営⽅針、経営環境及び対処すべき課題等」に関する投資家・アナリストが期待する主な開示のポイントについて

 1.経営方針等の中で、例えば、対象となる顧客のセグメントや、競合との差異・優位性等、顧客と競合に関する具体的な開示をすることは、戦略・ストーリーの説得力が増すため有用
 2.非財務指標の設定について、過去からの変化を、その理由とともに比較できる形で示すことは有用
 3.キャッシュの原資と使途について、優先順位を示しながら開示することは、財務戦略や経営方針等の意図が明らかになるため有用
 4.長期ビジョンからのドリルダウン(全体像⇒定量情報を含めた詳細情報といった流れでの説明)による記載は、分かりやすく有用
 5.非財務情報について、財務情報との関連性を示すことは有用
 6.株主還元という観点から、TSRについて継続的に開示することは有用

 ④「事業等のリスク」に関する投資家・アナリストが期待する主な開示のポイントについて

 1.リスクを全て見通すことはできないため、見直しを行うことが重要。その際、リスクの見直しを定期的に行うこと、見直しの体制やプロセス、変更されたリスクが分かるような記載及び変更となった理由が示されることは有用
 2.リスク及びその対応策を明確に開示することは、社内において、リスク及びその対応策の認識向上にも資するため有用
 3.投資家の判断に重大な影響を及ぼす可能性という観点から、影響度の大きさに優先順位を付けて開示をすることは有用

 ⑤「経営者による財政状態、経営成績及びキャッシュ・フローの状況の分析(MD&A)」に関する投資家・アナリストが期待する主な開示のポイントについて

 1.MD&Aは、投資家として非常に重要であり、経営方針等で示されている戦略や施策が当初の想定通りに進んでいるか(想定通りではない場合、その理由)、経営目標を達成できそうか等を確認することに活用
 2.長期経営計画や中期経営計画に対する毎年の進捗状況をMD&A等で開示することは有用
 3.指標等の予想と実績の開示に加え、予想と実績が乖離した場合には、その理由を記載することは有用
 4.指標を変更したことに関し、指標の考え方や、変更理由を具体的に記載することは、対話のための土台となることから有用
 5.ROIC(投下資本利益率)ツリーにより、個々の要素と全体の繋がりを体系的に示すことは有用。更に言えば、ROICツリーにおいて、個々の要素の貢献度の軽重や、定量情報等が記載されると、より有用
 6.企業価値向上に繋がるドライバーについて、重要な部分を示し、それを経営層がどう考えているかの説明は有用

(2)上記個別事項の項目とは別に、全般として、「企業価値の向上にどのような影響を与えるのか」・「サステナビリティ情報の開示について、より分かりやすく、魅力的に伝えることを意識すること」などが個別開示において有用とされています。

4.まとめ

  金融審議会ディスクロージャーワーキンググループは、今後の検討課題、ロードマップとして、我が国では、最終的に全ての有価証券報告書提出企業が必要なサステナビリティ情報を開示することを目標としつつ、今後、円滑な導入の方策を検討していくことが考えられるとしています。

  サステナビリティ基準委員会(Sustainability Standards Board of Japan: SSBJ)は、国際サステナビリティ基準審議会(International Sustainability Standards Board: ISSB)が2023年前半にサステナビリティ開示基準を最終化することを目指していることを踏まえ、日本版のサステナビリティ基準の草案を遅くとも2024年3月31日までに、確定基準を2025年3月31日までに公表することを目標としています。

  同ワーキンググループとしても、この流れを受けて、このような開示基準を法定開示に取り込んでいくことを検討するとしています。

  各企業は、この流れも踏まえ、予め対応を検討していくことが求められます。

以 上

[1] https://www.fsa.go.jp/news/r4/singi/20230131/00.html

2023年05月12日(金)2:00 PM

東南アジア・南アジアにおけるESG/SDGs/人権DD 第6回:救済についてニュースレターを発行いたしました。
PDF版は以下からご確認ください。

東南アジア・南アジアにおけるESG/SDGs/人権DD 第6回:救済

 

グローバルビジネスと人権:
東南アジア・南アジアにおけるESG/SDGs/人権DD
6回:救済
ケーススタディ⑤:苦情処理メカニズムの構築

2023年5月
One Asia Lawyers Group
コンプライアンス・ニューズレター
アジアSDGs/ESGプラクティスグループ

1.はじめに

 日本政府ガイドライン(「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」)について、国連指導原則、OECDガイドラインとの関係にも触れながら、ケーススタディを織り交ぜることにより解説してまいりました本シリーズも今回で最終回となります。最終回は、救済、苦情処理メカニズムを中心に解説いたします。

2.救済(日本政府ガイドライン5)

(1) 救済

 1)意義

 企業は、自社が人権への負の影響を引き起こし、又は、助長していることが明らかになった場合、救済を実施し、又は、救済の実施に協力すべきであるとされています。

 国連指導原則22では、「是正」として、以下のように定められています。

22.企業は、負の影響を引き起こしたこと、または負の影響を助長したことが明らかになる場合、正当なプロセスを通じてその是正の途を備えるか、それに協力すべきである。

 2)救済をすべき場合

 ア 上記のとおり、企業が人権への負の影響を引き起こし、又は、助長していることが明らかになった場合は、救済の実施またはこれへの協力をすべきとされていますが、負の影響と「直接関連しているのみの場合」は、救済の役割を担うことはあっても、救済を実施することまでは求められていません。ただ、この場合でも、負の影響を引き起こし又は助長した他企業に働きかけることにより、その負の影響を防止・軽減するよう努めるべきであるとされています。

 イ また、あくまで「明らかになった場合」とされており、人権への負の影響を引き起こしまたは助長したことを企業自身が認めている状況に限定されています(国連指導原則解釈の手引き問63参照)。

 3)具体的方法

 具体的な救済の方法は特段限定されていませんが、人権への負の影響を受けたステークホルダーの視点から提供されるべきとされています。具体例としては、謝罪、原状回復、金銭的又は非金銭的な補償のほか、再発防止プロセスの構築・表明、サプライヤー等に対する再発防止の要請、特定の活動や関係の停止、当事者が合意したその他の形式の救済等があげられています(解釈の手引き問64も参照)。

 また、状況によっては、法的手続きや国家による救済(刑事手続)など、企業以外の組織(直接人権への負の影響を与えた別の企業など)から救済が提供されることが最も適している場合があり、そのような場合は、企業は当該是正プロセスに協力すべきです(解釈の手引き問64)。

(2) 苦情処理メカニズム

 1)意義

 日本政府ガイドラインでは、苦情への対処が早期になされ、直接救済を可能とするために、企業は、苦情処理メカニズムを確立するか、又は、業界団体等が設置する苦情処理メカニズムに参加するべきであるとされています(日本政府ガイドライン5.1)。

 国連指導原則では、29、31において苦情処理メカニズムに関する定めがおかれています。

 29.苦情への対処が早期になされ、直接救済を可能とするように、企業は、負の影響を受けた個人及び地域社会のために、実効的な事業レベルの苦情処理メカニズムを確立し、またはこれに参加すべきである。

 31.その実効性を確保するために、非司法的苦情処理メカニズムは、国家基盤型及び非国家基盤型を問わず、次の要件を充たすべきである。

 a. 正当性がある:利用者であるステークホルダー・グループから信頼され、苦情プロセスの公正な遂行に対して責任を負う。

 b. アクセスすることができる:利用者であるステークホルダー・グループすべてに認知されており、アクセスする際に特別の障壁に直面する人々に対し適切な支援を提供する。

 c. 予測可能である:各段階に目安となる所要期間を示した、明確で周知の手続が設けられ、利用可能なプロセス及び結果のタイプについて明確に説明され、履行を監視する手段がある。

 d. 公平である:被害を受けた当事者が、公平で、情報に通じ、互いに相手に対する敬意を保持できる条件のもとで苦情処理プロセスに参加するために必要な情報源、助言及び専門知識への正当なアクセスができるようにする。

 e. 透明性がある:苦情当事者にその進捗情報を継続的に知らせ、またその実効性について信頼を築き、危機にさらされている公共の利益をまもるために、メカニズムのパフォーマンスについて十分な情報を提供する。

 f. 権利に矛盾しない:結果及び救済が、国際的に認められた人権に適合していることを確保する。

 g. 継続的学習の源となる:メカニズムを改善し、今後の苦情や被害を防止するための教訓を明確にするために使える手段を活用する。

事業レベルのメカニズムも次の要件を充たすべきである。

 h. エンゲージメント及び対話に基づく:利用者となるステークホルダー・グループとメカニズムの設計やパフォーマンスについて協議し、苦情に対処し解決する手段として対話に焦点をあてる。

 2)是正のプロセスと苦情処理メカニズム

 企業は、事業活動のどの分野で生じた人権への負の影響に対しても適用される、是正のための合意されたプロセスを備えておくことが望ましいとされています。中でも、その最も効果的かつ効率的な方法は、事業活動レベルでの苦情処理のメカニズム仕組みを介したものです。

 苦情処理メカニズムは、影響や苦情処理に対処する単なる内部管理手順ではありません。内部手順は通常受け身であるのに対し、苦情処理のメカニズムは能動的で、苦情の識別を促し、可能な限り早期にこれに取り組むことを目的としています。(解釈の手引き問65)

 苦情処理メカニズムは、個人や集団については、企業から受ける負の影響について懸念を表明したり、苦情を申し立て、救済を求めたりするものとして機能します(日本政府ガイドライン)。また、企業にとっては、苦情処理メカニズムは、人権デュー・ディリジェンスのプロセスの強化、人権のへの負の影響への適時な特定と人権侵害の訴えに至る前の対処、対応の有効性への追跡調査、ステークホルダーとの関係構築にも役立ちます(解釈の手引き問69)。

 3)苦情処理メカニズムの要件

 苦情処理メカニズムは、自身への影響に関する懸念を提起するための、特に個人ための手段であり、企業の規範の違反を示すことを求めない制度です。この意味において、企業の規範や倫理規定の違反に関する懸念を従業員が提起するための、内部告発制度とは異なります。(解釈の手引き問70)

 苦情処理メカニズムは、利用者が苦情処理メカニズムの存在を認識し、信頼し、利用することができる場合に初めてその目的を達成することができるため、以下の要件を満たすべきとされています。これらの要件は、基本的に上記、国連指導原則31で示されている内容と同様です。

正当性

苦情処理メカニズムが公正に運営され、そのメカニズムを利用することが見込まれるステークホルダーから信頼を得ていること。

利用可能性

苦情処理メカニズムの利用が見込まれる全てのステークホルダーに周知され、例えば使用言語や識字能力、報復への恐れ等の視点からその利用に支障がある者には適切な支援が提供されていること。

予測可能性

苦情処理の段階に応じて目安となる所要時間が明示された、明確で周知された手続が提供され、手続の種類や結果、履行の監視方法が明確であること。

公平性

苦情申立人が、公正に、十分な情報を提供された状態で、敬意を払われながら苦情処理メカニズムに参加するために必要な情報源、助言や専門知識に、合理的なアクセスが確保されるよう努めていること。

透明性

苦情申立人に手続の経過について十分な説明をし、かつ、手続の実効性について信頼を得て、問題となっている公共の関心に応えるために十分な情報を提供すること。

権利適合性

苦情処理メカニズムの結果と救済の双方が、国際的に認められた人権の考え方と適合していることを確保すること。

持続的な学習源

苦情処理メカニズムを改善し、将来の苦情や人権侵害を予防するための教訓を得るために関連措置を活用すること。

対話に基づくこと

苦情処理メカニズムの制度設計や成果について、そのメカニズムを利用することが見込まれるステークホルダーと協議し、苦情に対処して解決するための手段としての対話に焦点を当てること。

 

 これらの要件に加えて、苦情処理メカニズムは、企業内での適切な上級レベルの監視及び説明責任を伴っている必要があるとされています。具体的には、苦情を処理する者から企業のトップへの報告系統が確立され、内部管理や監視システムを備えているべきであるとされています。

3.ケーススタディ⑤

(1)事例

 日本の小売企業のS社は、従業員10万人以上、店舗数2万店以上を有しています。

ステークホルダーが広範囲かつ多数にわたる会社として、S社はどのような苦情処理メカニズムを構築すべきか。

(2)検討

 事例は、株式会社セブン&アイホールディングスをはじめとするセブン&アイグループがどのような苦情処理メカニズムを構築しているかを想定しています。

苦情処理メカニズムは大きく分けて社内と社外にわけることができ、外務省が公開した「ビジネスと人権」に関する取組事例集[1]では、苦情処理メカニズムとして以下の例を挙げています。

 (例1)社内ホットライン(コンプライアンス通報・相談)を設置

 ・グループ社員、派遣社員、パート社員、アルバイトが利用できるホットラインを設置。

 ・内部通報制度の一環として人権に関するテーマを受付。

 ・社内通報窓口は、人事部署ではなく、CSR関連部署が対応することにより、人事上の判断がないように配慮。

 (例2)社外ホットラインや取引先向けホットラインを設置

 ・コンプライアンス通報・相談窓口をウェブサイト上に公表することで、同社社員や取引先のみならず、一般消費者からの通報も受付。ウェブサイト上に通報・相談用の書式も設ける等、社外からの意見の吸い上げに努める。

 ・消費者相談室の設置や商品への問い合わせ先の掲載、SNS上での能動的な情報収集等、様々な手段で社外からの意見を広く収集。

 ・サプライヤー団体(例:部品協力会)のウェブサイトに、コンプライアンスに関する相談窓口のリンクを記載。

 (例3)第三者による苦情受付窓口の整備

 ・サプライチェーンの苦情処理窓口を整備する上で、労働者の生活相談にも対応できるような、労働者に寄り添える仕組みを構築すべく、NGO等の第三者が一次窓口として苦情を受け付ける共通プラットフォームを導入。

 (例4)多言語対応窓口

 ・社内通報窓口を、企業の全展開国に、多言語にて対応(例:展開国24か国に、19言語で対応)。

 ・外部向けにはウェブサイトに、日本語・英語で対応する問い合わせ窓口を設置。

 ・多言語で相談を受けられるよう、グループの窓口を一本化。インターネットでの入力や電話を通じて24時間受付。

 本事例の元となったセブン&アイグループは、以下の苦情処理を設置しています。

 ・日本国内の事業会社の従業員とのその家族、退職者を対象とした通報窓口「グループ共通従業員ヘルプライン」:社会からの信頼を失うような行為の防止と早期発見、早期是正、再発防止を目的とし、人権問題が発生した際も利用できる体制を構築するために設置しています。

 ・国内グループ会社の取引先の役員、従業員、元従業員が相談・通報できる通報窓口「お取引先専用ヘルプライン」:業務委託契約および機密保持契約を結んだ第三者の通報窓口を連絡先とし、通報・相談者のプライバシーを厳守しています。通報・相談があった場合は、必要に応じて相談者の同意を得た上で事実関係の確認および問題の解決を図ります。また、相談者本人および事実関係の確認に協力した方に対して、不利益な取扱いをしないことを通報窓口の運用ルールで定めています。

 ・経営層から独立して通報を受け付ける「監査役ホットライン」:国内グループ会社の取締役、監査役、執行役員など、経営幹部の関与が疑われる社会からの信頼を失うような行為に関する窓口。通報を受け付けた場合は、監査役が連携して事実を確認し、違反行為を発見した場合は是正、再発防止に努める。

 ・国際協力機構(JICA)と一般社団法人ザ・グローバル・アライアンス・フォー・サステイナブル・サプライチェーン(ASSC)が共同で事務局を行う「責任ある外国人労働者受入れプラットフォーム」にアドバイザリーグループ企業として参加しています。

 各社の状況に落とし込んだ苦情処理メカニズムを構築することが重要と考えられます。

 本事例では、社員などのグループ内の者が利用できる社内ホットライン、一般消費者や取引先が利用できる社外ホットラインを構築することが考えられます。その場合、社内の組織のみではなく、弁護士事務所などの第三者、多言語対応できる外部の会社を窓口にすることが一つの手段として検討が推奨されます。

4.まとめ

 企業としては、まずは、自社が実際に人権への負の影響を引き起こし、又は、助長しているかに関する情報や、それに至りうる苦情を幅広く、早期に取得するために、苦情処理メカニズムを構築することが望まれます。その際は、すでに企業内にある内部的な手続きなどを活用し、上記のような他社事例も参考にしながら、日本政府ガイドラインが示すような要件を満たした手続きを確立することが求められます。

 その際、経営トップの関与を含めたメカニズムとすることにより、企業内で定着させていくことが望まれます。

以 上

[1] https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100230712.pdf

2023年04月13日(木)8:46 AM

東南アジア・南アジアにおけるESG/SDGs/人権DD 第5回:取組の実効性の評価、説明・情報開示についてニュースレターを発行いたしました。
PDF版は以下からご確認ください。

東南アジア・南アジアにおけるESG/SDGs/人権DD 第5回:取組の実効性の評価、説明・情報開示

 

グローバルビジネスと人権:
東南アジア・南アジアにおけるESG/SDGs/人権DD
5回:取組の実効性の評価、説明・情報開示
ケーススタディ⑤:継続的な監査と取組の実効性評価

2023年4月
One Asia Lawyers Group
コンプライアンス・ニューズレター
アジアSDGs/ESGプラクティスグループ

1.はじめに

 日本政府ガイドライン(「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」)について、国連指導原則、OECDガイドラインとの関係にも触れながら、ケーススタディを織り交ぜることにより解説しております本シリーズ。今回は、企業が負の影響の防止・軽減のための措置を講じてから行うべき、取組の実効性の評価、説明・情報開示を中心に解説いたします。

2.取組の実効性の評価(日本政府ガイドライン3)

(1) 意義

  人権DDについて、人権の状況は常に変化するため、人権への影響評価は、繰り返し、かつ徐々に掘り下げながら行うべきであるとされており、この点で、いわゆるM&Aにおけるデューディリジェンスとは異なるとされています(日本政府ガイドライン16頁)。

そのため、日本政府ガイドラインにおいても、人権リスクを評価したうえで負の影響の防止・軽減のための措置を講じて終わるのではなく、そこから、当該取組の実効性を評価し、継続的な改善につなげる必要があるとされています(PDCAサイクルのCに相当するもの)。

 国連指導原則20では、以下のように定められています。

 20.人権への悪影響について対処されているか検証するため、企業はその対応の実効性を追跡調査すべきである。追跡調査は以下を満たすべきである。

 (a)  適切な質的・量的指標に基づいていること。

 (b)  人権への悪影響を受けた利害関係者を含む社内外からの意見を活用していること。

(2) 評価の方法のポイント

  評価を行う際のポイントは以下のとおりです。

 1)情報収集

   評価を行う前提として、情報を広く集める必要があり、そのための情報源としては以下のものが考えられます。

   ・自社内の各種データ(苦情処理メカニズムにより得られた情報を含む)

   ・企業内外のステークホルダー

   これらの情報源から情報を収集するにあたっては、ヒアリング、質問票、監査の実施などの方法が考えられます。この点においてもステークホルダーエンゲージメントが重要となります。

 2)評価指標の設定と評価

   日本政府ガイドラインでは、人権尊重の取組みは、適切に数値化して評価することが困難な場合も多く想定されるため、実効性の評価は、質的・量的の両側面から適切な指標に基づき行われるべきであるとされています。

   この点で参考になりうるものとして、労働者の権利に関しては確立された監査や指標、健康や安全、環境などに関しては国際的な水準などがありえます(国連指導原則解釈の手引き問51)。

 3)実効性評価の社内プロセスへの取組み(日本政府ガイドライン4.3.2)

   また、このような実効性評価手続を、従前から実施していた関連する社内プロセスに組み込むことが重要であるとされています。具体的には、内部監査の際に人権への負の影響に関する項目を盛り込んだり、監査や現地訪問といった手続きに人権の視点を取り込んだりすることが考えられます。

   これによって、人権尊重の取組みを企業内に定着させることにもつながります。

 4)留意点

   日本政府ガイドラインからは外れますが、この追跡評価の際においては、それがどのように、またなぜ発生したのかを解明するため、根本的原因の分析やプロセスを実施するよう十分に留意しなければならないと指摘されています(国連指導原則解釈の手引き問50)。根本的原因の分析は、企業のどの部署による、または企業以外のどの関係者によるどのような行動が影響発生の一因となっているか、またどのようにして一因となっているかを正確に把握する上で役立つ可能性があります。

(3) 評価結果の活用

  日本政府ガイドラインでは、評価結果を活用し、より効果のある対応策の検討につなげることができるとしています。評価結果が芳しくなかった場合は、評価の過程で得られた各種情報を分析することで、効果が得られなかった理由を把握し、改善につなげることができます(日本政府ガイドライン4.3.3)

3.説明・情報開示

(1) 意義

  日本政府ガイドライン4.4では、企業自身が人権を尊重する責任を果たしていることを説明できなければならず、特にステークホルダーから懸念が表明された場合には、企業が講じた措置を説明することができることが不可欠であるとされています。そのような説明、情報開示が、透明性の高さ、企業の意欲を示すものとして評価されるべきであると説明されています。

  この説明・情報開示の具体的な必要性について、日本政府ガイドライン上は明確ではありませんが、国連指導原則解釈の手引きでは、説明責任の観点が強調されています(同問54)。

  また、このような一般的な説明責任から進んで、先日、企業内容等の開示に関する内閣府令が改正され、サステナビリティに関する企業の取組みの開示が有価証券報告書の記載事項とされました。このように、人権尊重に関する企業の取組みの開示は、法的責任という観点からも要請されていくこととなると思われますが、ここではいったん、日本政府ガイドラインに基づいた説明をいたします。

 国連指導原則21では、以下のように定められています。

 21.企業は、人権への悪影響にいかに対処するか明らかにするため、特に悪影響を受けた利害関係者またはその代理人から懸念が表明された場合、その対処方法の外部への情報提供を可能にしておくべきである。その活動や活動状況が人権への重大な悪影響を引き起こすリスクがある企業は、対処方法につき正式な報告をすべきである。全ての場合において、対処方法の情報提供は以下の事項を満たすべきである。

 (a) 形式や頻度が、企業の人権への悪影響に応じたもので、想定された情報提供先にも入手可能であること。

 (b) 人権への悪影響に対する企業の対応の妥当性について,個別案件ごとに評価が可能なだけの情報提供がなされること。

 (c) 情報提供により、影響を受けた利害関係者,従業員,もしくは正当な要請である商業上の秘密へのリスクが伴わないこと。

(2) 説明・開示する情報の内容

 1)伝えるべき情報の内容

  ここで伝えるべき情報として、第一には、人権DDに関する基本的な情報があげられます(日本政府ガイドライン4.4.1.1)。具体的には、人権方針を企業全体に定着させるために講じた措置、特定した重大リスク領域、特定した(優先した)重大な負の影響又はリスク、優先順位付けの基準、リスクの防止・軽減のための対応に関する情報、実効性評価に関する情報であり、OECDガイドライン5.1においても同様の記載がされています。

  これについては、国連指導原則解釈の手引きにおいて、企業が人権への影響の継続的な評価において特定したすべての問題や、特定されたあらゆるリスクを軽減するために取った手段を、公開することを提案するものではない、と説明されています(国連指導原則解釈の手引き問55)。そのうえで、最も顕著な人権への潜在的影響に関しては、企業が自身の人権リスクに取り組む上での一般的なアプローチを伝えることができることが何よりもまず重要であるとしています(同問55、56)。

  第二に、日本政府ガイドラインでは、具体的な負の影響への対処方法について、関与した特定の人権への影響事例への企業の対応が適切であったかどうかを評価するのに十分な情報を開示すべきであるとしています(日本政府ガイドライン4.4.1.2)。

 2)開示の際の留意点

  開示の際の留意点として、第一に、事前の情報収集の重要性を指摘する必要があります。国連指導原則解釈の手引きでは、この点が強調されており、重要な点は、企業自身が情報を伝えることが可能な状態にあるか、であるとしています。つまり、情報提供ができる状態を保つために入手可能な情報を持っていることが重要であり、どの情報をどのような手段で、誰に対して伝達するかは、あくまでその後の判断の問題であるということです(国連指導原則解釈の手引き問55)。

  また、国連指導原則21(c)でも指摘されているように、日本政府ガイドラインにおいても、情報提供に当たっては、影響を受けたステークホルダーの個人情報や、サプライヤー等の機密情報等を守るよう留意が必要であるとされています(日本政府ガイドライン4.4.1.2)。

(3) 説明・情報開示の方法

 1)説明・情報開示のポイント

  説明・情報開示のポイントとして、情報提供の形は、その目的に適したものであるべきであると指摘されています(国連指導原則解釈の手引き問57)。また、伝達形式はまた、意図された受け手にとってアクセスしやすいものである必要があるとも言われています(OECDガイドラインQ46)。

  これを受けて、日本政府ガイドラインにおいても、想定する受け手が入手しやすい方法により、情報提供を行うことが求められるとされています(日本政府ガイドライン4.4.2)。

 2)具体的な方法

  具体的な方法としては、企業のホームページ上での記載、統合報告書、サステナビリティ報告書やCSR報告書、人権報告書の作成があげられています(日本政府ガイドライン4.4.2(a))。このほか、面談、オンライン上の対話、実際又は潜在的な影響を受ける権利保有者との協議、適切な仲介者を通じた方法などもあげられており、何より、意図された受け手にとって、物理的にもアクセスしやすいタイミング、書式、言語、場所を選択し、内容としても理解しやすい方法である必要があるということになります(OECDガイドラインQ46)。

 3)情報提供の時期、頻度

  日本政府ガイドラインにおいては、情報提供は、定期でも非定期でもよいが、1 年に1 回以上であることが望ましいとされています(日本政府ガイドライン4.4.2(a))。報告すべきタイミングについては、自身の事業または事業活動の状況が深刻な人権への影響のリスクをもたらす場合、企業はそれにどのように取り組むのかを正式に報告すべきであり、特定の影響が生じたときにはその都度、開示することもありうるとされています(国連指導原則解釈の手引き問57)。特に、影響を受ける人たちが知る必要がある場合、企業は可能な限り直接かつ迅速に、このことをこれらの者に伝えるべきであり、情報提供が要請されることを待っているべきではないとされています(国連指導原則解釈の手引き問58)。

 4)情報提供を行わない場合

  日本政府ガイドライン上は明示的ではありませんが、懸念を提起した外部関係者には正当性がかけており、よって対応が必要ではないまたは適切ではないと結論付ける時もありえます。国連指導原則についても、企業が、明確な根拠をもって拒否できる人権への影響の主張や申立てに関して、その根拠を説明することによって反論する可能性を排除するものではないとされていますので(国連指導原則解釈の手引き問59)、このような場合に情報提供を行わないという判断は十分あり得ます。

  ただし、その場合であっても、上記のとおり明確な根拠をもって拒否できることや、その状況についての社内での認識及び明確な基準に基づいて決定を下すべきです(国連指導原則解釈の手引き問58)。日本政府ガイドラインにおいても、「客観的に見てそもそも人権侵害の主張に合理的な根拠がないと判断される場合は、何らの対応も行わないことも肯定される。ただし、このような場合でも、どのような情報や判断過程に基づいて、合理的な根拠がないと判断したのかについて、説明できることが重要である。」としている点が参考になります(日本政府ガイドラインQ11)。

4.ケーススタディ⑤

(1)事例

 英国で創業された家電製品の製造販売会社D社は、2007年に英国工場を閉鎖するなど製造機能をマレーシアなどASEAN各国に移しています。

 さらには、2019年にシンガポールに本社機能を移転し、2022年には開所式を行い、今後多額の投資をシンガポール・マレーシアなどに行う予定と発表しています。

 D社では、マレーシアのサプライヤーA社に製品を製造させていたところ、そのA社子会社の雇用する労働者が、A社関連工場で強制労働やその他の危険な労働条件があったする告発がなされました。D社は、人権侵害に対する社内監査のみならず、専門性を有する第三者機関に複数回の監査を含む人権DDを行っていました。

 D社はこの告発に対し、どのような対策をとるべきでしょうか?また、今後このようなことがないようにどのような取り組みを行うべきでしょうか?

(2)検討

 本ケースは、電気機器メーカーDysonが契約したマレーシアの工場において従業員に対する著しい人権侵害があったとして、労働者による集団代表訴訟が起こされたケースを想定しています。

 原告は、Dysonの長期にわたる主要サプライヤーであるマレーシアの電子機器製造サービス会社のATA IMSの子会社ATAインダストリアル(ATAIM)の元従業員である移民労働者であり、強制労働や不法監禁、その他の危険な労働条件があったとして訴えを提起しています。

 Dysonの担当者はチャンネル4ニュースの番組で、同社は2019年11月から2021年6月にかけてATAに対して6回の監査を実施したと述べ、社会監査会社のELEVATEが実施した最後の詳細な監査では、大きな強制労働のリスクが確認されたと述べたと報じられています。

 訴訟の前段階では、イギリスの企業会員組織Sedexが推奨するリスクアセスメントの実施方法がまとめられており、また、「Responsible Business Allianceのリード・オーディターの資格を持つDysonの監査人、または公認の第三者監査法人の外部監査人による」監査も行ったとされています。

 なお、ATA IMSは2021年11月25日に子会社ATAIMがDysonから契約を解除するとの通知を受けたと発表しています。

 監査に関連して、人権DDにおいては、取組の実効性を評価する必要があります。

 本ケースでは、告発・訴訟の前から、社内監査のみならず、第三者であり一定程度専門性を有する監査会社による検査が行われており、事前に大きな強制労働のリスクが確認されていたとされています。しかし、結果としてこのようなリスクに対して対処がされなかったわけですので、人権DDの効果には限界があることを再認識させるものと言えます。

 そのため、企業においては、このような監査報告を受けた場合はそれを真摯に受け止めたうえで取り組みを行い、企業の取り組みの実効性の評価、情報開示を行うことが、重要と言えます。

5.まとめ

 本稿では、人権尊重に対する取組みを一過性のものではなく継続的な取組みとしていくために最も重要な点ともいえる、取組の実効性の評価と、説明・情報開示について取り上げました。人権に対する取組を行った場合にはそれで終わりとするのではなく、続いて追跡調査を行ったうえでフィードバックしていくことが重要ですし、直ちに抜本的な対策が取れない場合であっても、これに対する対策と方針を開示することによって対外的に企業の取組みのコミットメントを示し、継続的な取組みにつなげることは、ステークホルダーからの信頼を獲得し、紛争状態に至る可能性を緩和することにもつながるものと思われます。

 次回が最終回になり、救済について触れる予定です。

以 上

2023年03月13日(月)2:43 PM

実践的な人権方針の策定方法についてニュースレターを発行いたしました。
PDF版は以下からご確認ください。

グローバルビジネスと人権: 実践的な人権方針の策定方法 ~WBAで評価された実例を交えて

 

グローバルビジネスと人権:
実践的な人権方針の策定方法 ~WBAで評価された実例を交えて

2023年3月
One Asia Lawyers Group
コンプライアンス・ニューズレター
アジアSDGs/ESGプラクティスグループ

1.はじめに

 ビジネスと人権に関する指導原則(以下「国連指導原則」)は、「企業は、人権を尊重する責任を果たすため、その規模と状況に応じて、以下を含む企業方針と手続を持つべきである。」として、企業に対して人権方針の策定を要請しています(国連指導原則15)。昨年9月に策定された「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」(以下「日本政府ガイドライン」)においても、企業は、その人権尊重責任を果たすという企業によるコミットメント(約束)を、人権方針(人権ポリシー)を通じて、企業の内外に向けて表明するべきであるとされています(日本政府ガイドライン12頁)。

 人権方針は、企業の行動を決定する明瞭かつ包括的な方針となるものとして、極めて重要であるとされていますが、その実務的な意義や実践方法は定かではありません。しかし、国連指導原則や日本政府ガイドラインを深く紐解くと、その期待されている役割の外縁を捉えることができます。

本号では、人権方針の役割を踏まえつつ企業が国連指導原則や日本政府ガイドラインを実践していくために、どのように戦略的に人権方針を策定していくべきかについて、いくつかの実例を交えながら検討していきます。

2.人権方針に期待される役割と実務的な意義

(1) はじめに

  企業による人権の尊重は、消極的な責任ではなく、企業側での行動が求められています。そのため、企業は、実務において実際に人権を尊重していることを自覚し、また、これを示すことができなければなりません。[1]

  すなわち、人権方針は、人権尊重に対する積極的な行動のために、企業自らの責任の自覚と行動の表明を、ステークホルダーに向けて示すものである必要があるといえます(日本政府ガイドライン7頁参照)。

(2) 記載すべき事項

  国連指導原則は、全ての企業に対して、人権を尊重する責任を果たすため、その規模と状況に応じて、以下を含む企業方針と手続を持つべきである、としています(国連指導原則15)。

(a) 人権を尊重する責任を果たすという企業方針によるコミットメント
(b) 人権への影響を特定し、予防し、軽減し、対処方法を説明するための人権デュー・ディリジェンス手続
(c) 企業が惹起させまたは寄与したあらゆる人権への悪影響からの救済を可能とする手続

  具体的にどのような事項を人権方針に記載すべきかについて、国連指導原則及び日本政府ガイドラインは、以下のとおり定めており、日本政府ガイドラインは基本的に国連指導原則を踏襲したものとなっています。

 

国連指導原則16

日本政府ガイドライン

(a) 企業の最上層レベルによる承認があること

(b) 内部及び/または外部の適切な専門家により情報提供を受けたこと

(c) 企業の従業員、取引関係者及びその他企業活動・製品もしくはサービスに直接関係している者に対する人権配慮への期待が明記されていること

(d) 一般に入手可能で、かつ内外問わず全従業員、共同経営/共同出資者及びその他関係者に周知されていること

(e) 企業全体に定着させるために企業活動方針や手続に反映されていること

① 企業のトップを含む経営陣で承認されていること

② 企業内外の専門的な情報・知見を参照した上で作成されていること

③ 従業員、取引先、及び企業の事業、製品又はサービスに直接関わる他の関係者に対する人権尊重への企業の期待が明記されていること

④ 一般に公開されており、全ての従業員、取引先及び他の関係者にむけて社内外にわたり周知されていること

⑤ 企業全体に人権方針を定着させるために必要な事業方針及び手続(行動指針や調達指針)に、人権方針が反映されていること

 

 Q 人権方針は、状況に応じて適宜変更するものなのでしょうか。(解釈の手引き 問22)

  人権方針は、通常は長期的に変化がない状態であり続ける性質を有するべきであると思われます。すなわち、人権方針は、従業員、企業が共に働く関係者や、企業の幅広いステークホルダーにとっての不変的な基準点であって、企業が実施する事業の活動指針及びプロセスが従うべき基本的な期待を定めるものです。

  したがって、状況の変化に応じて頻繁に変動する可能性が高い指針及びプロセスの詳細を記載するべきではないと考えられます。

 Q では、人権方針は、どの程度詳細に作成するべきなのでしょうか。すべての人権を対象とするべきなのでしょうか(解釈の手引き 問5、22、23)

  人権方針の詳細さの程度は様々で、単純に、国際的に認められたすべての人権を尊重するという一般的なコミットメントを示す場合と、企業がその事業活動にとって最も重要となる可能性があると認識している人権の概要が示される場合があります。また、企業が人権尊重責任を果たすための行動についてどのように説明責任を果たすかに関する情報が含まれる場合や、企業が共に働く者が同様に人権を尊重することへの期待が示される場合もあります。

  人権方針の策定に当たっては、企業が最も影響を与える可能性のある人権、すなわちどの権利が企業の事業活動にとって最も重要であるのかを知っておく必要があります。しかしながら、その権利だけに焦点を当てることがないようにしなければなりません。なぜなら、すべての企業が、直接的または間接的に、実質的にはこれらの権利のすべての領域に影響を与える可能性があるからです。

  したがって、方針には、たとえ一部が特に重要であるとして強調されることがあるとしても、国際的に認められたすべての人権を尊重するというコミットメントが反映されるべきといえます。

(3) 人権方針の意義

  Q 人権方針を策定することが、実務的にどのような意義を有するのでしょうか。(解釈の手引き 問21)

   人権を尊重する企業の責任を果たすという方針によるコミットメント、すなわち、人権方針は、企業の行動を決定する明瞭かつ包括的な方針として機能します。すなわち、人権方針の意義は、以下の点にあります。

   (a)これが事業活動を行うための正統性のある最低基準であると経営陣が理解していることを、企業の内外に向けてはっきりと示す
   (b)すべての職員及び企業が共に働くビジネスパートナーその他の者がどのように行動すべきかに関して、経営陣の期待を明確に伝える
   (c)コミットメントを実行に移すための内部手続き及びシステムの整備のきっかけとなる
   (d)人権の尊重を企業の価値に組み込むための不可欠な第一歩である

   すなわち、人権方針はあくまで方針にすぎませんが、企業がこれを行動に移すためのきっかけ、理由、方向性を基礎づけるものとして機能することが期待されていると考えます。さらにいえば、人権方針を策定するだけにとどまらず、次なる行動に結びつけることが求められるといえるでしょう。

(4) 策定プロセス

  日本政府ガイドラインは、具体的な作成手順を明確に示しているものではありませんが、ここで示されている策定に際しての留意点(日本政府ガイドライン13頁)などを踏まえると、以下のようなプロセスがその一つとして考えられます。

 ①ステークホルダー及びその関係の把握

  人権方針を策定する前に、負の影響を受け得るステークホルダーが誰で、自社の事業にどのように関係して存在しているかを把握します。

 Q 自社に関係しているステークホルダーとして、どこまでの範囲が含められるのでしょうか。(解釈の手引きⅠ、問35、OECDガイダンスQ8)

 ステークホルダーとは、組織の活動に影響を与える、またはこれにより影響を受ける可能性がある個人をいいます。影響を受けるステークホルダーとは、ここでは特に、その人権が企業の事業、製品またはサービスによって影響を受ける個人をいうとされています。具体的には、企業の施設の周辺のコミュニティ、そのバリューチェーンの中の他の企業の労働者、その製品もしくはサービスの消費者・利用者、製品開発(製品の試用など)に関わるその他の者、ローカル、地域の等の共同体、取引先、投資家・株主などであるとされています。この際、企業にとって、最も明らかな集団以外にも注意を払うことが大切であり、例えば、外部のステークホルダーへの影響に取り組むことが課題であると想定して直接雇用の従業員のことを失念したり、または、影響を受けているのが従業員のみであると想定して企業の壁の外にいる他の影響を受けるステークホルダーを考慮しなかったりすることがないようにしなければならないとされています。

 ②影響を与える可能性のある人権の把握 ―ステークホルダーエンゲージメント

  次に、自社が影響を与える可能性のある人権を把握する必要があります。

 Q 自社が影響を与える可能性のある人権について、どのように整理したらよいでしょうか。(日本政府ガイドライン13頁)

 自社が影響を与える可能性のある人権の把握に当たっては、社内の各部門(例:営業、人事、法務・コンプライアンス、調達、製造、経営企画、研究開発)から知見を収集することに加えて、自社業界や調達する原料・調達国の事情等に精通したステークホルダー(例:労働組合・労働者代表、NGO、使用者団体、業界団体)との対話・協議を行います(ステークホルダーエンゲージメント)。

 このように、社内の問題事例等の情報収集を行うとともに、労働組合との対話や「ビジネスと人権」分野に精通した専門家との協議を実施し、自社グループ事業で重要と思われる人権課題を列挙して整理する。その上で、リスクが高いと特定される部分については、その専門家の意見も聞き、その知見を反映させることにより、より実態を反映した人権方針の策定に結び付けることが期待されます。

 ③人権方針の作成

  以上のような前提作業を踏まえたうえで、具体的な人権方針の作成に移ります。この際、第一に、企業自身が、人権尊重の責任を果たすというコミットメントを明らかにすることが重要です。そのうえで、国連指導原則や日本政府ガイドラインで示されているように、従業員、取引先、及び企業の事業、製品又はサービスに直接関わる他の関係者(ステークホルダー)に対する人権尊重への企業の期待を明記する必要があります。

  ④経営者のコミットメント

  そして、当該作成した人権方針について、企業のトップを含む経営陣が承認するというプロセスを経る必要があります。経営陣の承認を経た企業によるコミットメント(約束)は、企業の行動を決定する明瞭かつ包括的な方針となるものであり、極めて重要なプロセスといえます。

  経営陣のコミットメントの重要性については、2023年2月号のコンプライアンスニュースレターをご覧ください。

 ⑤公開及び周知

  最後に、策定した人権方針を一般に向けて公開し、全ての従業員、取引先及び他の関係者にむけて社内外にわたり周知します。

(5) 人権方針の定着

  人権方針は、策定・公表することで終わりではなく、企業全体に人権方針を定着させ、その活動の中で人権方針を具体的に実践していくことが求められます。そのためのプロセスとして①社内への周知、定着と、②関係者への期待の実践を行う必要があると考えられます。

 ①社内への周知、定着

  企業全体にかかわる人権方針の内容は、企業内部において理解され、関連する内部組織の指針や手続に反映される必要があります。そのため、まずは、人権方針を社内に周知し、行動指針や調達指針等に人権方針の内容を反映することなどが重要です。コミットメントは、これを通じて実行に移され、企業の価値に組み込まれることが可能になります。(解釈の手引き問25)

  具体的には以下のような行動が求められると考えられます。

  ・行動指針や調達指針等への人権方針の反映

  ・社員に対する研修の実施

この際、人権方針は、人権を尊重するための取組全体について企業としての基本的な考え方を示すものであり、企業の経営理念とも密接に関わるものであることから、各企業が自社の経営理念を踏まえた固有の人権方針を策定することによって、人権方針と経営理念との一貫性を担保し、人権方針を社内に定着させることに繋がります(日本政府ガイドライン13頁)。

 ②関係者への期待の実践

  また、ステークホルダーに対する企業の期待を、人権方針に定めることにより、ステークホルダーとの関係性の中で人権の尊重を更に推し進めるためのスタート地点が提供されることになります。例えば、企業は、サプライヤーやパートナーとの契約書に人権尊重の規定を含めたり、パフォーマンスの監査またはモニタリングを実施し、その結果を将来の取引関係の決定に組み込む根拠としたりすることができます。

  このように、人権方針を反映した行動指針、調達指針等に従って、バリューチェーン全体に人権尊重の方針を浸透させていくことが考えられます。その際は、取引先の選定や一定の契約条件の導入などを求めることになることから、独占禁止法上の問題が生じることが考えられます。これについては、公正取引委員会が現在作成中の、「グリーン社会の実現に向けた事業者等の活動に関する独占禁止法上の考え方」が参考になると考えられます。

3.人権方針の例 ~WBA Corporate Human Rights Benchmark総合ランキングをもとに

(1)各企業の人権方針の評価

 ここではまず、食品、IT、自動車の各業界で特にポイントの高い海外、および日本の企業を取り上げ、そのポイントを比較してみました。比較すると、言語の違いなど他の要因もある可能性がありますが、日系企業においては、細かなところでのコミットメントが弱く、評価が低いものとなっているように思われます。

 

評価項目

Unilever

Hewlett Packard

Ford

サントリー

キリンHD

キヤノン

トヨタ自動車

A.1 方針へのコミットメント(5点)

人権尊重へのコミットメント

2

2

2

2

2

2

2

労働者の人権尊重へのコミットメント

労働における基本的原則及び権利に関するILO宣言

2

2

2

1.5

2

0.5

0

安全衛生と労働時間

0.5

 

0.5

0.5

0.5

0.5

0.5

0.5

特定事項に関する人権尊重へのコミットメント

土地・天然資源・原住民の権利

0.5

1

1

0.5

0

1

0.5

産業に関して脆弱な立場にある人々の権利

0.5

1.5

2

0

0.5

0.5

0.5

救済措置へのコミットメント

1

2

0.5

0

0

0.5

0

人権擁護者の権利尊重へのコミットメント

0.5

2

0

0

0

0

0

A.2 取締役会レベルのアカウンタビリティ (5点)

経営トップのコミットメント

0.5

2

0.5

0

0.5

0

0.5

取締役会の責任

2

1

1

0

1

0

1

インセンティブと業績管理

1.5

0

0

0

0

0

0

ビジネスモデル戦略とリスク

0

0

0

0

1

0

0

合計(10点中)

5.3

5.9

4.1

2.0

3.8

2.2

2.7

 

(2)「方針へのコミットメント」に関する評価

 ①人権尊重へのコミットメント

  人権尊重へのコミットメント項目については、上記の表の各社2点満点となっており、比較的点数が取得しやすい項目と言えます。具体的には、国際人権規約などの人権尊重の表明と「ビジネスと人権に関する国連指導原則」、OECD多国籍企業ガイドラインなどの尊重の表明があれば、本項目については、評価されているものと考えられます。

 ②労働者の人権尊重へのコミットメント

  ・労働における基本的原則及び権利に関するILO宣言:国際労働機関(ILO)の8つの条約(強制労働、児童労働、結社の自由・団結権、団体交渉権、差別を含む労働における基本的原則と権利)を支持・尊重し、特に、4つの中核的な基本原則(差別、強制労働、児童労働、結社の自由および団体交渉)を明確に支持している場合は、本項目において評価されているものと考えられます。低評価となった具体的な理由としては、結社の自由と団体交渉の権利については、「各国の法令に従って」尊重すると記載され、すべての文脈・地域で尊重することを約束しているかは不明のためと記載されているため、点数が伸びなかった会社がありました。また、労働者の人権尊重に関して「奨励するよう努める」にとどまるとして、義務づけられているかどうか明確でない場合は、マイナス評価の対象となると考えられます。

  ・安全衛生と労働時間:労働者の健康と安全を尊重することを方針等に記載し、公表することおよび労働時間に関する労働基準に関するILO条約を尊重することを約束すること(または、労働者は通常の週48時間または残業を含む60時間以上働かせてはならず、すべての残業は合意の上で割増料金を支払わなければならない)を公表している場合には、本項目において評価されているものと考えられます。しかし、公表した方針等において記載した事項が推奨事項にとどまる場合、労働者との正式な合意として公表していない場合は、低評価となると考えられます。

 ③特定事項に関する人権尊重へのコミットメント

  女性、子ども、先住民、少数民族、障害者、移民労働者とその家族などの少数派のグループに属する個人の人権を尊重することを公約し、そのビジネス関係を確保する場合は、本項目において評価されているものと考えられます。

  ・土地・天然資源・原住民の権利:本項目は、事業分野によって異なるグループに属する個人の人権を考慮する必要があります。事業分野に関連するガイドラインの枠組みに沿った内容でなく、サプライヤーに対して働きかけが行うような方針がない場合は、低評価となると考えられます。

  ・産業に関して脆弱な立場にある人々の権利:この分野で2点満点を取得しているFordにおいて、国際的な人権枠組みや憲章を尊重することを約束するのみならず、「女性のエンパワーメント原則」に署名し、また、サプライヤーに対しても多様性と女性の権利などを尊重することを期待することまで記載しているため、高評価となっていると考えられます。

 ④救済措置へのコミットメント

  自らが引き起こした、あるいは加担した個人、労働者、地域社会への悪影響を是正すること、特に司法機関などと協力し救済を受けることができるよう公表すること、さらに、サプライヤーと協力することを表明することが本項目において評価されているものと考えられます。この分野で2点満点を取得しているHewlett Packardにおいて、デューデリジェンスおよび救済を求めるメカニズムを記載し、約束するのみならず、サプライヤーとの協力について記載しているため、高評価となっていると考えられます。

 ⑤人権擁護者の権利尊重へのコミットメント

  人権擁護者の活動を阻害せず、支援することを公表することが本項目において評価されているものと考えられます。この分野で2点満点を取得しているHewlett Packardにおいて、「人権に関する方針」の中で、「当社の事業またはサプライチェーンにおいて、実際の危害を引き起こした場合、またはそれに関与した場合、代表者や人権擁護者と協力して、当社のアプローチを伝え、改善し、懸念を表明するための安全な環境を可能にすることを約束する」と記載しており、加えて、サプライヤーに対してもコミットメントを期待することまで期待しているため、高評価になっているものと考えられます。

(3)「取締役会レベルのアカウンタビリティ」への評価

 ①経営トップのコミットメント

  取締役または取締役会が、人権の尊重に関する特定のガバナンスの監視を任務としていることを示し、かつ、その取締役または取締役会の委員が人権に関する専門知識を有していることがポイントとしてあげられています。この際、人権がビジネスに重要である理由や、ビジネスにおいて直面する人権課題について、会社のコミットメントを、声明などを通じて明確に示すことが重要です。

  この項目において2点満点を獲得しているHewlett Packardにおいては、報告書において、人権、プライバシー、サステナビリティ、企業の社会的責任を含めた計画と戦略的な方針が示されていることや、取締役のスキルと資格として、性別や人種の平等の擁護などの社会経験が示されていること、CEOによる公的な場での現代奴隷の撲滅や社会、環境などの人権に関する企業の姿勢に関する発言がされていることなどが評価されています。

 ②取締役会の責任

  人権に関する戦略、方針、管理プロセスについて、取締役会または取締役会で議論し、定期的に見直すためのプロセスを説明していること、これまでに議論された人権問題の具体例または傾向を示すことがポイントとしてあげられています。この際、ステークホルダーや外部の人権専門家の経験がどのように反映されたかを示すことが重要です。

  この項目において2点満点を獲得しているUnileverにおいては、サステナビリティに関する計画の進捗管理が事業計画に組み込まれており、四半期に一度、取締役会で適切に監督されていることが評価されています。

 ③インセンティブと業績管理

  ここでは、少なくとも1名の取締役が、会社の人権方針に関するコミットメントや戦略と連動したインセンティブ制度や業績管理制度を有していることがポイントとなっており、同じくステークホルダーや外部の人権専門家の経験が、これらの議論にどのように反映されたかが重要となっています。

  この項目で唯一ポイントを獲得しているUnileverでは、CEOのインセンティブプログラムにおいて、「Unileverサステナビリティ推進指標」に対するパフォーマンスを取り入れており、サステナビリティ推進指標が評価の25%を占めている点が評価されています。

 ④ビジネスモデル戦略とリスク

  ここでは、人権リスクに対するビジネスモデルや戦略を、取締役会または取締役会で討議・検討するプロセスを説明していること、あるいは、ビジネスモデルや戦略、人権への潜在的影響を検討する頻度ときっかけを説明していることがポイントとなります。また、議論の結果決定されたアクションの例を提示していることが重要です。

  この項目で唯一ポイントを獲得しているキリンでは、代表取締役CEOが委員長を務めるCSV委員会において、方針と戦略だけでなくアクションプランを計画し、その遂行をモニタリングしていること、また、委員会での議論内容が執行役会、取締役会において議論され、反映されることなどがホームページ上で示されていることが評価されています。

4.まとめ

 人権方針は、最終的には企業文化として取り入れられ、実践されるものでなければなりません。そのため、この記事で取り入れた要素のすべてを取り入れなければならないというものではなく、企業理念を踏まえた、その延長にあるものであるべきということが言えるでしょう。

 他方で、国際的に求められている人権尊重へのコミットメントや、それを実践に移すためにサプライヤーなどに対する人権尊重への期待を明確にし、取締役会をはじめとする経営層がこれに対するコミットメントを示すなど、実践していくことを意識した規定が必要であると思われます。その際、この記事で取り上げたWBAなどの評価機関などによって評価されている取組を参考にすることは、非常に有益であると思われます。

 各企業におかれましても、このような他社の取組みを参考にしながら、自社にあった人権方針を検討していただければと存じます。

以 上

 

[1] 国際連合人権高等弁務官事務所(OHCHR)「人権尊重についての企業の責任-解釈の手引き-問18参照

2023年02月06日(月)4:05 PM

企業の人権尊重ランキング(WBA-CHRB)の日系企業に対する評価とその対応策についてニュースレターを発行いたしました。
PDF版は以下からご確認ください。

企業の人権尊重ランキング(WBA-CHRB)の日系企業に対する評価とその対応策

 

グローバルビジネスと人権:
企業の人権尊重ランキング(WBA-CHRB)の日系企業に対する評価とその対応策:
「人権ポリシー」の効果的な策定に向けて

2023年2月
One Asia Lawyers Group
コンプライアンス・ニューズレター
アジアSDGs/ESGプラクティスグループ

1 はじめに

ビジネスと人権に関する指導原則(以下「国連指導原則」)は、「企業は、人権を尊重する責任を果たすため、その規模や状況に応じて、企業方針と手続を持つべきである」として、企業に対して人権方針の策定を要請しています(国連指導原則15)。昨年9月に策定された「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」(以下「日本政府ガイドライン」)においても、企業は、その人権尊重責任を果たすという企業によるコミットメントを、人権方針(人権ポリシー)を通じて、企業の内外に向けて表明するべきであるとされています(日本政府ガイドライン12頁)。

人権方針は、企業の行動を決定する明瞭かつ包括的な方針となるものとして極めて重要ですが、その具体的内容や実務的な意義は十分に明らかとはいえません。その具体的な策定にあたって有用な参考情報を提供するのがWorld Bench Alliance (WBA)の採点方法です。とくにWBAが公表する「企業の人権尊重ベンチマーク(CHRB)」は、SDGs達成の鍵を握る世界中から選ばれた2000社の重要企業(SDG2000)について100点満点で評価を行うものであり、日本の有力企業の多くもその採点対象となっています。WBAが公表するスコアは世界中で注目されており、日本でも新聞等で目にすることがあります。しかし現在までのところ、ごく少数の例外を除き、多くの日系企業の成績は芳しくありません。

そこで本号では。人権方針の役割を踏まえつつ企業が国連指導原則や日本政府ガイドラインを実践していくために、どのように人権方針を策定していくべきかについて、このCHRBの採点基準を参考にしながら検討していきます。

2 WBAによる2022年度のスコアから見る日系企業の問題点

WBAは、SDGs達成に向けた民間セクターの貢献を高めるために、複数のベンチマークを公表することを目的とする組織であり、現在200余のマルチステークホルダー(研究機関・ベンチマーク及び

ビジネス関係プラットフォーム・金融関係諸機関・政府関係諸機関・NGO等の民間機関・サステイナビリティコンサルタント等)によって構成されています。有力な機関投資家に加えて、ケンブリッジ大学・UNICEF・グローバルコンパクト・国連環境計画FI・国連開発計画・国際商業会議所等の重要組織も名を連ねています。信頼できるランキングの公表を通じて、社会変革のためのインパクトを生み出そうとしており、CHRBはその中心的なものの1つです。

CHRBは人権に悪影響を及ぼすリスクが高いセクターに重点を置いており、「食品・農産物」「アパレル」「採掘物」「ICT製造」「自動車製造」の5つのセクターの重要企業を対象としてランキングを公表しています。

WBAの採点対象となる企業は「SDG2000[1]」とよばれ、その中には日系企業が約160社含まれています。2022年度はそのうち自動車製造業(29社)、食品・農産物(57社)、ICT製造業(43社)の計127社を対象とした評価が実施されました。日系企業はそのうちの22社であり、米国からは47社が、イギリス及び欧州から27社が、中国から13社が選ばれています。

昨年11月に公表された採点結果(100点満点)は日系企業にとって衝撃的なものでした。日系企業の最高位はサントリ(30位:27.2)であり、それにキャノン(34位:25.2)、キリン(38位: 22.7)が続き、それ以外で20点を超えるスコアを獲得した企業はなく、6社は10点以下です。127社全体の平均は17.3点であり、日本企業でこれを超えるのは22社中の7社でした。

2022年度の全体のトップ5は、ユニリーバ(50.3)、ウィルマー・インターナショナル(43.5)、ペプシコ(40.1)、ヒューレット・パッカード・エンタープライズ(39.1)、コールス・グループ(39.1)であり、日系企業との間には大きな格差が存在しています。

3 CHRBにおけるスコアの算定方法[2]

CHRBは、「企業の方針」「プロセス」「慣行」「深刻な申し立てへの対応方法」について採点することにより、企業が影響を与える個人およびコミュニティに対する人権尊重責任を果たす努力を通じて、改善に向けた競争を創出しようとしています。CHRBは2013年に創設されました。2017年からランキングの公表を開始し、その後2019年にWBAに加わりました。CHRBは評価対象となるグローバル企業とは独立性を保つ方針をとっており、現在のWBAのウェブサイトで過去の調査の結果の概要を見ることができます[3]

日系企業の成績が振るわない原因の1つとして、このベンチマーク自体が日本で十分に認知されていないため、その対策が遅れている可能性があります。もちろんその採点方法が不公平で納得できないものであれば、スコアにそれほど拘泥する必要はないかもしれません。そこで以下では、CHRBの採点方法について少し踏み込んで検討することにします。採点方法が適切なものであるか否かを確認することは、CHRBの採点結果をどのように受け止めるべきかを考える上でも極めて重要であるといえるからです。

まず、CHRB全体の評価項目と配点を概観してみましょう。

           A:  ガバナンスと方針へのコミットメント  (10点)

           B:  人権尊重と人権デューディリジェンスの組み込み (25点)

           C:  救済措置及び苦情処理メカニズム (20点)

           D:  企業による人権プラクティスの実績 (25点)

           E:  深刻な申し立てへの対応の実績 (20点)

これら5つの項目の評価は、企業が公表する文書を中心に行われます。つまり、企業のウェブサイト・財務等に関する報告書その他公的文書、方針・誓約に関する声明等が用いられ、それらには行動規範、方針、価値観、ガイドライン、FAQ、その他の関連文書も含まれます。また年次報告書、CSRや持続可能性に関する報告書、人権報告等や、CHRBの指標に関連する情報を含む他の報告書も検討されます。項目Eに関しては、それらに加えて報道やNGO等による報告書も考慮されます。

各評価項目のそれぞれについて具体的なスコアの決定方法が詳細に定められており、それらは企業が人権尊重責任を果たすための実務指針としても役立ちそうです。(本稿では紙幅の関係で省略し、別稿で扱うことにします。2022年のCHRBの対象となった127社の評価項目に関する詳細な採点表はWebサイトですべて公表されています。)

4 「人権方針」に期待される役割と実務的な意義

人権方針に関する評価は、CHRBの上記項目A「ガバナンスと方針へのコミットメント」でカバーされています。この点に関連し、2022年のCHRBから判明した重要な事実として、人権デューデリジェンスに関するより良い行動のためには、人権尊重責任を取締役会および上級管理職レベルにまで引き上げることが重要である点が指摘されています。これは現在、人権デューデリジェンスの体制構築を迫られている日本企業がすぐにでも取り組むべき課題であるといえます。以下は2022年に公表されたCHRBの分析レポートからの引用です。

「私たちの評価では、人権に関する取締役会の責任、日々の人権機能に対する責任とリソースの割り当てに関する企業のスコアと、HRDDの総合スコアの間に強い正の相関関係があることが示されています。HRDDが最も改善された企業のうちの大多数(75%)において、上級レベルが人権に関する責任を持ち、事業とサプライチェーンにおける日々の人権管理のための資源と専門知識を割り当てています。逆に、HRDDのスコアがゼロだった企業(70%)のほとんどは、こうしたリソースを保有していません。」

4.1 人権方針に関する項目Aの採点細目について

人権方針の評価は、CHRBでは評価項目Aにおいて扱われています。このうちの細目A.1は、以下に示すようにその内容が比較的イメージしやすいので、その対策はCHRBの採点方法を読み込むことで対応できるでしょう。

それに対して、細目A..2は各企業ごとにトップレベルの経営陣による決断と覚悟が必要とされるため、その具体的内容についても実質的な検討が必要となりそうです。

       A.1 方針へのコミットメント(5点)

              A.1.1 人権尊重へのコミットメント

            A.1.2 労働者の人権尊重へのコミットメント

          a  労働における基本的原則及び権利に関するILO宣言

          b  安全衛生と労働時間

             A.1.3 特定事項に関する人権尊重へのコミットメント

         a. 土地・天然資源・原住民の権利

    b. 産業に関して脆弱な立場にある人々の権利

            A1.4 救済措置へのコミットメント

            A.1.5 人権擁護者の権利尊重へのコミットメント

       A.2 取締役会レベルのアカウンタビリティ (5点)

           A.2.1 経営トップのコミットメント

           A.2.2 取締役会の責任

           A.2.3 インセンティブと業績管理

           A.2.4 ビジネスモデル戦略とリスク

4.2 日系企業のスコアの具体的な検証

評価項目Aの配点は10点であり比較的小さいのですが、人権DDに関するBの配点は25点と大きくなっています。上記のレポートが示すように、項目Aと項目Bとの間には一定の連動が見られます。例えば、全体トップであるユニリーバはAが5.3点であり、Bが18.2点です。全体3位のペプシコはAが6.4点、Bが16.2点となっており、どちらも高得点となっています。

これに対して、日系企業は少し異なった傾向にあります。例えばサントリーはBに関して日系企業トップの13点を獲得していますが、Aは2.0点でしか取れていません。キャノンも項目Bで11.2点であるのに対し、項目Aでは2.2点に止まっています。アサヒはAが3.3点でBが10.1点となっています。キリンはAでは3.8点で、Bでは9.3点となっています。(人権DDに関する項目Bで10点を超えた日系企業はサントリーとキャノンのみです。)

この限られた検討だけからも言えそうなことは、日系企業の中で上位にある企業では人権DDにおいて一定の対応が行われているにも関わらず、人権ポリシー等に関するAにおける低得点が目立ち、とくにサントリーとキャノンは、ポリシーに対する取締役会レベルのアカウンタビリティに関するA2(5点満点)が「0点」と評価されています。これはWBAによる上記の指摘と異なった結果であり、この二社は項目Aについて対策を行えば、30点を超える可能性は十分にあるといえそうです。トップマネジメントが人権尊重責任のアカウンタビリティを明確にすることで、人権DDの一貫性確保も容易となり、そのための効果的な資源配分も円滑に行われることも期待できそうです。

4.3  日本企業が急ぐべき対策

A1についてスコア項目に対応した文書を整備して全社的に情報共有することで改善が可能であるので、CHRBに対する対策はそれほど難しくはないでしょう。

これに対してA2については、しっかりと議論を行った上で、取締役及び上級経営責任者レベルでのコミットメントを確立し公表することが必要となるため、専門家のアドバイスを得ながらの実質的な取り組みが必要となりそうです。以下に、A2のスコアにおける具体的な評価ポイントを列挙しておきます。

A.2.1 経営トップのコミットメント

スコア1 

会社は、取締役または取締役会が人権の尊重に関する特定のガバナンスの監視を任務としていることを示し、そのガバナンスの監視を任務とする取締役または取締役会の委員が人権に関する専門知識を有していることを説明している。

スコア2 

取締役またはCEOが、人権が企業にとって重要である理由や、企業が直面する人権尊重の課題を議論し、人権に対する企業のコミットメントを明確に表明している(スピーチ、プレゼンテーション、その他のコミュニケーションなど)。

A.2.2 取締役会の責任

スコア1

人権に関する戦略や方針、管理プロセスについて、取締役会や委員会で議論し、定期的に見直すためのプロセスを説明している、あるいは、前回の報告期間中に取締役会や委員会で議論された人権問題の具体例や傾向を示している。

スコア2

スコア1の要件を満たし、ステークホルダーの経験や外部の人権専門家がこれらの議論にどのような情報を提供したかを記述している。

A.2.3 インセンティブと業績管理

スコア1

少なくとも1名の取締役が、人権に関する方針や戦略に関連した報奨制度や業績管理制度を有していることを示している。

スコア2

スコア1の要件を満たし、ステークホルダーの経験や外部の人権専門家がこれらの議論にどのような情報を提供したかを記述している。

A.2.4 ビジネスモデル戦略とリスク

スコア1

人権に内在するリスクについて、ビジネスモデルや戦略を取締役会または取締役会で討議・検討するプロセスを説明している、あるいは、ビジネスモデルや戦略、人権への潜在的影響を検討する頻度ときっかけを説明している。

スコア2

スコア1の要件を満たし、かつ、議論の結果決定されたアクションの例を提示している。

これらのスコアを高めることにより、採点項目Bにおける人権DDのステップが円滑に進むため、それに伴いBの評価も向上することが期待できそうです。さらに採点項目C以下の、「実効的な苦情処理メカニズムの整備」や「深刻な苦情処理への適切な対応」を含めた全社的な人権に関するプラクティスを実施して外部にも効果的な方法で発信していくことで、日系企業がスコアを大きく伸ばしていける可能性があります。

5 まとめ

CHRBでは、SDGs実現の鍵を握る世界の重要企業2000社を採点対象としてランキングを公表するというインパクトの大きな方法を採用しており、そこに並ぶのは著名なグローバル企業ばかりといえます。その中に多くの日系企業が選定されているのは誇るべきことです。しかし、世界中が注目するCHRBのランキングで、日系企業のスコアが全体として高くない状況が続くことは、具体的な日系企業にとってだけでなく、日本の産業界全体に悪影響を及ぼすこととなりかねません。他方で、CHRBは経年的な変化を測定できるため、日系企業が明確な改善を示すことができれば、その評価を高める大きなチャンスともなるでしょう。

WBAが一方的にこうしたスコアを公表することには反発もあろうし、採点プロセスの形式的平等性を確保するために、実情との乖離が生じることもあるでしょう。こうした点は、CHRBも十分に配慮しており、採点方法にも改善が積み重ねられて来ました。SDGsの実現を焦点として、国連指導原則等のグローバルな規範を踏まえた上で、その全体をわかりやすく一貫性を持ったものとして構築しようとする姿勢に共感する人も少なくないでしょう。

CHRBの有益な活用方法として、その採点項目とスコアのポイントを。各企業が「ビジネスと人権」に対する取り組みを行う上でのチェックリストとして利用することができます。もちろん、その基礎にある指導原則やその他の規範を正確に理解することは必要ですが、それを実践する上でCHRBは実務指針となりうるものであり。特に企業が具体的取組をすすめるための情報が整理されています。

2022年の結果から、CHRBがとくに人権DDへの各企業の取り組みの進展が遅れているため、制定法による後押しの必要性を指摘しています。日本でも人権DDの法制化はすでに話題となっています。しかし法的義務化を待つことで、人権DDという発展途上の実務の形成過程に乗り遅れることのリスクは決して小さいものではありません。日系企業のコンプライアンスに関する意識の高さは広く認識されているにも関わらず、それが地球標準と乖離しているために正当に評価されない状況に置かれることは、絶対に回避すべきです。そのための第一歩として、全社的な人権方針の策定において経営トップによるコミットメントを明確にすることが強く推奨されます。その際には、CHRBによる採点方法を参照することが実践的で有効な手段となるでしょう。

One Asia Lawyersでは、ビジネスと人権に関するさまざまな動向を視野に入れて、企業の社会価値を最大化するための、グローバルなベストプラクティスに基づいた効果的で無理のないアドバイスを日系企業の皆様に提供できるよう日々研鑽を積んでおります。なんでもお気軽にご相談ください。

[1] 以下はWBAのウェブサイト( https://www.worldbenchmarkingalliance.org/research/sdg2000-methodology/ )からの引用です。このウェブサイトは頻繁に更新されるため、最新のものと異なる可能性があるのでご注意ください。

「WBAは、生態学における「keystone species」という用語にヒントを得て、ある業界における大企業が、生態学的コミュニティにおけるkeystone speciesと同じように活動できることを示すkeystone actorsのアイデアを特定した学術研究を基に、彼らが活動する構造およびシステムに対して不釣り合いな影響を与えることができることを説明しています。この概念に着想を得て、WBAは「キーストーン・カンパニー」という考えを打ち出しました。これは、SDGs2000の対象企業を特定する際の指針となった5つの原則に基づくものです。

  • 1 特定のセクターにおいて、世界の生産収入や生産量を支配している。
  • 2 生産・サービス提供のグローバルな関連分野を支配している。
  • 3 子会社やそのサプライチェーンを通じて、グローバルに(エコ)システムを結びつけている。
  • 4 グローバルなガバナンスのプロセスや制度に影響を及ぼしている。
  • 5 特に発展途上国において、グローバルなフットプリントを有している。

また、変革の達成において、特定の下位産業、事業活動、生産・サービス提供のセグメントの重要性と役割についても考慮されています(原則2)。例えば、食品と農業システムの変革では、特定の食品グループ(乳製品、果物や野菜、穀物や油糧種子、畜産物、海産物など)が健康的な食生活への移行において重要であると考えられています。これらの食品グループに関わる主要なプレーヤーが明示的に含まれていることを確認しました。例えば、金融システムの変革では、資産家、資産運用会社、銀行、その他の金融サービスを提供する企業など、さまざまなサブインダストリー(副業)が資本の流れにおいて果たす役割に特に配慮しました。脱炭素化とエネルギーについては、産業別に温室効果ガス排出の異なる範囲の規模を調べました。例えば、重機・電気機器業界では、特にスコープ3(製品やサービスのイノベーションによる排出)に着目し、脱炭素化に貢献する企業の可能性を評価しました。このような調査により、企業の選択と除外、および各産業における企業数の合計が決定されました。」

[2] CHRBは2021年9月に最新の評価方法(Corporate Human Rights Benchmark Methodology: Apparel sector )をWebで公表しており、本稿はこれを参考にした。本稿の執筆後に、日本語に翻訳されたものが掲載されたのでぜひ参照されたい(2023年2月5日閲覧)。( https://assets.worldbenchmarkingalliance.org/app/uploads/2022/04/CHRB-Methodology_2021_Food_Japanese.pdf

Corporate Human Rights Benchmark Methodology

 

[3] https://www.worldbenchmarkingalliance.org/publication/chrb/about/ (2023年2月5日閲覧)

2022年12月13日(火)11:14 AM

東南アジア・南アジアにおけるESG/SDGs/人権DD:NGOの声明とサプライチェーンの人権侵害への対応についてニュースレターを発行いたしました。
PDF版は以下からご確認ください。

ケーススタディ④:NGOの声明とサプライチェーンの人権侵害への対応

 

グローバルビジネスと人権:
東南アジア・南アジアにおけるESG/SDGs/人権DD
4回:人権への負の影響の防止・軽減
ケーススタディ④:NGOの声明とサプライチェーンの人権侵害への対応

2022年12月
One Asia Lawyers Group
コンプライアンス・ニューズレター
アジアSDGs/ESGプラクティスグループ

1.はじめに

日本政府ガイドライン(「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」)について、国連指導原則との関係にも触れながら、ケーススタディを織り交ぜることにより解説しております本シリーズ。今回は、人権への負の影響の防止・軽減を中心に解説いたします。

2.人権への負の影響の防止・軽減

(1) 企業と人権への負の影響との関わりと企業の取るべき対応

企業と人権への負の影響との関りについては、以下の3つの類型があります。企業活動が人権に与える負の影響がどのように引き起こされているかによって、企業がとるべき対応も異なってきます。すなわち、企業活動が人権への負の影響を引き起こし、助長するリスクがある場合は、企業は当該影響に対処することが求められます。他方で、企業の事業、製品またはサービスが人権への負の影響と直接関連しているにとどまる場合には、企業は当該影響そのものについては責任を負いませんが、自身の影響力を行使する責任があるとされています。

したがって、まずはこの点を把握することが重要です。(ガイドライン2.1.2.2、指導原則13、22)

負の影響との

関りの類型

説明

企業の

対処責任

企業の対応

企業活動が負の影響を引き起こす場合、原因となっている場合(cause)

企業の活動がそれだけで負の影響をもたらすのに十分である場合

人権への負の影響を防止・軽減する。

負の影響を引き起こしている活動を停止、防止する。

企業活動が負の影響を助長する場合(contribute)

企業の活動が他の企業の活動と合わさって影響を引き起こす場合、企業の活動が別の企業が負の影響の原因となることを生じさせ、促進し、または動機付ける場合[1]

人権への負の影響を防止・軽減する。

負の影響を助長している活動を停止、防止する。他企業が引き起こしている負の影響を自社が助長している場合、残存した負の影響に対して可能な限り自身の影響力を行使する。

企業の事業・製品・サービスが人権への負の影響に直接関連する(directly linked)場合

ビジネス上の関係先を介する、負の影響と企業の製品、サービスまたは事業との関係により定義される

⼈権への負の影響を防⽌または軽減するように努める。

負の影響を引き起こし又は助長している企業に対して、影響力を行使、もしくは影響力を確保・強化し、又は、支援を行う。

また、人権への負の影響が実際に生じているか、または潜在的なリスクがあるにとどまるかによっても対応が異なってきます。つまり、人権への負の影響が実際に生じている場合には、「是正」が必要となります。他方で、潜在的なリスクがある場合には、可能である限り最大限に、それが現実になることを防ぐ、または少なくとも軽減・縮小させるための措置が必要となります。

(2) 検討すべき措置

 1)組織的な対応の必要性

   人権への負の影響に対して、どのように対処していくかを検討する上での基本的方針について、ガイドライン自体は詳細には記載されていません。この点、指導原則19は、以下のように定め、人権に対する負の影響の評価の結論を、企業の全社内部門及びプロセスに組み入れることを求めており、組織的に、構造的に対処していくよう求めています。[2]

  指導原則19

   人権への負の影響を防止し、また軽減するために、企業はその影響評価の結論を、関連する全社内部門及びプロセスに組み入れ、適切な措置をとるべきである。

(a) 効果的に組み入れるためには以下のことが求められる。

(i)    そのような影響に対処する責任は、企業のしかるべきレベル及び部門に割り当てられている。

(ii)   そのような影響に効果的に対処できる、内部の意思決定、予算配分、及び監査プロセス。

   すなわち、人権への影響を評価する部門と、当該影響を生じさせる活動に従事している部門、職員は異なる可能性があるため、影響を防止・軽減するための決定や行動をコントロールする部署を、解決策の特定及び実施に関与させる必要があります。そのため、全社的に、また、全プロセスに人権への負の影響の評価結果を組み入れることが必要となります。

   この「組入れ」とは、特定の潜在的な影響に関する評価結果を取り上げ、企業内の誰がその取組みに関与するかを特定し、効果的な行動を確保するミクロ的なプロセスであり、多くの場合人権を担当する部署がこれを担うものとされています。

   組入れの具体的なプロセスは、企業の規模や、発生した人権問題の規則性または予測可能性によって異なります。特に、企業規模が大きく容易な意思疎通ができない場合や特定の人権への負の影響の発生可能性が高い状態が続く場合は、組織的なアプローチが有効です。

   組入れを検討するにあたっては、その活動を行う各部署にまたがって行うことが重要です。その際、人権への負の影響に他の企業等がかかわっている場合、これらの者との取引関係の条件を決定する担当者や部署は、組入れのプロセスに欠かすことができません。契約等の条件において、人権の尊重を要求又は奨励する契約条件を定めることは、当該取引関係者のインセンティブを高めるとともに、自企業の取引関係者に対する影響力を増すことにつながります。

   ただし、指導原則の解説においては、「人権方針のコミットメントが関係する事業部門すべてに根付いている場合にのみ、効果的でありうる。」とされており[3]、人権ポリシーの策定と、これの社内での定着が何より重要であることが指摘されています。

 2)活動の停止・防止

   企業が企業活動を通じて人権への負の影響を引き起こしまたは助長するリスクがある場合企業は、影響の発生または再発の機会を防ぎまたは軽減するため、以下の対応をとる必要があります。

   (a) 負の影響を引き起こしたり助長したりする活動を確実に停止するとともに、将来同様の負の影響を引き起こしたり助長したりする活動を防止する。

   (b) 事業上、契約上又は法的な理由により、負の影響を引き起こしたり助長したりする活動を直ちに停止することが難しい場合は、その活動の停止に向けた工程表を作成し、段階的にその活動を停止する。

   具体的な措置を検討するにあたっては、ステークホルダーエンゲージメント(ステークホルダーとの対話)を行いながら、適切かつ効果的な措置を検討する必要があります。

   具体的な措置として、ガイドラインでは、以下のような例が挙げられています。

  ・法律によって明示的に禁止されているにもかかわらず、自社内において、技能実習生の旅券(パスポート)を保管したり、技能実習生との間でその貯蓄金を管理する契約を締結していたりしたことが発覚したため、社内の他部門はもちろん、サプライヤーに対しても、そうした取扱いの有無を確認するとともに、それらが違法であることを周知し、取りやめを求める。

  ・調達活動における具体的な業務手順(例:サプライヤーの生産設備や生産能力に基づく発注計画をサプライヤーと協議しながら立案すること、事前に合意した数量・納期で発注しサプライヤーの同意なしに数量や納期の変更をしないこと)を調達方針に明記し、調達関連部門の従業員に対して定期的にトレーニングを実施する。

 3)影響力の行使

  ア 影響力を行使すべき場合(ガイドライン4.2.1.1、4.2.1.2)

    他企業が引き起こしている負の影響を企業が助長している場合には、当該企業による措置だけではその負の影響を完全に解消することができない場合があり、負の影響を助長する企業の活動を停止した後、なお、負の影響が残存する可能性があります。このような場合、残存した負の影響を最大限軽減するため、関係者に働きかけを行うなど、可能な限り自身の影響力を行使する必要があります。

    また、自らは人権への負の影響を引き起こし、または、助長していないものの、企業の事業・製品・サービスと人権への負の影響が直接関連している場合、当該企業はその負の影響自体に責任は負いません。しかしながら、当該企業は、その負の影響そのものに対処できないとしても、影響力を行使し、もしくは、影響力がない場合には影響力を確保・強化し、または、支援を行うことにより、その負の影響を防止・軽減するように努めるべきです。

  イ 影響力とは[4]

    「影響力」とは、人権への負の影響を引き起こしまたは助長させている関係者の不適切な業務慣行の変更を実現する力を意味する、とされています。具体的に、企業がどのような影響力を持っているか、またどの程度の影響力があるかを検討するにあたっては、以下の要素を検討することになります。

  ・企業による当該組織に対するある程度の直接の支配が存在するかどうか。

  ・企業と当該組織の間の契約の条件。

  ・企業が当該組織に占める事業の割合。

  ・企業が、当該組織に対して、将来の業務、評判上のメリット、能力養成支援などの点に関して、人権に関する実績の改善を動機づける力

  ・当該組織の評判にとって企業と連携することの利益、またその関係が失われた場合にその評判に及ぼす悪影響。

  ・ビジネス団体や複数のステークホルダーによるイニシアチブを通じて行われるものを含め、企業が、他の企業または組織に人権に関する実績を改善するよう動機づける力。

  ・企業が、地方または中央政府を動かして、規制の施行、監視、制裁などを通じて当該組織による人権に関する実績の改善を求めることができる力。

  ウ 影響力の行使

    影響力の行使を検討するにあたっては、取引関係の重要性や、影響の深刻さなどを考慮しながら行います[5]。影響力の行使・強化、支援の具体的な例として、ガイドラインでは、以下のような例が挙げられています。

  ・児童労働が発覚したサプライヤーに対して、雇用記録の確認や、児童がサプライヤーにおいて雇用された原因の分析を行い、その結果を踏まえて、更に徹底した本人確認書類のチェック等の児童の雇用を防ぐための適切な管理体制の構築を要請する。また、貧困故に就労せざるを得なかったその児童に就学環境改善支援を行っているNGO に協力する。(行使・強化の例)

  ・新規の取引に当たっては、外部調査会社を起用して調査を実施し、取引予定の相手方が自社の調達基本方針に合致していることを確認したうえで、その相手方における人権尊重の取組を担保するための条項を含む契約を締結する。(行使・強化の例)

  ・サプライヤーに対して、サプライヤー行動規範の内容に基づくアセスメント(自己評価)を依頼し、提出された回答の評価を行う。そのうえで、評価が低かった項目についてサプライヤーとコミュニケーションを取り、一緒に改善していく方法について協議する。(支援の例)

 4)取引停止、撤退の検討

   他方で、取引停止や撤退については、企業と人権への負の影響との関連性を解消するものではありますが、むしろ、負の影響が見えにくくなったり、取引停止に伴い相手企業の経営状況が悪化して従業員の雇用が失われる可能性があったりするなど、人権への負の影響がさらに深刻になる可能性があります。そのため、直ちにビジネス上の関係を停止するのではなく、まずは、サプライヤー等との関係を維持しながら負の影響を防止・軽減するように努め、取引の停止、撤退については、最後の手段として検討される必要があります。また、取引の停止、撤退を行うにあたっては、人権への負の影響の深刻度を考慮したうえで、以下のような責任ある対応が期待されています。

取引停止の有無

責任ある対応の例

取引を停止する場合

・取引停止の段階的な手順を事前に取引先との間で明確にしておく

・取引停止決定を基礎づけた人権への負の影響について、取引先が適切に対応でき

るよう情報を提供する

・可能であれば、取引先に対して取引停止に関する十分な予告期間を設ける

取引を継続する場合

・取引先の状況を継続的に確認する

・定期的に取引を継続することの妥当性について見直す

・引維持の決定がいかに自社の人権方針と一致するものであるか、負の影響を軽減するために影響力を行使する試みとして何が行われているか、取引先の状況を今後どのように確認し続けるかを説明する

 

   特に、紛争の影響を受ける地域からの責任ある撤退に関しては、本ニュースレター2022年9月号で取り上げていますので、そちらをご参照ください。

 5)是正

   以上に加え、企業活動により、実際に人権に対する負の影響を生じさせ、または助長した場合、是正が必要となります(指導原則22)。

   企業自身が人権への負の影響を引き起こしまたは助長したと認識した場合の是正措置を検討するにあたっては、企業自身の見解に加えて、影響を受けたものが何を効果的な救済と見るかを理解することが重要です。そのため、この場面においてもステークホルダーエンゲージメントや苦情処理のメカニズムの重要性が理解されます。

   是正措置の例としては、謝罪や、危害が再発しないことの保証、危害についての補償、特定の活動や関係の停止、その他当事者が合意した形式の救済がありえます。

 

(3) まとめ

  以上のとおり、企業が人権への負の影響に対してどのような対応をとるべきかを検討するにあたっては、当該影響の性質や深刻さを見極めながら、企業がどのような対応をとるべきかを検討する必要があります。その際、指導原則が指摘しているように組織的な対応をとる必要があるため、人権ポリシーを策定したうえで、これを組織内に定着させておくことが必要となります。

  そのうえで、企業が適切に対処していくための手段として、影響力を確保し、強化しておくことが必要であり、今後は、取引先との契約において、人権順守への期待事項、デューデリジェンスの実施に関する条項や、またはこれらに対する不適合を解除事由とするなど、契約書の整備を通じた事前の対応が必要となるものと思われます。

3.ケーススタディ④

(1)事例

日本を本拠とする国際人権NGOが、日本の縫製業を営むJ社のミャンマー委託先縫製工場における労働環境の改善に向けて、実効的な対応をとるべきだという声明を発表しました。

このNGOの声明によると、ミャンマー現地NGOと協力し、ミャンマーの縫製工場の労働環境に関して調査を行い、その過程で、J社のミャンマー子会社であるM社の委託先工場であるA社で、労働者に対する深刻な権利侵害の訴えが確認されたとして、調査で明らかになった問題を改善するよう勧告しています。

J社は、この声明を受けてM社と協働して委託先工場であるA社に対して人権DDを行ったところ、サプライヤーで過酷な労働環境・給与の未払いなどの人権侵害が特定されました。

J社は特定された人権侵害に対して、何を行うべきか?

(2)検討

本ケースは、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ(以下「HRN」)が2017年1月25日に株式会社ミキハウストレード(以下「ミキハウス」)と株式会社ワコールホールディングス(ワコール)のミャンマー委託先縫製工場における労働環境の改善に向けて、実効的な対応をとるべきだという声明を発表した事例を想定しています[6]

HRNによると、2016年8月より、現地NGOであるAction Labour Rightsと協力し、ミャンマーの縫製工場の労働環境に関して調査を行い、その過程で、委託先工場で長時間残業の強要、低賃金・給与の支払遅延、劣悪な労働安全環境、女性労働者の保護の欠如など、労働法に違反する訴えなど労働者に対する深刻な権利侵害の訴えが確認されたと発表し、調査で明らかになった問題を改善するよう勧告しています。

HRNをはじめ、人権NGOの調査およびその結果の公表が企業の行動に大きな影響を与えています。サプライヤーを含む、人権侵害が発見された企業が、NGOとの対話・協働を経て、対策案を作成するなど、ビジネスと人権分野にとって重要な存在となっています。

人権への悪影響を引き起こしたり、又は助長を確認したりした場合、企業は正当な手続を通じた救済を提供する、又はそれに協力することを求められています。「ビジネスと人権に関する指導原則」では、企業が設置するメカニズムには、①正当性、②利用可能性、③予測可能性、④公平性、⑤透明性、⑥権利適合性、⑦持続的な学習源、⑧ステークホルダーとのエンゲージメントと対話、が必要であるとしています。

まずは、サプライチェーンの実態把握が重要となります。その上で、以下の具体的な行動が取り組み可能と考えられます。会社は強制手段を用いることのできる捜査機関でも刑罰を与えることのできる行政機関でもないため、いずれの手段においても、サプライヤーとの対話・協働が重要となります。

・サプライヤー人権方針・行動規範などのガイドラインの作成

・業務委託先へのガイドラインなどの周知

・契約書条項検討(行動規範遵守、報告義務、調査権、契約違反時の解除・損害賠償など)

・サプライヤーへの人権教育・研修の実施

・ガイドラインなどの基準に基づき、生産委託工場の人権・労働環境監査の実施

・他のサプライヤーへの切り替え(切り替えに伴う人権への負の影響の検証不可欠)

・社内外通報制度その他の救済メカニズムの構築・検討

なお、ミキハウストレードはHRNの指摘を受け、第三者機関に調査を依頼し、第三者機関の調査結果を公表しています。その結果を踏まえ、HRNは声明の中で「自社のサプライチェーンで発生する人権侵害についてのHRNの指摘を真摯に受け止め、第三者機関を選定し、調査報告書の内容を公表したことは、一定の評価に値するものである。」と記載しています。

4.まとめ

人権リスクへの対応については、そのようなリスクが検出された場合に場当たり的に対応していくのではなく、人権ポリシーの策定から社内への定着、契約段階における人権関連条項の整備を通じて事前に影響力を確保しておくことなど、事前の準備が欠かせません。また、実際の対応についても、ステイクホルダーとの対話を行いながら、適切な防止・軽減措置を講じたり是正措置を検討する必要があり、経営判断が求められる場面があり、組織的に対応していく必要があります。

次回は、取組の実効性の評価、説明、情報開示について触れる予定です。

以 上

[1]  ただし、助長するとは実質的であることをいい、小さなまたは些末な要因は含まないとされています。ここでいう、実質的に助長する場合、及び別の企業が負の影響の原因となることを生じさせ、促進し、または動機付ける場合に該当しているかの判断の際には、次の要素を考慮するとされています。
 ・企業活動が影響発生のリスクを増大させ、または軽減・減少させた度合い
 ・企業の負の影響またはその可能性についての予見可能性の度合い
(OECD「責任ある企業行動のためのOECDデュー・ディリジェンス・ガイダンス」Q29)

[2] 国際連合人権高等弁務官事務所(OHCHR)「人権尊重についての企業の責任-解釈の手引き-」(日本語訳)問43~45 https://www.icclc.or.jp/human_rights/

[3] 国際連合広報センター「ビジネスと人権に関する指導原則:国際連合「保護、尊重及び救済」枠組実施のために 」https://www.unic.or.jp/texts_audiovisual/resolutions_reports/hr_council/ga_regular_session/3404/

[4]  前掲「人権尊重についての企業の責任-解釈の手引き-」(日本語訳)問46 

[5]  前掲「人権尊重についての企業の責任-解釈の手引き-」(日本語訳)問46

[6] http://hrn.or.jp/wpHN/wp-content/uploads/2017/01/28b1111b96e1c7310c85a31293b96a6a-1.pdf

Older Posts »